皆さま、おばんです!
JRの駅施設でよく見かける建物財産票。
かつて国鉄駅が国有資産だったことから
現在も駅施設に貼られている、建物の建立年を記すプレートでした。
これを見れば建物の建立年がわかるので、
駅を巡るたびに欠かさずチェックしてましたよ。
こちらは今から4年前に訪れた旅中で見かけた、
建立年が明治35年7月であることを記す建物財産票です。
奥羽本線・柳田(やなぎだ)駅の駅舎に貼られてました。
明治時代の建物財産票を見つけた時は
必ずと言っていいほど興奮しまくる自分でしたが、
ここでひとつ、大きな疑問が生じたのです。
こちらが建物財産票が貼られていた木造駅舎、
確かに古い駅舎であることは間違いないのですが…
明治35年に柳田駅なくね?
柳田駅は大正10年に開業した柳田信号場を
大正15年に昇格して誕生した駅なのです。
ここに明治35年築の駅舎があるはずはないのですよね。
…そもそもこの地に奥羽本線が開通したのは明治38年ですから、
明治35年には線路すら通ってなかったはず。
だとすると、この建物財産票の正体は一体…?
明治35年は奥羽本線の秋田駅-東能代駅間が開通したりと、
秋田地区の鉄道にとってはそれなりにエポックメイキングな年でした。
秋田駅や土崎駅、追分駅等々、
秋田地区には明治35年に開業した駅が数多く存在するので、
駅舎を移設した可能性も考えましたが、
その答えは意外なところに潜んでましたよ。
何かめくれたシールが貼られている?
そこでシールを元の位置に戻したところ…
昭和元年に訂正されてるじゃないですか!
明治35年築の建物財産票は単なる誤記だったみたいです。
しかし、火のない所に煙は立たぬモノ。
この建物財産票は他の駅から移し替えたモノではないでしょうかね?
後付け感がハンパないのですけど。
柳田駅にはもうひとつ建物財産票のネタがありまして、
構内には古めかしい駅便(駅の便所)がありますが、
こちらは駅舎よりも古い「大正14年築」の財産票が貼られてます。
大正14年は柳田駅が信号場だった時代…
そんな時代の駅便がいまだに現役とかスゴイと思いません?
こんなステキな建物だらけの柳田駅でしたが
現在はすべて撤去済らしく。
平成29年の冬に簡易駅舎に代わってしまったんですって。
こんなんだったら、もっと見ておくべきだった…
JR移行後も木造駅舎天国だった秋田地区ですが、
ここ数年で一気に駅舎が更新された気がします。
JR東日本エリアで木造駅舎が見られる最後の砦は羽越本線か?
駅巡りのためにも早くコロナが終息してほしいですね。
それでは構内を覗いてみましょう。
まずは駅舎からです。
柳田駅は昭和50年無人化されたとのことですが、
その後も簡易委託駅として切符を売ってたのではないでしょうか?
出札窓口がカーテンが閉め切られた状態で残ってましたよ。
国鉄時代の柳田駅の写真を見ると、
駅舎の事務スペースに商店が写ってますので
お店で切符の販売を兼業してたのかもしれません。
ラッチを抜けてホームに入ります。
柳田駅は単線上に設けられた、
列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造でした。
こちらは有人駅時代に使われていた貨物ホームの跡かな?
国鉄時代の駅名標が健在なり~
名所案内が塗りつぶされてますが(錆で覆われてる?)
ここには「大屋の梅林」「大屋沼」が書かれていたようです。
共に駅から15分ほどの場所にあるみたいですね。
柳田駅の駅前風景です。
駅は閑静な集落の中にありました。
最後は、雨の日でも「駅巡り」をしにやってきた自分へのご褒美です。
駅の近くに廃ワムな倉庫がありましたよ。
現役の貨物列車に見えるのは自分だけかな?
「駅巡り」の楽しみのひとつでもある建物財産票。
柳田駅の駅舎のモノも謎な感じでしたが、
最たるものは実在しない「大正17年」が記された
東北本線・岡本駅のホームの待合室のモノだと思います。
こちらも今は撤去されちゃったのかな?
アレはどうしてあんな表記だったんでしたっけ?
羽前豊里駅
釜淵駅
院内駅
横堀駅
上湯沢駅
湯沢駅(平成26年8月25日) ・新駅舎(平成28年5月7日)
下湯沢駅
十文字駅
柳田駅(平成28年5月7日)
横手駅
大曲駅
神宮寺駅
刈和野駅
峰吉川駅
羽後境駅
大張野駅
和田駅
四ツ小屋駅
秋田駅
駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。
新着情報がすぐ受け取れるフォロワー登録をお願いします!