「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方 -82ページ目

「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「メンタルヘルス~企業の成長を促す=この会社こそが楽園なのだ


人間は常に悩み苦悩する。毎日明るく元気に過ごせる人は殆どいないと思う。

組織運営に於いてマネージメントで一番苦労するのは社員が肉体的、精神的に不健全で不健康であることだ。 精神が病むと肉体も病み、肉体も病むと精神も病んでくる。

会社としての社員に於けるリスクマネージメントは健全、健康で就業出来る組織体制であるが、個人的な問題を抱えて病む社員もいるので全てに於いての解決は難しいのが現実である。

その為には・・・
出来るだけ、ストレスフリーにしてあげる事。それは仕事を楽しむというフィロソフィ(哲学)が必要だ。・・・楽しむは「楽」にするという事。「楽」はシンプルできる事。 会社も「楽」に儲ける事が出来る仕組みが一番効率的な経営なのだ。そう、社員が「この会社こそが楽園だ」と口を揃えて言える企業を目指そうではないか。

その為の具体的手法として考えられるのは、一つ目は人事に於いて相性の合わない者同士が一緒に働くのを避けるべきだ。有能か否かの差ではなく、職場の生産性は著しく落ちる事となる。二つ目はガス抜き(話を聴いてあげる)をしてあげる事。相談が気楽に出来るフラットな職場環境の構築である。三つ目はパワハラ、セクハラが起きない!起こさない!人間的教育が必用だ。断じてそれを許さない規律が必用なのだ。=大声での恫喝や暴力行為、風紀を乱す破廉恥行為、蔑視、軽視をしない、させない事が重要なのだ。四つ目はコン・プライアンス(法令遵守)の徹底だ。一時的な会社の利益を優先するのではなく、最終的に会社に不利益な行為にならない事をイメージすれば反社会的行為は行えないはずだ。五つ目は社員に愛情を注ぐべし。一人でも雇用すれば組織である。社員が愛さない会社は発展、成長はしないものだ。・・・一人一人の社員が会社を愛する組織は笑顔が溢れ明るく元気で楽しい会社である。明るいところにはお客様も集まるものだ。また、明るさはマナー、モラルレベルが高い証拠である。それは他人が不快になる行為を避けるからである。


経営者は社員を大事にすべき、甘やかすのではなくスキル、レベルの向上を図り、無駄を取り、無理を無くし、効率的に生産性が高い=「楽」して儲ける仕組みづくりの構築が最重要なのだ。儲けた金の一部は社員への教育投資に使うべしである。 企業の成長とは一人一人の社員の成長の結集である。

「小さな空間は夢がいっぱい!」


自立をすることの楽しさは自分の意志で何事も決められることだよね。


高校を卒業後、上京して西武池袋線の東長崎の4畳半一間のアパートに住み始めた頃の楽しさを今でも覚えている。畳4枚半の小さなスペースは僕だけの空間だった。最低限の生活家電を購入し配置すると残りは畳3枚半。そこに机兼食卓の炬燵とブロックとカラーボックスを組み合わせてオーディオと本の為の手作りラックを置く。  入居時は新聞紙を張り付けて外から中が見えないようにしていた壁2面の窓に緑色のカーテンを付ける。 嬉しかったね! 自分が好きなものを選べたのが。 実家に住んで居る時は自分の部屋であっても好きなカーテンの色を選んだりする事は出来なかった。 仕送りの身とはいえバイトで稼いだ金を自分の為に使う事が出来た。 好きな物を選べる事がすごく楽しく嬉しい事だった。

月に一度の粗大ごみの日はワクワクしたね。歩いてすぐに十三間道路があり反対側は高級住宅街の新宿区西落合だった。 ここの粗大ごみは実に良いものが捨てられていたね。 ソファーやサイドボード、照明を拾ってきてはペンキで着色、或は他のものと組合わせて家具を進化?変化させる。・・・自分の城にマッチングさせるのだ。 実にクリエイティブだったね。 僕の小さな空間はバイトで稼いだ金で買った物や拾って補修し直した家具が置かれ、僕の好きな空間に生まれ変っていった。


