宮本武蔵 一乗寺の決斗(三十五)「われ事に於いて後悔せず」 | 俺の命はウルトラ・アイ

宮本武蔵 一乗寺の決斗(三十五)「われ事に於いて後悔せず」

『宮本武蔵 一乗寺の決斗』

  映画 トーキー 128分 

 イーストマンカラー 白黒映像あり

 東映スコープ

 昭和三十九年(1964年)一月一日公開

  製作国  日本

 

 制作   東映京都

 

 製作   大川博

 

 企画   辻野公晴 

       小川貴也 

       翁長孝雄

 

 原作   吉川英治

 

 脚本   鈴木尚之

       内田吐夢

 

 撮影   吉田貞次

 照明   和多田弘

 録音   渡部芳史

 美術   鈴木孝俊

 音楽   小杉太一郎

 編集   宮本信太郎

 

  助監督 鎌田房夫

 記録   国定淑孝

 装置   館清士

 装飾   宮川俊夫

 美粧   林政信

 結髪   桜井文子

 衣裳   三上剛

 擬斗   足立伶二郎 

 進行主任 神先頌尚

 

 出演

 

 中村錦之助(宮本武蔵)

 

 丘さとみ(朱実)

 入江若葉(お通)

 岩崎加根子(吉野太夫)

 

 木村功(本位田又八)
 河原崎長一郎(林彦次郎)

 谷啓(赤壁八十馬)
 浪花千栄子(お杉)

 平幹二朗(吉岡伝七郎)

  

 佐藤慶(太田黒兵助)

 織田政雄(木賃宿の親父)

 沢村宗之助(叡山の法師)

 竹内満(城太郎)

 香川良介(植田良平)

 徳大寺伸(烏丸光広)

 花澤徳衛(青木丹左衛門)

 

 中村時之介

 中村錦司

 国一太郎(横川勘助)

 楠本健二

 水野浩(南保与一兵衛)

 有馬宏治

 凰玲子

 藤代佳子

 霧島八千代(墨菊太夫)

 松浦築枝(壬生源左衛門の妻)

 

 萩原満

 関山耕司

 団徳麿(民八)

 片岡半蔵

 島田景一郎

 林彰太郎

 鈴木金哉(御池十郎左衛門)

 阿波地大輔

 西本雄司(壬生源次郎)

 小野恵子(りん弥)

 

 島田秀雄

 有川正治

 小山田良樹

 暁涼子(小菩薩太夫)

 八坂京子(唐琴太夫)

 松田利夫

 藤本秀夫

 大城泰

 大山洋一

 那須伸太朗(徳大寺実久)

 

 源八郎

 兼田好三

 木島修次郎

 市川裕二

 鷹司襄記

 唐沢民賢

 毛利清二

 土橋勇

 利根川弘

 江木健二

 波多野博

 

 

 山形勲(壬生源左衛門)

 東野英治郎(灰屋紹由)

 東山千栄子(妙秀)

 千田是也(本阿弥光悦)


 

 高倉健(佐々木小次郎)

 江原真二郎(吉岡清十郎)

 

 

 解説部分引用制止画像出演(ノンクレジット)

 木暮実千代(お甲)

 三国連太郎(宗彭沢庵)

 山本麟一(阿巖) 

 南廣(祇園藤次) 

 

 

 監督 内田吐夢

 

 ☆☆☆

 小川貴也=小川三喜雄=初代中村獅童=小川三喜雄

 

 中村錦之助=初代中村錦之助

         =小川矜一郎→初代萬屋錦之介

         =小川錦一

 

 香川良介=香川遼

 

 河原崎長一郎の役名は一部資料では林吉次郎と

書かれている。

 ☆☆☆

 画像・台詞出典 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』DVD

 ☆☆☆

  台詞の引用・シークエンスの考察は、研究・

 学習の為です。 
 東映様にはおかれましては、ご理解・ご寛

恕を賜りますようお願い申し上げます。

 感想記事では物語の核心に言及します。

引用文の中に排泄に関する言葉がありま

す。未見の方・御食事中の方はご注意下さい。

☆☆☆

 平成十一年(1999年)九月十一日福原国際東映

 平成十二年(2000年)九月八日高槻松竹

 平成十五年(2003年)五月二十二日京都文化博物館

 にて鑑賞

☆☆☆

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 宮本武蔵は「八幡。命あっての勝負」と宣言する。一

人対七十三人の戦いだ。一人の武蔵の歩みは、初めゆ

っくりとした足取りだが、次第に速度を増して行く。素早

く動き、小剣を投げ、吉岡門弟を刺殺し、門弟が持って

いた鉄砲が暴発する。壬生父子・吉岡一門は動転する。

 

