この作品は,太宰治が実在の書簡に基づいて書いた同名小説を原作としたものであり,終戦頃の話しである。

 染谷将太演じる主人公小柴利助は,結核にかかった20歳の青年である。戦争中は結核患者である自らを,役に立たないものとして自暴自棄になっていたが,終戦により新しい時代の到来と共に「新しい男」になろうとする。
 この物語は,彼が結核療養のために入所した健康道場での日々が中心である。
 仲里依紗はこの健康道場の看護助手三浦正子の役である。

 この健康道場は,おそらく当時流行していた自己治癒力を向上させるという治療方針に基づいて設立されたものと思われ,道場内での会話で頻繁に出てくる
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」
という挨拶も,口に出した言葉が潜在意識に影響を与え,自律神経に作用して自己治癒力を高めるという考えに基づくものと思われる。
 健康道場では,患者も看護助手も互いにあだ名で呼び合うことにされ,主人公は「ひばり」,三浦正子は「マア坊」,そしてひばりの心を乱すもうひとりの看護助手竹中静子(芥川賞作家の川上未映子が演じている)が「竹さん」と呼ばれる。

 竹さんは,ひばりの友人西脇つくし(窪塚洋介)が,健康を取り戻して退所するのと入れ違いに看護助手の班長として赴任してくる。
 書簡形式の原作では,ひばりからつくしへの手紙で,竹さんのことは,しっかりしているが大柄で色気のない年増とに書かれているが,物語の終盤で,実は竹さんがすごい美人であることが明らかになる。そして,竹さんのことをこのように書き続けていたひばりの心持ちが物語の重要な核心のひとつとなっている。しかし,映画では竹さんの容姿を隠すわけにはいかず,初めの方から竹さんが美人であることが前提として物語は進み,ストーリーも原作と変更されている。

 主人公ひばりの心は,仲里依紗演じる天真爛漫なマア坊と,班長として落ち着いた振る舞いで母性を感じさせる竹さんの間で揺れ動く。
 その間にも,ひばりは新しい時代にふさわしい新しい男はどうあるべきかと悩み,竹さんやマア坊との接し方も,常にそれを基準としている。
 しかし,彼の言う「新しい男」がどのような男のことなのかは,どうも良く分からないし,彼自身にも分かっているかどうか疑問である。
 ただ,終戦という新しい時代を迎えてどのように生きるべきかという悩みは,ひばりだけのものではなく,過去にこだわる者,変わろうとする者など,入所者の男たちは多かれ少なかれ,このような気持ちの中で生活している。

 男たちが皆時代の移り変わりに戸惑い,見当外れとも見えるこだわりを見せているのに対して,形は違うが竹さんもマア坊も,自分の心に素直に従って生きている。
 とくに仲里依紗の演じるマア坊は,ひばりに素直に気持ちをぶつけ,嫉妬し,時には誘惑する。
時をかける少女で,仲里依紗演じるあかりは「昭和の男はめんどくさい」と言ったが,この作品で彼女は,時代にとらわれない生き方をする昭和前半の女を演じて見せた。
 そしてマア坊は,最後には,ひばりに「僕は,透き通るほど無欲な美しさに出会った,これだけは手放したくない」と言わせる。
 そして,竹さんも自らの幸せを手に入れる。

 原作が何を訴えようとしたかは,私には正直,良く分からないところがあるが,少なくともこの映画においては,際立って女性の強さが感じられる。