7年前に東京は品川区にマンションを購入した。2LDKを1LDKにリノベーションしてリ ビングとベッドルームを共有させたのだ。 その時に知り合いの大工に自分で設計した家具を作らせた。廊下部分とベッド部分の間仕切りとして両面から利用できるサイドボードだ。無垢板で造られた家具は素朴な重厚感を醸し出す。廊下側に上段が陳列ケースでカメラや趣味で集めた物を飾っている。上からもガラス張りで見えるようにしている。


ベッド側は文庫用の本棚と雑誌棚と衣服用の引き出しが3つ。主にパジャマや下着、靴下、Tシャツの類を収納している。ベッドから手を伸ばせば直ぐに着替えが出せる用にしている。・・・この家具は今は福岡のマンションに置いている。 


現在、東京のマンションは大学に通う長男と同居である。一部屋は完全に彼のものになってしまった。


そこで3年前に福岡の大濠公園の傍に自分用のマンションを購入した。ここは好きな絵画を飾る為の壁が中心である。リビングと寝室を仕切る壁はギャラリースペースである。 
好きな空間で過ごす自由な時間を得る為に頑張って来たのかなぁ? 自由な時間を好きな空間で過ごす事が目的だったのかなぁ? 誰も信じてくれないが極度の出不精である。出来る限り、一人で音楽を聴きながら本でも読んでいるのが好きなのである。


今の生活も四畳半の小さな空間からみた夢の世界だった。・・・本当に・・・何も・・・

・・・なくて良かった。 沢山の事を夢見る事が出来きたから。 手に届く範囲がちょうど良いと思う。 まだまだ多くの事を夢見る事が出来るから・・・



「夢を見たプータロー時代」


高校を卒業して東京の専門学校に入った。理由は両親から早く自立したかった事。

もう一つは音楽の世界か写真の世界で生きていきたかったからだ。

東京は東長崎という西武池袋線沿線の庶民的な町に居を構えた。といっても、4畳半一間の共同トイレ、風呂なしの木造アパートだった。 部屋には小さなキッチンが付いていた。一口のガスコンロと30cm四方のシンクだ。小さな冷蔵庫を置くと一人がやっと入る事が出来るスペースだ。ここの扉は引き戸になっていて閉めると、隣の半間の押入れが開き、開けると押入れが閉まるというキッチンと押入れ共通の扉だった。 一階の共同玄関をすぐ入った角部屋が僕の城だった。 幸いに窓は西と南の2面にあった。光りが射し込み日中は明るいのだが、夕方は西日がきつ過ぎたし、冬になると立て付けの悪い木製枠に嵌め込みガラス窓の為、冷気が遠慮なく入り込み、寝酒に飲んだ水割りウィスキーの残りが翌朝は凍っていた。

そんな生活も楽しかった。「夢があった。」 福岡からの仕送りは家賃と食費と交通費で消えたので、アルバイトは夢のために精を出した。 池袋西口にあった東武デパート15Fにあった「ニュートーキョー」というレストランシアターでのステージでの音響と照明の仕事だ。夕方5時過ぎに学校が終わり新宿から池袋に移動。 仕事前に賄いが出る。11時に仕事が終わると又、賄いの食事が出る。貧乏学生にとって2度の食事つきは非常にありがたかった。 ステージには、これから売り出しのミュージシャンが中心だったが、週に1度は当時メジャーな歌手も出演していた。 彼らと仲良くなれるのと同時に好きな音楽の直ぐ傍にいれたのも幸せだった。 僕の悩みは贅沢だった。可能性は分からない。でも自分自身で選択の岐路を自由に決められる幸せは最高だった。 バイトは約1年間続けた。その間に僕の夢の道具が揃った。

 カメラだ! 当時プロカメラマンの多くが使っていた名機、ニコンF2フォトミックAのブラックの本体と標準レンズは当時は一番明るかったニッコールf1.2、55mmのレンズだ。 手に入れた時は飛び上がるほど嬉しかった。