   「約定によって宮本武蔵、試合に参った!いざ」

 

 武蔵は二刀流で三人の吉岡門弟を一気に刺殺する。

源次郎少年は「怖い」と叫ぶ。父源左衛門は愛息源次

郎を抱きしめて、武蔵の剣から守ろうとする。武蔵は源

左衛門の背後に立ち、刀を向ける。

 

   「子供よ!許せ」

 

 斬殺の前に許しを乞うが、その眼には殺意が光り、野獣

のように恐ろしい表情となっている。

 

 武蔵は剣を強く握り、源左衛門の背から、源次郎少年の内

臓まで一気に突き刺し、父子二人に致命傷を与える。源左衛

門は「うおう」、源次郎少年が「うう」とうめき声をあげて崩れて

死亡する。

 父子斬殺を見た林彦次郎は「おのれ!鬼め」と叫び、怒り

心頭に達し武蔵のもとに駆けて行く。

 武蔵は、飛んで吉岡剣士を一人斬り、また一人刺殺し、三

人を斬り倒した。吉岡一門の重鎮植田良平と対峙した武蔵は

一気に彼も刺殺する。太田黒兵助が斬りかかってくるが、武

蔵は彼も一刀のもとに斬殺する。武蔵は走りながら、四人の

吉岡剣士を素早い動作で斬り伏せる。怒りに燃える林が追う。

 

 その光景を見た佐々木小次郎は、「無駄だ。武蔵の剣を倒

せるのは、俺以外にない。」と冷厳に語る。

 武蔵は二刀で剣士一人を斬る。全身に返り血を浴びている。

田圃の畦道で武蔵は四人の吉岡剣士と戦い、彼等を斬り殺す。

 疾走する武蔵の前に林が立ちはだかった。

 

   林「待て!逃げるか?武蔵?」

 

   武蔵「おお!」

 

   林「武蔵。貴様の剣を見たぞ!卑怯者」

 

   武蔵「卑怯ではない、そこをどけ!」

 

   林「どかぬ!貴様の剣は非道だ。余りと言えば無慈悲

     な剣。叩き折ってやる!」

 

 吉岡の門弟達も林の名を呼ぶ。激怒する林は、武蔵に

斬りかかる。武蔵も応戦しつつ逃げるが怯えと恐怖が迫

ってくる。

 

   武蔵「来るな」

 

   林「待て」

 

 武蔵と林は畦道で戦っていたが、共に田圃に落ちる。

全身泥塗れになる。泥とぬかるみの中に足が落ちて

膝を大きく伸ばさないと抜けられない。泥の中で動き

は当然鈍くなる。全身の疲労と心理の緊張も極限に

近付く。そこへ林の憤怒の剣が追いかけてくる。林も

泥にまみれながら武蔵への制裁の剣を振るうが、逃げ

る武蔵を捕えられない。

 

   林「叩き折るまで逃がすか!」

 

   武蔵「寄るな!寄るな!寄るでない!寄るなと

       いうに」

 

 泥の中で武蔵は逃げ、林は追い、「覚悟」と叫んで

渾身の力を振り絞って斬りかかる。武蔵は応戦して

刀を振り、刃は林の両目を斬った。激痛で両目を抑え

る林。

 

 武蔵は叫び声を挙げて恐れる。林は視力を失って

も武蔵を倒そうとする。武蔵は恐れ田圃の畔道を駆け

て逃げて行く。

 山の中で草の上に武蔵は横たわり、激しい息遣いで呼吸を

する。全身血と泥に塗れている。

 

 比叡山無動寺において武蔵は観音菩薩の木像を彫ってい

る。法師が五人の僧を伴って現れた。

  

