akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -12ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.1019-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<伏石  

今報は、伏石町の伏石神社・伏石立石公園・立石神社・蓮池・伏石中央公園の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、伏石神社

高松市伏石町:〒760-8071

 

▼伏石立石公園、立石神社

 

▼蓮池、伏石中央公園

 

 

▼伏石町に入った、伏石神社へ向かう(約0.4km)

 

▼伏石町を東方向に進む-1(左側に宮地邸と奥にみやじマンション)、宮地邸-1

 

▼宮地邸-2、みやじマンション-1

 

▼みやじマンション-2

 

▼伏石町を東方向に進む-2(左側に太田小の運動場)、左奥東側に太田小学校の運動場

 

▼伏石町を東方向に進む-3、左に太田小学校

 

▼太田小学校の南門、伏石町を南方向に進み次の交点を左折

 

▼伏石町を東方向に進み次の交点を左折、伏石町を北方向に進み伏石神社へ

 

 

フォトSketch-伏石神社

大田小学校の南に鎮座し、伏石三石神社の第一社である。

祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。慶長七年寺島弥兵吉長の創建と伝えられ昔から当社東の立石神社/南東の居石神社とともに三所八幡又三石八幡といわれている。

 

▼左奥に伏石神社が見えて来た、伏石神社に着いた

 

▼伏石神社-1

 

▼伏石神社-2

▼伏石神社-3

 

▼伏石神社-4

 

▼伏石神社-5

 

▼伏石神社-6

▼伏石神社-7

 

▼奥は太田小学校、伏石神社-8

 

▼伏石神社-9

 

▼伏石神社-10

 

▼伏石神社-11

 

▼伏石神社-12

 

▼伏石神社-13

 

▼伏石神社-14

 

▼伏石神社-15、伏石神社の表参道-1

 

▼伏石神社-16、伏石神社の表参道-2

 

▼伏石神社の表参道-3、伏石神社の表参道を振り返る

 

▼伏石立石公園・伏石神社へ向かう(約0.6km)、太田小学校東交差点を渡る

 

▼太田小学校東交差点から伏石神社を振り返る、伏石町を東方向に進む-1

 

▼伏石町を東方向に進む-2、左(東北)奥にアルファステイツ太田Ⅱ・ダイアパレスTroof伏石・ロイヤルガーデン伏石中央公園が見える

▼伏石町を東方向に進む-3(左奥に伏石神社御旅所)、伏石神社御旅所

 

▼左に伏石にこにこ保育園、伏石町を東方向に進む-4

 

▼伏石町を東方向に進む-5(左奥に伏石立石公園)、伏石立石公園に着いた

 

 

フォトSketch-伏石立石公園

一般的な遊具のほかにアスレチック遊具もあり楽しめる。
また立石神社が隣接していて、敷地内には鳥居があり参拝する事が出来る。

 

▼伏石立石公園-1

 

▼伏石立石公園-2

 

▼伏石立石公園-3、伏石立石公園から立石神社へ進む

 

 

フォトSketch-立石神社

伏石三社の第二社。

立石神社には白鬚大明神様も祀られている。

 

▼立石神社に着いた、立石神社-1

 

▼立石神社-2

 

▼立石神社-3

 

▼立石神社-4

 

▼立石神社-5

 

▼立石神社-6

 

▼立石神社-7

 

▼立石神社-8

 

引き続き、Vol.1019-3/3をご覧ください。

Vol.1019-2/3に続けてご覧ください。

 

▼蓮池へ向かう(約0.4km)、伏石町を西方向に進む-1(前方にロイヤルガーデン伏石中央公園)

 

▼左後方に伏石立石公園、伏石町を西方向に進む-2(正面奥にアルファステイツ太田Ⅱ-突き当りを右折)

 

▼右折後すぐに左折(正面はダイアパレスTroof伏石)、蓮池へ進む-1

 

▼蓮池へ進む-2(記念碑・祠が見える)、蓮池の南東の堤体に着いた

 

 