それからというもの毎日、いつもカメラを持ち写真を撮って廻った。・・・ バイトの途中で誘われ入った音楽プロダクションを挫折して止め、プータロー生活に入った。定職に付くことなくバイトを繋ぐ繰り返しだ。

ポルトガルはポルトの街で撮影したもの。

・・・アメリカに留学しようと頑張って貯めた資金が100万近くあった。ある事があり留学は断念するしかなく、お金だけが残っていたのだ。「よし、アメリカが駄目ならヨーロッパに行こう!、カメラを持って」 僕は19歳の時、肉体労働で貯めたお金と愛機ニコンを持ってヨーロッパへ旅だった。

・・・音楽の世界ではプロダクション、レコード会社の契約プロモーター、写真の世界では1年足らずだが見よう見まねで建築写真や商業写真の仕事を受けた事もある。だが、実際は食えなかった。というよりプロにはなれなかった。途中数年間はイタリアを拠点に海外の放浪を繰り返した。帰国後、幾つものの仕事をバイト同然にしながら25歳まで年収は100万以下前後で何とか食いつないで来た。

前職の会社で20数年間サラリーマン生活を過ごした。自分なりにおらが村の頂点を目指した。だが、所詮、お山の大将だった。 今、目の前にある愛機。これが僕の夢のスタートだ。 カメラマンにはなれなかった。良いではないか。夢の達成は上手くいく事が前提ではない。むしろ上手くいかない事を積み重ね経験した事が夢の扉を開くのではないかと思っている。 したいことが夢なのだ!!出来る事は夢ではない。出来るとは「ちょっと」から始まる。次に「ほどほど」だ。上手くいけば「凄く」出来るかもしれない。 「凄く」は余裕がないよ。良いじゃないか「ほどほど」で、「ちょっと」でも出来たうちだよ。と思えるようになってきた。確かに仕事の内容は完全でないと許されないものが大多数であろう。 でも、自分の夢はちょっとから始めてみたらどうだろう。 僕の最初に住んだアパートのキッチンと半間の押入れは片方閉めたら片方が開いた。 閉めても開く、開いても閉まる。そんなもんだと思う。人生は上手くいく片方に上手くいかない片方があるのだ。 ・・・僕の見た夢。プータロー時代も満更ではなかった。

「僕は晴れ男!!」


ダイビングで遠征する時は殆どが曇り又は雨の日が多い。昨日の夜から移動した鹿児島へは突然、発生した台風の影響で福岡から熊本までは雨と強い風が吹いていた。「大丈夫かなぁ? 明日出来るかなぁ?」 と同行したKプロデューサーと心配していたのだが、夜遅く到着した鹿児島は雨の気配は消えていた。 それがまずかったねシラー 一行4人は深夜2時まで居酒屋で飲んでしまった。

写真下左はKプロデューサー
 翌朝6時半起き、7時に坊津へ出発。外は快晴、とてもよい天気。本当に僕は晴れ男だよね!!ニコニコ  しかし、睡眠不足の為、今回のFUNダイビングはフラフラだった。 皆様、ダイビングは体調のコントロールが一番重要な事です。 くれぐれも調整して万全の体制でダイビングしなければなりませんね。 反省です。

台風の影響は全くなく、ポイントの透明度も20m前後でした。 気温も25度以上の夏日、水温も24度と快適でした。 圧巻だったのは先ず手前からキビナゴの群れ、次にカツオの群れ、次にツンブリの群れと小・中・大の群れが回遊し、もっと大物がの期待が・・・残念ながらそれ以上のものは現れませんでした。

個人的に可愛かったのはモンガラカワハギの子供です。 今回はフラフラだったので写真はいまいちでした。

 また、今回のスペシャルは初の30m超え、最大深度38.3mを経験しました。 2本のボートダイビングの後は今日も美味しい食事が用意されていました。いつも有難うございます。 坊津のシーボーズのお母さんの料理は最高です。 あぁー美味しかった。

