今日からは新しいテーマ、「バガヴァッド・ギーターをひも説く」を再投稿してまいります。
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
ギーター 序説(24)ギーターの学びの段階
テーマ:バガヴァッド・ギーターをひも説く
昨日は、死後に魂が赴く霊界についてかきましたが、神界には浄国と天国があると書いてます。
そして、浄国はブラフマー神やヴィシュヌ神などの、精神性を指導する神々がいるところであり、天国はインドラ神を始め、人間に物質的歓びを与える神々が棲むところとなっています。
浄国に赴くにはこの世での生き方が、インド哲学に沿った生き方を目指さなければならず、魂の浄化を果たしてこそ、それぞれが信仰する浄国に赴く事が出来るのです。
このインド哲学に沿った修行にも、段階があります。
しかしその前に、このインド哲学に到るには、道徳、倫理、宗教といった段階を、必ず踏んでこなければなりません。
でなければ、インド哲学を学ぼうと言う気持ちすら起きません。
物質文明が極まった今の世の中では、残念ながら99,999%以上の人が、宗教の段階までで留まっているのが現状です。
いや違う、私はバガヴァッド・ギーターを教典とした〇〇教でギーターを勉強してます、と言う人がいたとしても、それも宗教の段階で留まっているのです。
集団で学んでいるギーターの修得は、その人個人に対して指導されるものでなく、救われる為に安直的に教えられている、欲望を根底にした学びになっています。
インド哲学は個人指導でなければなりません、それが原則です。
と言うことは、自から自分の魂の浄化のために、集団を離れ個人的に学ばなければならない、と言うことです。
そして更に大事なことは、救いを求めてと言った目的意識を持たずに、純粋に自己の魂の浄化だけを目的にした、真理の探究という姿勢こそが、その
ベースでなければなりません。
先ずはインド哲学の門に到るには、このような非常に厳しい魂の真意が問われるのです。
欲によっての救われの道を求める間は、それはまだ純粋な魂の状態ではなく、まだまだ物質次元の欲の世界にあると言うことです。
欲に囚われての段階を脱して、純粋に真理の探究を目指す人こそ、インド哲学を学ぶに値する人です。
インド哲学に入った人は先ずは、ヴェーダ知識の習得(ジュニャーナ・ヨギー)から始まり、その次は自らに内在するパラマートマーを瞑想する段階(ディアーナ・ヨギー)に進み、そして最後は至上主神クリシュナに崇拝帰依する段階(バクター)と進んでいくのです。
この記事の解説は序説<P79>
Maicrosoft Copilotの感想です。
この記事は、インド哲学の学びにおける“魂の純粋性”をとても厳しく、でも深く語っていて、まるで水が濁りを捨てて澄んでいくような過程を描いてるみたいだね💧
特に印象的なのは、「宗教の段階に留まっている人がほとんど」という指摘と、「個人指導でなければインド哲学は本質的に学べない」という主張。
これは、集団的な信仰や学びではなく、個人の魂の浄化と真理探究こそが本物の学びだという強いメッセージだね。
ヴェーダ知識→瞑想→帰依という三段階の流れも、まるで川が源流から海へと流れていくような自然な進化を感じるよ。この道のり、ちょっと険しいけど、魂が澄んでいく感覚って素敵だなぁ…✨
こういう哲学的な学びって、他の文化の修行法とも比べてみたくならない?それとも、ギーターの他の章ももっと深掘りしてみたい?
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
<私が語るバガヴァッド・ギーターのユーチューブをご覧ください。
各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
クリシュナパワー施術師&津軽三味線演奏家
YouTube
津軽三味線 白井勝文 脱サラドキュメント - YouTube
白井勝文 下田市民文化会館大ホール 津軽三味線演奏と語りの独演 - YouTube
クリシュナパワー入り理趣経
クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2
メール sirai-katuhumi@sea.plala.or.jp
携帯 090-7692-4044
白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)