    「宮本の武蔵とはそのほうの事か。中堂延暦寺の衆判

    において申し渡す。叡山は浄地たり、霊域たり、怨恨を

    負うて逃避するものの潜伏をゆるさず、況んや不逞逃

    走の輩をや。只今当無動寺へも申しおいたが、即刻当

    山より退去あるべし。違背あるにおいては、山門の厳

    則に照らして処罰申そうぞ。左様心得られい。」

 

 法師の厳しい立ち退きの命令を聞き、無動寺の言葉との矛

盾を感じた。

   

    「仰せの趣承知致しました。しかしこれは何か司直の

     お指図でござろうか?それとも当山の役寮の沙汰で

     あろうか?先に、無動寺の届けには、滞在のこと苦

     しからずとあったものを、にわかな御厳命、甚だ意を

     得ぬが?」

 

  武蔵の問に法師が厳しく答える。

 

    「そう訊くならばいって遣わそう。役寮においては最初

    下がり松において吉岡方をただ一名で相手した侍と

    お手前に満腔の好意をもっていたのであるが、その後 

    いろいろと悪評が伝わり、御山に匿まいべからずとい

    う衆議になったからじゃ。」

 

  武蔵は「悪評?分かりました。明朝には必ず立ち退きま

しょう」と厳命に対して疑問を感じつつも従う。僧達は「外道」

「羅刹」「悪魔」と罵倒する。

 

       武蔵「役寮の命とあるゆえ、神妙に仰せごとを受け申

       しておるに口ぎたない罵詈は心得申さぬ。わざ

       とそれがしに喧嘩でも売ろうと召さるか?」

    

   僧「み仏に仕えるわれわれ、喧嘩など売るきはいみじ

     んもないが、自ら喉を破って今のような言葉が出て

     しまったのだ」

 

 他の僧たちも「天の声だ」「人をしていわしめたのだ」と怒

鳴る。

 

    武蔵「人をしていわしむるといわれたな。天の声と

        いわれたな。」

 

 僧達は一斉に「そうだ」と答える。

 

    武蔵「そのようなこと言われる覚えはない。俺は正

        しい。寸毫もあの試合において卑劣はしてい

        ない。武士の道に従って堂々と戦った迄、天

        地に恥じる心はない。」

   

    法師「ならば訊く。何が故に子供迄斬ったか?あの

        源次郎と呼ぶ幼少を無残にも斬り伏せたか?

        悪鬼羅刹と呼んでもまだいいたらぬ気がする

        わ。それでもおぬしは人間か?叡山は、汝を

        追う!一刻もはやく、この御山を出て失せいっ」

 

  法師と五人の僧は去る。

 

  武蔵は右手を床に付き、自問する。

 

      「たとい子供でも敵の名目人であるからには、そ

       れはれっきとした大将だ。三軍の旗だ。何故そ

       れを斬って悪いか?いたいけない子供を名目

       人に立てることこそ責められるべきではないの

       か?敵の象徴を斬らずして武蔵の勝利は無か

       ったのだ。われ事において、後悔せず」

 

   武蔵は観音菩薩の木像を掘り、像を両手で掴んだ。

 

☆生命苦闘☆

 

 内田吐夢は明治三十一(1898年)年四月二十六日に誕生

した。本名は内田常次郎である。映画俳優として活躍し後に

監督となった。監督作品『宮本武蔵 一乗寺の決斗』が公開

された時は昭和三十九年(1964年)一月一日。時に吐夢満

年齢六十四歳である。

 初代中村錦之助は昭和七年(1932年)十一月二十日に誕

生した。本名は小川錦一である。歌舞伎俳優として活動し、

後に映画界に移った。東映において大スタアになり、日本時

代劇映画の黄金期を開いた。主演作品『宮本武蔵 一乗寺

の決斗』公開時は満年齢三十一歳である。

  本作の一乗寺決斗シーンは白黒映像で撮影されている。

この白黒の色彩が、決斗の凄惨さを深く表現している。

 

  錦之助は饗場野における一乗寺撮影シーン撮影につい

て語っている。その言葉は、鈴木尚之著『私説内田吐夢伝』

(2000年3月16日発行 岩波現代文庫)に収められている。

 