エアーがあっという間になくなってしまいました。 まだまだです。 もっとスキルを上げなくてはいけませんね。 頑張ります。

ダイコン(ダイブコンピュータの深度MAX数値は38.3を示す

 福岡には先ほど23時過ぎに到着です。 今日はもう寝ます。 皆さんの明日も晴れ晴れと過ごせますように。


「誤るでなく謝る」 2007.10.28 RKB毎日放送 今日感テレビ「Oの焦点」より


毎日の様に謝罪会見が行われている。どれも共通しているのは謝罪ではなく釈明会見になっているのだ。 それは謝るではなく誤るである。

事実は一つである。 会見に臨んだ者が知りうる限りの事実を伝える事から全てが始まる。 知らない事は調査中、確認中であり、いつまでに報告する旨を伝える事も必要である。

謝罪とは

1.心から詫びる気持ち。心無きもの、すぐ見抜かれます。

2.謙虚な姿勢。心があっても態度が悪いと横着だと反感を買われます。

3.事実を報告。嘘は隠し通せるものではありません。必ず後からもっと大きくなります。

4.質問を無視しない答えを出せないものは沈黙するのではなく、確認中、調査中である事を説   

                  明し後日報告する旨を期限付き答える。

5.事実の時系列の記録を記す有耶無耶にしないさせない為には時間に沿った事実の記録   

                          が必要である。


組織の基本は「ホウ・レン・ソウ」=報告、連絡、相談がしかっりと出来るコミュニケーションが図れる体制固めを整える事。

問題が隠せない仕組み作りと問題を隠さない心の教育(理念の共有を図る)


人を罰する事より問題の「根」(原因)を解決する事にエネルギーを傾注することが必要です。


危機はチャンスです。=しっかりと謝罪をした上で、この申し訳ない気持ちを今後に活かしましょう。


企業も人も問題を起こさない、起きた場合は最小限に抑える。そこから新たなる挽回が必要である。


「ラオス/ルアンパパンの思いで」 Ⅲ (2005.AUG)

&世界の癒しベスト3


写真下はマッサージのお姉さん達

ラオスは世界遺産の古都「ルアンパパン」と「ビエンチャン」の2都市を旅したわけだが、特に印象深ったのがマッサージが安いと言う事。ルアンパパンでは1時間US$2-でビエンチャンで$3~5の間だったね。 肩こり症の僕は安い事もあって一日に最高5回行ったよね。それでも$10-・・・ちょっと遣りすぎでした。かお

そこでマッサージフリークの僕が体験した究極の癒しベスト3は、第3位はラオスのルアンパパンのマッサージ=兎に角安くてスタッフがフレンドリィで男女とも美貌揃いだった。第2位はトルコはイースタンブールのハマム(トルコ風呂*Hなとこじゃないよ。)の垢すりと筋肉マッサージ&カイロプラクティック(整体)、これは凄かった。あれは21歳の頃、バックパッカーとして旅をしているとき訪れたイースタンブールの町で通りすがりの男に尋ねたのだ。この国で自慢できるものはなんだと? 彼は答えたね。「ブルーモスクとハマムさ」と、「何だハマムとは?」、男は黙ってニヤリと微笑んだ。「付いて来い!」、、、狭い坂道を行ったり来たり辿り着いた所はドーム型の白い外壁の建物だった。 中に案内されると銭湯の番台の様な受付があり、そこでお金を払いパレオみたいな布を2枚貰う。1枚は裸になって腰に巻け、もう1枚はバスタオルの代わりである。言われるままに服を脱ぎ、腰に布を巻く、奥に進むとデカイホールになった浴室がある。但し、浴槽はない。円形の壁に沢山のお湯と水の蛇口が付いている。真ん中に3人は寝そべれるベッドがある。細かなモザイクタイルが張られた壁、天井、床。部屋の中はポカポカと温かい。きっと床下にお湯が循環して流されているのだろう。ボッーと突っ立ていると筋肉隆々の男登場。「座れお前、ここ!」