フォトSketch-蓮池

『1122年の大干ばつの際に鹿が掘り当てたという井出水の溜水用として、また1686年に所定された翁嫗夜話によると旧伏石村・松縄村・今里村の干ばつ対策として増築されたものと資料される』1999年に現在の姿になり、防災・景観保全に大きく寄与しています。(蓮池改修工事記念碑より)
一周約500mの小さな池で、池の畔に3カ所の休憩所が有り、周辺をウォーキングコースにしている方々の憩いの場になっている。水鳥が水面で遊ぶ姿を見ながら疲れを癒すのも一興かと思う。

 

▼蓮池の堤体に上がる、蓮池の東側の堤体を進む

 

▼蓮池の南側から西北方向のパノラマ景

▼蓮池の東南隅の記念碑・祠、伏石事件之碑

▼蓮池の東側から西方向のパノラマ景

▼蓮池の東側の堤体を北に進む、蓮池の西方向(正面中央にNTT西日本三条ビル)

 

▼伏石中央公園へ進む-1、右側に蓮池地蔵菩薩

 

▼伏石中央公園へ進む-2、左側に伏石中央公園

 

 

フォトSketch-伏石中央公園

ことでん伏石駅出口から徒歩で約13分の位置に有る。

とにかく広いので、ボール遊びOK!芝生の生えた小高い丘がいくつも有るので登ってみよう。

ベンチもあって眺めは良いし、ボールも飛んでこないので、安心して遊べる。

公園の周囲が遊歩道になっているので、ベビーカーを押しての散歩も良いと思う。

 

▼伏石中央公園を東北角から西南方向のパノラマ景

▼伏石中央公園を東北角から東北方向の野田池を見る(奥に屋島)、伏石中央公園沿いに西北方向に進む-1(右側はサーパス伏石中央公園)

 

▼伏石中央公園沿いに西北方向に進む-2、伏石中央公園の北西端に着いた

 

▼伏石中央公園の北西端から見る南方向のパノラマ景

▼伏石中央公園-1

 

▼伏石中央公園-2

▼高台の休憩所へ進む、高台の休憩所

 

▼高台の休憩所から見る蓮池のパノラマ景

▼高台の休憩所から見る伏石中央公園のパノラマ景

▼高台の休憩所から見る伏石中央公園の休憩所

 

▼高台の休憩所から見る伏石中央公園、蓮池

 

 

▼高台の休憩所から蓮池の北側の堤体に下りる、高台の休憩所から蓮池の北側の堤体に下りた

 

▼蓮池の北側から南方向のパノラマ景

▼蓮池の北側の堤体を西に進む

 

▼後方に伏石中央公園の休憩所が見える、蓮池の北西隅から見る東南方向

 

▼蓮池の西側の堤体を南に進む

 

▼蓮池の西側から見る東方向、蓮池の西南端から見る東北方向

 

▼蓮池の南側の堤体を東に進む、蓮池の南側の休憩所

 

▼蓮池の南側の休憩所から見る北方向のパノラマ景

 

▼帰路のことでん伏石駅へ向かう(約1.6Km)、蓮池沿いに西へ進みサン・フラワー通り交点を左折

 

▼サン・フラワー通り交点を直進横断し左折、サン・フラワー通りを南方向に進む-1

 

▼太田小学校東交差点に戻って来た、太田小学校東交差点の右(西)は伏石神社の表参道

▼サン・フラワー通りを南方向に進む-2

 

▼サン・フラワー通りを南方向に進む-3、次の交点を右折

 

▼伏石町を西方向に進む、左に高松伏石郵便局

 

▼伏石町から太田下町に入る(右に三和電業㈱本社)、太田下町を西方向に進む

 

▼ことでん伏石駅が見えて来た、ことでん伏石駅に着いた

 

▼ことでん伏石駅①番のりばへ進む-1

▼ことでん伏石駅①番のりばへ進む-2

 

▼ことでん伏石駅①番のりばに着いた、ことでん伏石駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

遊歩道から見る宮池水上展望台。

パーゴラから見る宮池水上展望台の5日の移ろい。

 

 

雨中の宮池の風景と奥に霞む涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-130 Orignal掲載日:Vol.245 (2014.03.15)

擬態(ぎたい)する…。

 

自然界の生物たちは擬態しないと天敵に見つかり捕まる。あるいはエサ(食糧)が捕れないという事から、それに応じて進化を遂げて、色や形を変えるようになった。もちろん人間も例外ではない。

