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皆さま、こんにちは!

 

ご心配をおかけしましたが、ようやく退院することが出来ました。

今後は経過観察を目的とした通院が月イチ程度であるみたいです。

(舌とリンパに転移した癌の摘出手術をしました)

普通に会話が出来るところまで回復しましたけど、

口の中に入れた食べ物を舌で動かすことが出来ないのと、

手術跡が腫れてるために食べ物が喉を真っすぐ通りません。

こちらは完全回復まで2カ月間程度要するとのことです。

駅巡りも楽しみたいところですが、まずは体力を回復させることが優先。

「健康」でいられることのありがたみを感じさせられた入院生活でした。

 

さて今日は、4年前に訪れた予土線から

大内(おおうち)駅の訪問記です。

ここがタダの無人駅だと思ったら大間違い。

軽便線の宇和島鉄道が大正3年に開設した駅で、

国鉄時代は古い木造駅舎があったそうですよ。

 

そうなりゃ気になるのが、木造駅舎がどこにあったかということ。

駅前にわずかな空き地しか見当たらず、

この場所に駅舎があったとは思えません。

 

そんなわずかなスペースにはコンクリート製の基礎が残り、

ここに駅舎があったとされてますけど、

大内駅の駅舎って、はたしてこんなに小さかったのかしら?

 

そこで国土地理院のサイトで古い航空写真をチェックしました。

昭和50年撮影の写真に木造駅舎が写り込んでましたよ。

写真によれば、駅舎は駅前通りのど真ん中にあった模様。

 

現在は駅前を県道283号線(広見吉田線)が横切りますが、

ひと昔前までは袋小路で駅舎の跡地に県道が通されたようです。

予土線・務田駅といい予讃線・伊予出石駅といい、

この付近の駅は駅舎跡に道路が通されるパターンが多いですね。

 

ちなみに駅舎は現在ある上屋の正面にあったとのこと。

階段の正面に改札口(ラッチ)があったみたいです。

大内駅は昭和8年に国有化され、

昭和16年にそれまでの軽便線(軌間762ミリ)から

1,067ミリに改軌されましたが、

国有化直後には、共に国有化された予讃線(旧・愛媛鉄道)とともに

宇和島駅を経由しないで2線を直線で結ぶ

新線に移される計画が存在していたそうで。

もし計画が実現していたら今の大内駅は存在していないワケで…

大内駅、知れば知るほど興味深い歴史を持つ駅でした。

 

それでは構内の様子を眺めてみましょう。

大内駅は単式ホームがあるだけの停留所タイプの駅。

有人駅時代は貨物の引き込み線を有していたそうです。

 

ホームの西側が島式タイプになっているので、

昔はここで荷役作業が行われていたのではないでしょうか?

 

ホームに備え付けられた上屋は

予土線や予讃線でよく見るタイプのモノです。

 

他と違うのは、駅便(駅の便所)ではなく倉庫が備わる点。

大内駅は昭和46年から

駅前商店で切符を売る構外簡易委託駅だったそうですので、

ここが駆け込み寺(便意的に)だったのかもしれませんね。

 

今回は無事に退院出来ましたが、

病気の処置があと1か月遅かったら

「駅巡り」を楽しめないカラダになってたかも。

やりたいことがあったら健康なうちに実現していた方がいいと

つくづく感じる今日この頃でした。

 

国鉄時代の予土線と大内駅を知るなら必読な一冊です。

 

国有化以前の宇和島鉄道の路線や車両の記事が掲載されてます。

 

 

訪問駅リスト(JR線)

予土線(しまんとグリーンライン)

 

↑(若井駅方面)

家地川駅(平成28年10月13日)

打井川駅(平成28年10月13日)

土佐大正駅(平成28年10月13日)

土佐昭和駅(平成28年10月13日)

十川駅(平成28年10月13日)

半家駅(平成28年10月13日)

江川崎駅(平成28年10月13日)

西ヶ方駅(平成28年10月14日)

真土駅(平成28年10月14日)

吉野生駅(平成28年10月14日)

松丸駅(平成28年10月14日)

出目駅(平成28年10月14日)

近永駅(平成28年10月14日)

深田駅(平成28年10月14日)

大内駅(平成28年10月14日)

二名駅(平成28年10月14日)

伊予宮野下駅(平成28年10月14日)

務田駅(平成28年10月14日)

↓(北宇和島駅方面)

 

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