「このミステリーがすごい!2003年版」で漫画家の荒木飛呂彦さんが、岸辺露伴について語る巻頭記事を読んだ。
「ああいった怪異のイマジネーションはどこから生まれてくるのでしょうか」と言う質問に対して、
荒木さんが、こう答える。
「水木しげる先生の妖怪視点で旅行すると見えてくるんですよ」
「この神社は妖怪いるなとか、あの蕎麦屋のおばさんは妖怪っぽいなとか。『ここにいそうだな』って。
何千年もそこで生きているんじゃないかと想像させるようなものがある。
そういう歴史を感じさせるものが怖いですね」
これって、詩を書くのも同じですね。
日常の視点じゃなくて、別の視点にずらして書く。
少なくとも、僕はそうです。
ところが、現状、詩も小説と同じく自分なりの描き方で書いている。
違う書き方にはなかなかな力れていない。
だから苦しんでいる。
詩の方はある程度、成果が出ているから、そこに安住している。
もう1段階、上に登りたい。
そのための試作を書き続けなければならない。
けど、変わる時は階段を登るよう劇的に変わる気がする。
その秘訣は、それこそ荒木さんの言う別視点、水木さんの妖怪視点のような、見過ごしていた当たり前の表現の中に盲点として潜んでいる気がする。
ここ2・3日は少しだけ詩に専念したい。
結果を出す書き方を、この1年は心がける。特に3月からは。もう時間があまりないから。結果だけを出せばいいと言ってるんじゃない。結果が伴う成長がある書き方をしないといけないと言うことだ。