    「あれは真冬の饗場野のロケなんですが、陽の出の

     ほんのすこしまえ、少しあかるくなる時分を狙ったわ

     けです。ところが時間にしてみるとわずか、二、三十

     分です。すぐ陽があがってしまうからNGがきかない。

     その間に撮影してしまわなければならんのです。そ

     の待っている時間のながいこと、また生身の身体で

     すから緊張もするし、ビビってもくる。監督はあの大

     きな手をふっていうわけです。「錦之助君、糞はした

     か、ションベンしてこい!」、勿論他のスタッフたちに

     も言う。なかにはほんとうにそこいらの草むらで糞を

     するのも出てくる。みんな、焚き火のまわりに緊迫

     した顔で、あっちへウロウロ、こっちへウロウロです。

     咽喉がカラカラになり、気迫が出てくる。・・・・・・ぶっ

     つけ本番ですよ。十五分か二十分しか撮れない。昼

     食を食べてからつぎのシーンのリハーサルを入念に

     おこなっておいて、つぎの日の朝になる。そんな日が

     一ヶ月近くもつづくんですからね。で、あの「オーイ

     本番いくぞォ」の声を聞いたら、ビュっという緊張感

     が現場に走る。本番しかないから「ころんだら、ころん

     だまま演れ!」というわけで、ぼくばかりじゃない、み

     んな自然に決闘にいくような気になってしまった。そ

     の気迫があの迫力を生んだのだと思います。でも、

     そのくせ「寒いから骨でも居られたらかなわん。柔軟

     体操せい」なんていってるんです。」

     (354-355頁)

 

  昭和三十八年の極寒の饗場野において朝の限られた時

間で撮影する。「転んだら転んだまま演れ」という指示を語っ

て、吐夢は俳優達に緊張感を呼び、ぶつかりあう合うシーン

の闘争心を刺激する。

 完成した作品を見直すと、白黒映像の迫力が凄い。

 

 武蔵は七十三人に囲まれた中での戦いである事を確かめ

る。「命あっての勝負」の言葉は、武蔵にとって深い真実で

ある。命が全てであり、生きることを支えている。その命が

あって剣と剣の勝負が成り立つ。七十三人の敵に狙われ

ている自己の命を救う道は、七十三人を斬り倒すしかない。

 武蔵は小剣を投げて銃を構える剣士を殺し、その銃の

暴発音で壬生父子は動揺する。源次郎少年の恐怖を美

少年俳優西本雄司が繊細に伝える。我が子源次郎を守る

為に抱きしめる壬生源左衛門。山形勲の父性愛が光る。

 武蔵は自己の命を生きる為に、源左衛門・源次郎父子

を串刺しにして斬殺する。このシーンの残酷さは、全五部

の中でも強烈である。初代中村錦之助の獣性は圧巻であ

る。植田や太田黒といった剣の名人たちも武蔵の剣の前

では敵ではなく、瞬時に斬殺される。

 数多の敵に囲繞され、斬りかかられても、武蔵は彼等

を返り討ちにする。大人数の吉岡方を一人の武蔵が倒

して行く。

 その大剣士武蔵が恐れる相手は、元吉岡一門門弟であ

った林彦次郎であった。林の目の凄みを河原崎長一郎が

表現する。武蔵の剣は最高をめざすものだが、その最高

とは大人数の敵を斬り葬ることであった。その最高の座に

就きつつある武蔵を、良心と義に燃える林が問う。壬生父

子を無残に殺した武蔵の剣に怒りを覚える。武蔵と林が

田圃の中に落ちて、全身泥んこになりつつも、林は武蔵

を懸命に追う。田圃の中の逃走と追走は、罪を犯した武蔵

と罪を糾弾する林の苦悩の中の激突でもある。

 武蔵は林の両目を斬って驚き、自己自身の罪に強く苦悩

する。

 「剣は人殺し」のテーマが、戦争反対を語っていることは

確かであろう。更には、生物が生きて行く為には他の動植

物を斬り、その命を食事として頂くことも内包していると言

えよう。

 

 