蛇口の前に座る。洗面器にお湯を出し、タオルに石鹸をつけ行き成り僕の身体中をゴシゴシと洗い出した。「ウッ!!死む!!」、終わると頭にお湯をぶっ掛け石鹸で洗う。更に全身にお湯をぶっ掛け洗い流すと、今度は僕の腕をとり足をとりボキボキと曲げて伸ばして叩いて揉んで更に伸ばして引っ張り上げる。「死むっ!!」

全てが終わったヘロヘロの状態で真ん中のデカイベットに寝そべる。出されたトルコのお茶「チャイ」を飲む。その瞬間、全身から緊張が取れ、旅の疲れも21年間生きてきて知らずに積もった疲れも抜けていった。本当に抜けていった。天井に開いた二つの丸い穴から飛んでいったのだ。これぞまさしく究極の癒しであった。

さぁ、第1位は中国の首都北京で呼んだ気孔指圧なるもの。始まった瞬間に眠ってしまった。起きたら誰も居らず、僕の身体を蝕んでいた全ての邪悪なるものがすっかり姿を消していた。健康とはこういう事なんだと納得出来た初めての経験であった。


ラオスはどうしたのだ? すっかりテンションが上ってしまった。癒しを追い求めて30年。この話になるといつも本題を忘れてしまう。

そう、ラオスは美男美女が多かった。首都ビエンチャンは別としてルアンパパンは街の人々は優しく親切であった。 子供達の笑顔は特に最高だった。

                 写真上真ん中は親友の森田氏

旅を通じて感性に響くものが常にある。人・景色はもちろんだが、目に見えるもの(建物や造形物)、、、目には見えぬもの香り、過去から未来へ繋がっているもの時間~歴史・・・ 五感で感じるものが面白くてしょうがない。


これから少しずつ旅をしてきた国の事をブログに思い出として記していきます。








「プロバスケチーム福岡に誕生」


福岡にプロバスケットチームが誕生しました。

これで福岡には野球「福岡ソフトバンクホークス」、 サッカー「アビスパ福岡」 と並んで「ライジング福岡」 が誕生したのです。


昨日、10月24日が発足記念レセプションでした。 会場は福岡市中央区春吉にある「ホテル イル・パラッツォ:クロッシングホール」 で行われました。

400人近くの参加者があり会場は熱気に包まれ興奮状態でした。このテンションが続くと良いのですが?  博多の人は熱しやすく飽き易いのですね。ラテンの乗りなんです。 調子が良い時は一生懸命応援し支援するけど負けがこんでくると離れていきます。 現に王監督が来るまで野球も西鉄(クリッパーズ⇒ライオンズ)から始まり太平洋クラブ⇒クラウンライターから西武に身売りされ東京は所沢に移ったのです。 それから福岡にはプロスポーツの球団がない状態が続き1989年にダイエーが南海フォークスを買収後ホームを福岡に持ってきたのです。その後、2005年にダイエーがソフトバンクに身売り、現在は常にAクラスに留まる球団となったのです。

それでも球団経営は赤字です。 福岡ドームの使用料が高い為の赤字という事ですがプロスポーツ球団の経営は並大抵の事では出来ません。因みにソフトバンクはパリーグの中では観客動員数では2007年もトップです。


プロスポーツ球団経営をスポンサーの広告&入場料&キャラクター商品の使用権、放送放映権+アルファーで賄えないのが現状です。 継続して運営していく為にはスポーツエンターティメントとしての確立を図り常に常勝するチームでなければなりません。 先ずは会場が常に満席の状態にしていく事。その為には愛されるチーム、その為にはファンリピーターの拡大です。人々からみて遠い存在であっては愛されません。カリスマ性やアイドル性は必要ですが先ずは市民に親しまれる事。その最初のPRが凄く大事です。 昨日の会場は熱気むんむんでした。果たしてそのテンションが他の人々に伝わる事が出来るのか? 「おらが村のもんだ!!」の思いを皆に持ってもらえるのかが全ての始まりです。 皆様「ライジング福岡」の応援を宜しくお願い致します。

