仕事で文章を読む。それと、ニッサン童話と絵本のグランプリの話 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日も朝の4時起きです。

(猫の、もんちゃんが起こしに来ます。笑)

で、雨音を聞きながら、モンちゃんにご飯をあげて、自分も朝食を食べて、

それから2時間ほど、持ち帰り仕事をしていました。

で、文章を読んで、解析しながら考えます。

 

文芸作品は、もちろん、書いて形にしなければ、何にも始まらない。

でも、最近は、文章化されていない、言葉の背後にあるもの、思いを読むことばかりしているので、

色々と考えてしまいます。

 

当たり前ですが、

自分が感じている、と言語化できそうなものだけを書くのが普通。

でも、今は、パッと感じていると認知できていない、そういたいと思う行動や感情の背景や、

その前の「時間」や「心の動き」を見つけようとしてしまうんですね。

 

初心者に、詩の指導をした時に、自作の散文詩「哀しい巨人」を例に解説した後、

こちらの言葉足らずで、散文っぽい文章ものばかりになって、

あれれ、と思ったことがあります。

 

やはり、「詩」って非日常で、説明言葉がたくさん入った散文の方が日常の言葉ですよね。

 

 

 

もちろん、僕の散文詩もいろいろな書き方のものがあるんですが、

この詩作品「哀しい巨人」は、’21年3月号『ココア共和国』で、傑作選で唯一のTOP掲載された作品で、

(僕の第1詩集『ことわり 付喪神』に所収)

敢えて「哀しい」というポエジーの答えっぽい形容詞を、表題にも載せて、初心者の方にもわかってもらおうと意図的に書きました。

きっと、それが高く評価されたんだとも思います。

 

編集長の、秋亜綺羅さんからの「うなづきながら読んでいくと、最後の4行は、まさに現代の抒情になっていて、感心しました」という過分な褒め言葉を、

頂戴いたしましたが、まさに的確に、こちらの意図を汲み取っていただいております。

 

その意味では、4年以上経った、いまでも、僕の散文詩スタイルとしては出来栄えの頂点かな、と思います。

今の目で読むと、まだまだ不要な言葉が多くて、削りたくなるし、それこそ、これを「見えないゲシュタルト空間」に置く形にして、

書かない選択がいいよ、と思ってしまいます。

 

あっ!

いつか、この世界観だけの、詩集か、童話を書きたい……っていたことを思い出しました

今年の分の、ニッサン童話と絵本のGPには、それにしようか。

 

このコンクール、前回の’24年度が、僕の知り合いが見事、グランプリを受賞した第41回だったんです。

ですが、後援している本体の日産自動車が、

ご存知の通り、赤字で危ういので、果たして、この’25年度の第42回が開催されるのか、心配をしています。

なんとなく、キリの良い50回まではやるんじゃないか、と勝手に思ってはいたんですが。

例年の募集開始の6月下旬まで、少しヤキモキしそうです。

 

 

 

(これが、前回、’23年度のグランプリ作品)

 

いったい、どのくらいの経費がかかるんでしょう。

書籍の印刷に、100万円ぐらいで、審査委員などの人件費と各図書館への寄贈送付費用で、さらに100-200万円というところでしょうか?

分かりませんが。

 

その受賞した知り合いにお聞きすると、もう原稿は校正して編集さんへお渡し済みで、その際に描く絵本画家さんも選んだとのこと。

例年、受賞発表の12月中旬には出版されてますよね。

 

なんだか、色々と脱線してしまいました。