 怒れる林が武蔵を糾弾・叱責し泥の中で追う。泥に塗れ

ていく武蔵と林。二人の苦悩が身も心も覆っていることと

連関している。

 

 

 武蔵が林の両目を斬って大声で叫び、罪の痛みを全身

で感じる場面は、本作の主題を集約している。七十三人の

大多数の敵を相手に激闘の斬り合いを為して武蔵は勝利

を掴んだ。だがそれは幼い源次郎少年も殺してしまうという

残酷な殺人でもあった。

 

 吐夢は白黒映像で武蔵と吉岡一門の決斗を重厚に撮っ

た。武蔵は吉岡方七十三人を斬り倒し、剣が求める最高

のものを得る。勝利者の名声は入った。だが、林の激怒

に遭い、彼の目を斬って罪に苦しむ。その痛みは因とな

った源次郎少年を斬ってしまったことへの悲しみとも通じ

合う。

 七十三人の敵を斬り圧倒し勝利を収めた武蔵が、草

の上に寝転がるシーンは異様な美しさを見せている。

 剣の勝利者が、命を奪うことにより悲しみを覚えると

いう物語とも連関している。

 

 比叡山無動寺において木像を掘る武蔵。僧達は源次

郎少年を斬ったことを聞き、武蔵を外道・悪魔・羅刹と

誹謗中傷する。罵詈雑言に怒る武蔵だが、源次郎少年

を斬殺したことを糾弾されると、苦悩する。

 法師の叱責は、武蔵自身の心の至奥にある罪の意識

を鋭く突く。大決戦の勝利は苦く痛い感覚を心に呼び起

こす。「それでもおぬしは人間か?」の問は、武蔵にとっ

て罪の痛み直撃されるものであった。

 

 二代目沢村宗之助の法師が厳しさを見せる。剣に勝つ

為に少年を斬殺したことを法師は叱責する。その言葉が

武蔵の心の中の最も痛いところを痛撃する。

 

 少年といえども名目人である以上は、三軍の旗であり、

大将である。武蔵は敵の大将源次郎少年を斬殺しなけ

れば武蔵の勝利は無かったと語る。剣の勝利は相手を

殺す事であり、苦しみと出会い、罪を荷う。罪の痛みが

心に迫る。剣士として誠実に道を歩み、最高のものを

求めて大勝利を収める。課題を為し遂げた武蔵の心に、

勝つ為にいたいけない子供を殺したことへの悲しみが

胸に迫り心を震わせる。

 「われ事において後悔せず」の言葉は、無限の後悔が

武蔵の身に迫っている事を明かしている。後悔が痛感

されるが故にこの言葉が出てくるのである。源次郎少年

を斬ったことへの悲しみから、武蔵は観音菩薩の像を

懸命に彫る。観音は慈悲を教えてくれる。

 剣に命を見て、剣に生きた武蔵が道を極めれば沢山

の人々を殺傷し血を流さなければならない。その罪に

悲しみを抱きつつ、罪の身・罪の命であることを自己確

認する。湧き起こる後悔を払って、命を奪ったことへの謝

罪の心を明かし観音の慈悲を思う。

 武蔵にとって、「剣は命」の精神が生きることの主題で

あり、「名利でも栄達でもない」ものを求め、「剣は最高の

もの」を欲しているという事柄を抑え、「命あっての勝負」

に挑み七十三人の敵を殺傷した。剣士として武蔵は勝つ

が、人間としては大量虐殺犯として糾弾され自身も苦し

みぬく。溢れる後悔に苦悶しそれを払って、観音菩薩の慈悲に学ぼうとする。生きる為に罪を犯したこと

への痛みがあり、悲しみが溢れている。苦にあえぎ苦と

闘い苦を荷う。

 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』は、苦しく悲しい闘いが、

生命の内実であることを明かしている。「命あっての勝

負」に勝って、罪を犯し後悔せず、苦を受け止める。

 武蔵は、無限の苦と大いなる悲しみを荷う「われ」を

確かめたのである。

                         

                           文中敬称略

 

 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』五十六歳誕生日

                 令和二年(2020年)一月一日

 

 

                               合掌

 

                          南無阿弥陀仏

 

 

                               セブン