「ラオス/ルアンパパンの思いで」 Ⅱ (2005.AUG)


 食ったよ!! 上手いねラオス料理といっても格段、他の東南アジアの国々との明確な違いはないのだが隣国のタイと違ってめちゃ辛くないのは助かったよ。別に辛いものが嫌いなわけではないのだが、辛すぎると・・・・ ここで僕、大野が過去体験した激辛ベスト3の発表です。 先ずは第3位:韓国のソウルで食べた「赤唐辛子味噌の生タコ炒め」べーっだ!、第2位:メキシコのメキシコシティーで食べた「エンチラーダこれはハラペーニョ」がたっぷりと入っていたよ。むっ、第1位はトルコはアンカラで食べたそのものズバリ「青唐辛子の酢漬け」ショック! ぶったまげたよ!! 辛過ぎ!!3日間、口からお尻まで上下器官全てが「ヒィヒィ」泣いてたよショック!
 
ここラオスの料理はタイ、ベトナム&中華をそれぞれミックスした様なものだったね。
ただ、庶民の人々は肉、魚をぶった切り、焼く、煮る、炒めるに野菜が加わるというもので魚から作った醤油(ナンプラー、ニョクマム)と塩で味付け、コリアンダーの香菜が風味付け入るものだね。 美味しかったのは炉端の七輪で焼いてた地鶏の丸焼は身が締まり、余計な油が抜け、しっかりと噛むと味深い肉汁が口中に広がったね。本当に美味かったよ。これが実にビールとあうね。

 また、ルアンパパンにはフレンチ&アジアンテイストの影響を受けたレストランが多くあり、建物もコロニアル風の趣があるものでフランス統治時代の遺物なのかヨーロピアンの雰囲気がアジアの森の緑の中に点在するギャップが面白かったし、なんか大人の色気を感じてしまった。 実にドラマティックな気分が味わえる街である。  


屋台みたいな店で食べると100円から300円位かなぁ、上の様な写真の高級そうなレストランでも飲んで食べてUS$7-位だった。
料理は左の写真です。 これはほんの一部で次から次に食べきれない位に出てきたよ。…満足!ニコニコ
写真は親友の画廊オーナー森田氏 です。
お金をあまり使わなくても十分楽しめるルアンパパンお勧めです。 



「ラオス/ルアンパパンの思いで」 Ⅰ (2005.AUG)

2005年の8月に親友の森田氏 と共にラオスに旅に出た。
 
 ラオスはその昔25年以上前にタイ国境の村から船で入国したことがある。 僕が小舟に乗ったのはタイのノンカイという町の近くのメコン河沿いの小さな名も知らぬ村だった。渡ったラオスの村も名も知れぬ村である。・・・たぶん、密入国であったかも知れない。 ビザも取ってないし、パスポートにスタンプも押されていない。 なにしろイミグレーション(国境事務所)がなかったし村人たちは好き勝手に往ききしていた。 ・・・現在は15日以内の観光であればノービザ滞在が可能になっている。(詳しくはラオス大使館に問い合わせてね。)

乗り継ぎの為、バンコクの空港近くのホテルに一泊して翌朝、バンコクエアウェイズでラオスはルアンパパンに飛びだった。
皆様ご存じだろうか?ルアンパパンはユネスコに登録された世界遺産の街でその昔はランサン王国の王都であった。 カーン川とメコン川の合流する地点にこの街は在る。 緑豊かな静かな街で多くの寺院が点在する。


 朝 早く起きてホテルを一歩出ると、そこはオレンジ色の袈裟を着た僧侶が連なって歩いている。

町の人々の喜捨を求めて歩く托鉢である。その数は半端じゃない。

 50人から100人の行進である。 人々はひざまずいて米やおかずを鉢に入れている。よく見ると汁物(カレー等)はビニール袋に入れられているのですね。
有り難いというかちゃっかりしてるというか我

