早いもので、もう四月も、あと数日になりましたね。
GWになるとすぐ仕事の山場になって、バタバタしていたら、すぐ5月下旬になっちゃうんですよね。
5/31締切の永井荷風新人賞(100枚以下)は、なんとか4月中の今に10-15枚ほどは書き出しておかないと、また付け焼き刃になりそうだ。
せっかく、ここ1ヶ月で小説について実に多くのこと(書き方の新しいコツや、大学の公開講座からの新しい知見)がわかって、改善点が見つかった。
なのに、このままきちんと作品化しないと、また元の木阿弥になりそうだ。
怖い。怖い。
ここまで、ほんと苦労して登ってきたから、絶対嫌だ。
それだけはゾッとする。
完璧主義は捨てないと(捨てきれないのはわかっていても)いけない。
作品はどんなに駄作でも書き終えないと、それを改稿できないのだから。
まず完成の100枚をかき切ることだ。
今、章ごとに書くスキルは確実にあるのだから、それを定着するだけでもいいからね。
まず、それを第一の目標として、第二に完成を目指したい。
作品の出来不出来はなるようにしかならないのだから。
幸い、この永井荷風新人賞の、旧の三田文学新人賞時代の落選作があるので、最悪、それの改稿でもいいのだから。
小幅な改稿か、大幅のコンセプト変更からの実質新作かは別にしてね。
正直、自分の改稿力は新規の創作力よりも数倍は高い実力があるのだ、と思う。
批評力や研究力と直結しているからね。
これには、大言壮語を絶対認めない、僕の中の懐疑主義者である左脳くんも認めざるを得なくて、珍しく自信を持って断言できる。
実際、詩も落選作を改稿して他とひっつけたりしたら、よく入選・入賞してるのは、その証左でもあるからね。
だから、左脳・審査官も沈黙して、否定できないんだよ。
さて、昨日、詩集単位で応募する日本詩歌句随筆評論大賞と、詩篇単位の協会賞に、それぞれ一つずつ、審査員分4通を投函した。
とにかく詩集賞は機械的に応募だけはしておこう。
どうせ、なるようにしかならず、ほとんど期待していない状態だけどね。
今日、明日と、仕事が臨時休業なので、正味4日間、(バドミントンの開放教室コーチを除けば)自由時間が持てる。
何かしら、作品を書き上げるという結果を出さないといけない。
上記の永井荷風賞へ取り組むのは、もちろん、予備として、国民文化祭さがさきピースと、伊東静雄賞の詩篇ぐらいは、試案を書きてみようかと思う。
詩は詩で、僕の小説スキルの影響を受けるので(なんせ、もともと小説の書き方を流用して、詩を書いている出発点があるので、同根なんですよ)、
また新たな書き方で挑戦するつもりでいます。
よっ夕があれば、久しぶりに、ユリイカや現代詩手帖への投稿詩も描いてみようかな。
あつ、寝台特急サンライズに指定席予約をしないといけない。