さて、5月も3日になりました。
このまま、うかうかとしていたら、すぐ中旬になり、仕事が繁忙期に突入するので、それにかまけていると、
すぐ下旬になるのが、もう目に見えております。
僕が、このブログで前に書いた、坪田信貴さん(ビリギャルの先生)の本に、こういう趣旨の言葉がありました。
〈できない結果だけに着目して、自身の才能や欠如を責めるWHY型思考スタンス〉ではなくて、
〈できていない現象と部分に着目して、どうすればいいか考えるHOW型思考スタンス〉に変えよう、と。
プラスでその理由を考えるWHYなのがあるべき姿なんだよな。
本来、僕は前者の〈結果の書け書け式〉より、後者の〈可能性を探るワークショップ式〉をバドミントンの先生を始め、多くの導師から学んだ学ビストのはずだ。
その違いは見ている結果現象は同じでも、全然違う心の働きだ。
でも、現状の僕には、ついWHy型になって、自分を責める癖がある。
坪田さん、曰く、
世間の人は流氷の海面上にある結果だけを着目して、何十倍も大きい海面下を見ないで、WHY型の才能の有無で片付ける、と。
HOW型は海面下を伸ばす。
結果は後からだね。
5W1Hの中でHowとWhat以外は名詞で答えにできる知識だが、この二つは答えがない。
だから、このGW中に、永井荷風新人賞100枚を書き出さないと、また付け焼き刃作品になりそうに思っています。
それは嫌なので、なんとか書き出さないといけません。
とにかく、現状の僕の場合、小説を書く際は、「絶対、傑作を書けよ。無駄に時間を使うな」、
「駄作は書くなよ。これ駄作じゃんか。やめろ、やめろ。やり直せ」、「才能ないな。無能! 辞めちまえ」などと、
細々とチェックしてくる、自分のなかにいる、左脳審査官が邪魔します。
こいつを、まず倒すか、納得させて黙らせないと、小説が書けません。笑
(詩の場合は、勝手に書けるんですがね。
書き終えた後で、左脳審査官が講評するのを適当に聞いて、推敲するだけなんですが)
それが難しい。
なんせ、どこでも付いてくる(当たり前か)左脳くんなので、付け入る隙がない。
駄作だよな、と思っていることを、左脳の相手も知っている。笑
書き始めると、すぐ前記のように喚き出して、書くモチベーションを下げます。
で、対抗策を考えました。
それは、ひたすらレイモンド・カーヴァーの短編集を分析読みして、その素晴らしさを堪能する。
左脳審査官が酔い痴れているうちに、「カーヴァーをまねして、オマージュ的に書こうぜ」と誘って、書く作戦を考えています。
抽象的に分解して読み、その作品構造を真似つつ、自作へ転用するので、盗作にはなり得ません。
いや、もし完璧に、カーヴァーの文章をコピーできる、つまり、村上春樹の訳文を完全コピーしつつ、かつ、別小説が書けるなら、それはそれで、自分としても読んでみたいです。
そんな離れ技ができるのなら、ほんと、褒めてあげたいですよ。
でも、できないから、どう足掻いても劣化コピーにしかなりません。
ともかくも、カーヴァーの短編の面白さの秘訣を読んで、探る、つまり、文字に書いていない表現(!?)を透視しながら、解析しています。
それができるようになったのが、’24年までの僕とは違う、「’25年4月以降の僕」です。
書く際は、そのカーヴァーっぽさへ、同時に、エドガー・アラン・ポーの文学理論やら、マンガ原作の方法論やら、村上春樹論やら、ここ1ヶ月の勉強成果も付け加えるので、
単なる劣化コピーにはなりません。笑
訳のわからない、ミックスジュースなスムージーには、なるでしょうが。
がんばります。