々観光客には托鉢用「喜捨グッズ」を売っているではないか。 日頃の行いが頭に浮かんだわけではないが購入し
て、鉢に喜捨した。 この 托鉢は朝の6時頃から見る事が出来る。朝食前の散歩を兼て如何ですか。  まだ、あどけなさが残る少年僧侶から体格のしっかりとした青年僧侶達、一列に なって歩く姿に昇る太陽の光が差し込む。オレンジ色の袈裟に黄色のベールがかかった。
 
残念ながら犬クンには托鉢用の鉢もないから喜捨もしない。
そんなに恨めしそうな顔で見ないでね。

毎日、同じ時間帯に繰り返される「托鉢」、同じ光景が日々続くわけだが毎日、町の人々はひざまずいて喜捨を行う。 毎日である。
考えたら凄いことですね。 もし多くの人が喜拾を止めたなら・・・宗教心、信仰心の篤い国の人々こそだからそんな事はないのでしょう。

ラオスの名前の由来は6割を占めるラオ人のラオが複数となってラオスになったと聞きました。 これはフランス統治時代の話です。

他の国に占領されたことがないラオス隣国のタイと僕が住む日本。 世界の一部では未だにキナ臭い紛争が行われています。被害にあっているのは殆どが戦争の理由も知らない人々である。 民族、宗教、エネルギー(資源)、領土等の様々な理由があるかもしれない。 宇宙から攻めて来ない限り地球の国々が纏らないのは悲しいよね。

パートⅡ、Ⅲとラオスの旅の思い出は続きます。



 

 
経営者はもう一度、基本に立ち戻るべきだ。

 
上手くいかないこともある。というより上手くいかないことの方が多いのがビジネスである。 商品を買う、サービスの提供を受けて頂く、つまりお金を払う選択権はお客様にある。 世の中に必要なもので自分のところしか造っていないものであれば、売るという選択権は企業側にあるのかもしれないが・・・果たしてそんなものがあるだろうか?
 昔からプロダクトアウトからマーケットインの発想に転換しようと言われているが、現在はそれだけではすまない。作り手側の発想から顧客ニーズを汲取った物造りをしましょうということ。製品を商品に変えましょうということ。だけど簡単じゃないところが面白い。今の世の中、マーケティングが徹底的に詰められ図られ行われている。
ユーザーニーズを調査→製品開発→モニタリング→商品開発→値決め→販促→販売に関わるプロセスにそれぞれの専門的なクリエィターがデザイン、商品コピー等を含め、企画⇒製造⇒販売まで高度な戦略、戦術を駆使しているにも関わらず計画通りに売れるものが少ないのが現実だ。 簡単に言うと世の中、甘くないのだ!まぁ、常に変化しているんだね。

 なぜか?  ・・・長い前置きだったが・・・ 売る側のパフォーマンスが低くなる時、売れ行きも下降線となる。 なぜか? パフォーマンスは全ての状況に対する動きである。 売りたいという意思があるかではなく買っていただきたいと思う気持ちが高いかが出発点とし販売までの全ての細かい点が手抜かりなく行われている状態を維持できているかということ。
 手を抜いている事を知らずに行っている企業が殆どだ。 それはアナログで基本の事である。 正しく造り、正直に販売しているか。製造時点や販売に関することで
誤魔化しや偽りがないか。整理・整頓・清掃・清潔・躾の5Sが徹底されているか? 気持ちよく挨拶が出来ているか? 顧客とのコミュニケーションを常に取り続けているか? 当り前のことである。 でも、この当たり前の事が出来ていないのが現実である。 来年2008年4月施行予定のJ-SOX,基本は内部統制である。 難しい仕組みづくりの前に簡単な当り前の事がある。 簡単だから難しい。馬鹿にすることほど人は前向きに立ち向かわないものだ。 基本が出来ていないピアニストにJAZZでいうアドリブは出来ない。 経営者はもう一度、
基本に立ち戻るべきだ。