変な夢を見た。
今までの予知夢的なすごくリアルな主人公になっているものとは違う。
場面からは、少し離れた立ち位置、語り手のような自分がいて、それとは別に登場人物としての「僕」もいる。
「僕」は賞状を渡す側のはずだったのに、なぜか賞状をもらう羽目になって、それが文学関係みたいで。
でも、嬉しいというよりも、もっと早く決断するべきだった残念さを感じている。
けど、反面、「ああ、やっと,ここまで来たんだ」と、満足感や成就感を味わってもいる、気がしたりする。
あと、流れている時間感覚の時代感がどこか錯綜している点は不思議だった。
現在と過去の時間戦がゴチャゴチャになっている。
20代の頃と、それよりもっと後の知り合いが、時代を超えて錯綜して一緒に出てくるんだよね。
そのバックに、テーマ曲というか、何か疾走する音楽も流れていた。
朝ドラの「あんぱん」の主題歌っぽさもある。
つまり、RADWIMPSの「賜物」っぽかったりする。苦笑
それと、 なんでだろう。
順調に物事が進んでいる感がある。
この前の職場で話してた、別の箇所なら4倍、時間給が高い話を聞いていた時の、羨ましい気持ちと、ああ、今の場所に行く必然性があったんだ,と逆に運命感を感じたことを思い出す。
前世で、自分が生まれる前から決まってるけど、その決められた集合場所に来るのに努力が要るような場所へ、積み重ねて紆余曲折の末、やっと辿り着いた。
そんな感覚がどこか付きまとう。
ほんと、変な感じだ。
今の立ち位置に、そんな感覚がつきまとう。
昨日も書いたけど、直近に永井荷風新人賞100枚の書く方法やスキル、目指す場所はわかっても、まだまだ具体的なビジョンは全く見えないのに、変な話。
ああ、昨日は佛教大学のオープン・カレッジ講座OLCの、「民俗学の楽しみ」を大体最後までし視聴した。
それと、小説教室の課題を、手持ちの落選作の改稿で完成させた。
いつまでも、これを引っ張っていると、前期の100枚が書けないからね。
今日は午前中仕事で、帰るのは15時ごろだ。
それから、昨日4/29祝日のアクセス数が295だった。
ありがたいことです。