今日は端午节最終日として。休日バージョンとする。粽食べなきゃ
<今朝のWorld Newsから>
イギリスBBC:インド、モディ首相、連立で三選成立だが、人民党の勢力低下。
ドイツARD:ヨーロッパ議会選挙で「ドイツのための選択」躍進、「緑の党」減席>議会の混乱が予想される。
シンガポールCAN:インドの政治不安定化に注目。
中国香港:ネット金融詐欺増加。 王毅外相BRICS会議参加しアラブ社会への進出。ドル決算からデジタル通貨、暗号通貨決済へ。
インドNDTV:モディ内閣スタート、内閣メンバーに党外から参加。
カタール、アルジャジーラ:イスラエル前国防相、戦時内閣から離脱する>政権不安定化?(停戦への動き?) ガザでの人質救出作戦で4救出vs パレスチナ人270人死亡(イスラエル兵1名)。
ブラジル、バンデランテス:
世界中の民主国政権の不安定化、弱体化。 それに対し、権威主義的国家政権は安定。
<忘れてはならないこと>
ハマスはテロ組織でしかも「人間の盾」を使っている卑劣極まりない組織。それを忘れてはならない。
しかしハマスをテロに向かわせない方法もあったはず、それをしなかったイスラエルの失策もある。
<現場主義>
事例1:
日曜午後から図書館に本を返却しに行く。締め切りは火曜日で余裕があったのだが、3冊借りていてまだ読む本があると思っていたら、その本を16ページ読んだ段階で、「どこかでたような話だゾ?」と気がつき自分のblogを検索したら2年前に読んでいることが判明した。何とも情けない
本は『筑紫君磐井と「磐井の乱」』というもの。前回全然注目しなかった点に注目した。
今回は、筑紫の磐井の墓が八女の「岩戸山古墳」だという点に「本当か?」という意識が働いて、そこに注目して読んだ形跡がある。だからこの古墳探しに「紆余曲折」があったことに注目した。実は長い事、近くの「石人山古墳」が筑紫の磐井の墓に当てられていたらしい。これは武装石人という物証があったから。p7
これが覆った?のは、江戸時代の1808年、岩戸山で伊勢社再建中に扁平石人が発掘された事による。そして、『筑後国風土記』の記載から、岩戸山の位置と方角が石人山古墳より風土記の記載に近い事から、現在の説に定着したみたいだ。実際、両古墳は位置も推定建設時期もよく似ている。p13、p15
多分、どれが本物の筑紫の君磐井の墓なのかは「慎重に結論すべき」だと意識が働いたに違いない。
これは、このところ自分の足で古墳探しをして、九州北部には沢山古墳があること。また宇美町の東側と西側で同じような地形があるにも関わらず、圧倒的に西が多いのは「福岡市に近い』ことから住宅団地が沢山造成されて、その過程で発見されたと思われるから。
つまり、調査がなされてないだけで、九州北部には至る所に古墳が沢山あるという意識ができたからだろう。
事例2:
日曜日に慌てて図書館に行って借りてきた本の1つが、とにかく面白く、且つ分かりやすい。『ゲーム理論』の最新情報すら初心者向けに分かりやすく解説している本。
特に注目したのは、「最後通牒ゲーム」が文化により結果が微妙に違うこと。これは世界的に同じ実験が行われたことにより判明した。結論から言うと、共同体社会が根強く形成された社会(インドネシアのある部族)では最後通牒ゲームの割合が半々程度、他の部族との交流が少なく、孤立した集団社会(南米のある部族)では自己有利な取引を持ちかけたらしい。実に面白い
さらに「独裁者ゲーム」では実験者の目がないケースでは自己有利な取引を持ちかけたらしい。ヒトの経済行動の傾向を見る上で実に面白い実験結果結果。
重要なことは現場主義だ! 理論ではない。理論は現場からやってくるもの、決して逆ではない!
<今出来ること❗️>
日曜の報道特集で高齢者の自動車事故が話題になっていた。原因は明らか、高齢による心身機能の低下。他人事ではない、70前半の自分もいずれ我が身。
高齢者の中には車なしでは買い物さえできない生活圏に生活している人は多い。移動難民だ❗️
自宅のある高台の団地が正にそうだ❗️ 先のスマホ学習会でも一頻りそれが話題になった。「おっかな、びっくりで運転している高齢者が如何に多いことか!」 それがわかっていないクソ政治家は多い。
「免許返納」と簡単に言うが、人の「自由」についてはいろいろ正論をを言うが、人の「選択肢」に他人が安易に指示できるか? よく考えよ!
何より、『今できること』はたくさんある。
その1つがライドシェアだ。高齢者は殆ど年金生活者。経済的に余裕があるはずはない。ならば低額で移動を可能にするライドシェアなら今日にでもできる。否、世界中何処でもやっている。日本だけ規制緩和をしないのは既得権益層がいるから。
地元でも限定的だが「のるーと」で可能になったゼ❗️ 文句を言う暇があったら行動せよ❗️ 高齢者よ!戦え
自動運転も地域制限付きで早急に実施すべき。田舎の道なら人も車も少ない。100㎡に100個のセンサーを持つ5G連携の低速自動運転車のほうが、視聴覚4つしかセンサーを持たないヒトより運転は信頼出来る。
残された時間は多くない‼️
日曜朝から段々怒りが込み上げてきた。
既得権打破、金権政治家を排除せよ! 日本は少なくとも民主国家。出来ない筈は無い❗️ 出来ないのは有権者が馬鹿か、それとも有権者自身が金権政治を求めているから
『九州考古学の現在』
西谷正著、海鳥社、2020年初版。
西谷先生の3冊目の本。2016年の『北東アジアの中の弥生文化』、2018年の『地域の考古学』に続いて、これも2年ごとに出された3冊目の本。
まず旧石器時代から始まり、氷河期に海面が今より120mも低下して大陸と陸続きもしくは氷床だったことから人を含めて動植物が列島に移動したことを示す数々の考古学資料があることを紹介する。この中にはナウマンゾウの化石も日本列島で見つかっているらしい。p13
中国の河姆渡遺跡付近でもアジアゾウが見つかっているので不思議ではない。
次に縄文時代、すでに海で隔たれてはいるが、共通した漁具や九州の轟式土器が朝鮮半島で見つかるなど両地域沿岸の漁民が交流している証拠があるらしい。p16
日本で初めて稲作が始まるのは紀元前1千年頃らしいが、著者は朝鮮半島南部経由で移植されたとする。p17
これに関して、稲の遺伝子解析からは遺伝子の半分は中国、江南由来だとされているので、多分、沿海を辿って江南から半島まで稲が伝わったのだろう。范蠡が稲と西施を携え山東に亡命したとの妄想に繋がる。
確かに、当時の船(丸木舟)で直接江南から海を渡っていくのは無理がある。多分、構造船の誕生を待たないと江南からの直接渡海は難しい。
やがて弥生期に入ると更に高度な稲作技術(水利、土木工事が必要)と金属器がもたらされ、水耕稲作文化は飛躍的に進歩した。そして弥生後期には鉄器が普及するようになるが、この材料は当時半島南部(鉄山は当時ここしかない)からもたらされた。それを示すのが福岡市の西新町遺跡。p20
これは九州歴史資料館での実物の遺物を見ることができた。