<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
エメラルドリーグ+20XP,56259XP,学了十一分钟汉语。
https://www.youtube.com/watch?v=Kgha36EPdf0&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=2
HSK4 #12~13 HSK1 ~#2 背了五十三分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=hZKKmVZcyd4&t=22326s
Eko ~1h,一个小时。
https://www.youtube.com/watch?v=iLAi5hCclLI
ヤンチャンCH/楊小溪看了十分钟的频道。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,1h43min~2h4min,背了一个小时单词,再三刻苦!
https://www.youtube.com/watch?v=2cHbobcuZwc&list=PLX5jhIuWaM7gkN2-iTCRDLqf-XqXbhCcf&index=121
【青島日美】中級117~121,再三学习二十六分钟的汉语。
https://www.youtube.com/watch?v=uY5Vwym8pnU&list=PL2qMvlnKBIIzHtpQFWm6VsHP1h-TC5EU9&index=45
【ワンポイント中国語講座】#46~45 背了二十六分钟句子。一共四个小时六分钟。
运动:爬山散步 3.3km,4782步,5楼。
<無能というよりは怠慢>
日曜のスマホ学習会はマイナポイント取得の手続きについて。2万円のポイントがもらえるということで、そのためのスマホでの操作法を紹介したが、ここでもスマホ次第でアプリが使えないことが判明した。
ワクチン接種証明書と同じ。あの時はアプリをアプリストアーで探しても出てこないという段階で終わったので疑いの段階だったが、
今回は参加者が多かったのでキャリヤー(ドコモ、au,softbank の利用者が全部揃った)の問題ではなく、スマホの機種の問題であることが明らかとなった。つまりNFC機能の有無で決まるようだ。最近、ガラ携からスマホに替えた多くの高齢者がアプリを使えない(=NFC機能なしスマホ)、そもそも最近のスマホにNFCの機能がないものがある、ということも意外だった。
それとともに役人は本当に社会のデジタル化を推進しようと考えているのか? 高齢者が使うであろう、カンタン・スマホでは使えないアプリを何の躊躇いもなく普及させようとする神経が理解できない。いや、そもそも
『普及させようという意思そのものがない』のかもしれない。 多分そうだろう。
無能というよりは怠慢の類か?
『東アジアと日本』3
律令制で蝦夷と隼人は異なる位置にあった。前者は組み込まれていないが、後者は大隅國と薩摩國に居住する存在。p26 但し、両者ともヤマトの人との話し言葉は別。同様に南海人(沖縄列島)も言葉は通じない。p28
中国では三国時代になると薄葬化が進んだとする。その理由をこの本では議論しないが、同様な事象は西欧でも起こる。この場合はキリスト教の存在がある。もしかすると大陸でも同じように薄葬化に仏教の存在が背景にあるのだろう。
この本では水耕稲作は半島経由だと明記されている。p68
此れについて稲自体は江南由来だとする遺伝子レベルの研究が出されている。古くは現在の稲のミトコンドリア遺伝子の研究(ミトコンドリアは母性遺伝なので交雑を考えなくて良い)やプラントオパールの研究から。最近は更に古代稲の核遺伝子解析からも同様の結論がえられているらしい。但し、下のURLで引用された記事の論者は遺伝学者でも考古学者でもなく、内容を十分理解して記載しているとは思えない節がある。多分に「反韓的な、底の浅い議論」だ。
https://ameblo.jp/fang289196664/entry-12749430103.html
いずれにしても両者(半島経由か江南経由か)を矛盾なく説明できる仮説は、もともと稲は株分けで増やしたからだと言える。何故なら、交雑すると遺伝子に変化が生じ、野生稲の性質が復活する。即ち沢山タネを付けないし、同時に種をつけない=時差をつける(植物生理学的、進化的に栽培イネの性質は不都合)。このことは古代人も経験的に知っていただろうし、そもそもタネを次の稲作に使うという必要はない。何故ならそのまま株を水田に残しておけば来年も稲が育つから。稲は元々多年草。これは稲刈り後の田んぼを観察した人なら気付くだろう。
古墳の発展過程が面白い。最初、区画墓からスタートし、四角に溝を掘りその土を中央に盛るタイプから、単葬による中心埋葬=有力者の埋葬から盛り土を高くし、さらに葬送の必要から墓道の建設、最初は4隅から道ができ。その後1本の道に変化して、最終的に前方後円墳への発展の過程だ。p76 これは考古学的資料からも支持されているらしい。