 

人間も常に擬態、カモフラージュをして生きている。家で、学校で、職場など日々の暮らしの中で、人はそれぞれ擬態している。人間の中にも、生物の擬態本能のようなものが残っているらしい。

日々流行が変わるファッションも、人間の擬態の一つと云えるのではないか。

美容も整形もそうだ。教育や「学ぶ」と云うことも一種の擬態かもしれない。

社会という枠組みに同化するための擬態だ。よい学校へ行き、よい会社に入らなければいけないという社会通念と、擬態できる才能・技術に長けている人ほど社会から評価される仕組みが、「擬態する人」を次々と生み出していると云える。

中には社会と同化するのを嫌い、擬態せずにありのままで生きていきたいと思っている人もいるだろうが、この世の中で生きて行く以上、社会制度の枠組み、一般の常識から外れることは容易なことではなく、擬態せざるを得ない方向へおいやられる。

それが成功だとか、出世だとか、豊かになるとか、ものを食えるとか、いろいろなことに繋がっていく。こうして人間も、日々の生活の中でほかの生物と同じく、擬態化している。

 

しかし、自然の生物の擬態と人間のそれとの間には大きな隔たりがある。

生物の擬態は生きるため、生命のためであって、それが結果的に自然界のバランスを保つことにも繋がっている。

一方、人間の擬態は、擬態することによって本当の自分を見失い、それぞれがニセモノになって行っている。よい学校、よい会社へ入るのはいいが、擬態すればするほど、多くの人が自然の摂理に反したニセモノの人間になってしまっている。

本来人間は、自然の摂理に則り、あるがままに生きていかなければならないのに、自分を含め多くの人がそれとは正反対の生き方をしている。

自然界の生物たちは自然の摂理に則して擬態しているが、人間は必ずしもそうではない。

善悪などを無視して擬態を続け、やがて欲と結びつき、ニセモノが氾濫する世の中をつくり出した。

 

偽装が横行する社会になったのも、当然の帰結なのかもしれないなと考える今日この頃の心境である。

 

 

<高くがる空間>

ある日のウォーキングコースの上空。

城山の登り口まで600mの地点から見る正面奥の城山と左に猪尻山。

右方向の法華寺と奥に袋山・奥谷ハイランドなどの団地。

城山の登り口まで300mの地点。

右方向の春日神社と奥に袋山・奥谷ハイランドなどの団地。

城山の登り口まで70mの地点。

右方向の奥谷ハイランドなどの団地。

城山の登り口から後方を振り返る。

城山の中腹のコースから見る城山。

城山の中腹のコースから見る袋山。

城山の中腹のコースから見る袋山・奥谷ハイランドなどの団地。

城山の中腹のコースから見るだんご山3兄弟。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の盆栽神社の寒緋(かんひさくら)

開花時期は3月初旬~3月末頃の暖地性の桜であるので、2月上旬では未だ早いが現状を掲載した。

各種の桜にさきがけて開花し、かつ、鮮やかな濃いピンク色の花なのでとても目立つ。

 

1月下旬頃に「沖縄で、全国初の花見♪」とのニュースが毎年あるが、ここでいう花見の花はこの「寒緋桜」のこと。沖縄は温暖なので、染井吉野などの育成が難しく、寒緋桜なら育つらしい。

別名は「緋寒桜(ひかんざくら)」。

◇盆栽神社の水仙

 

◇Kk宅の畑の紅梅

 

◇Hm宅に咲く椿

 

 

 

<akijii展-(574)

今報は、シールパズル-動物編8点目-馬で121シールです。

 

引き続き、Vol.1018-2/2をご覧ください。

Vol.1018-1/2に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<三条町  

今報は、三条町のゆめタウン高松・NTT西日本三条ビルの気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、ゆめタウン高松

高松市三条町:〒760-8072

 

紙町跨道橋から見る国道11号線の左(南-バス停:ゆめタウン高松前)方向、NTT西日本三条ビル

 

 

▼バス停「ゆめタウン高松前」で降車、ゆめタウン高松へ向かう(約0.5km)

 

▼上天神町を北方向に進み次の交点を右折(左側の国道11号線の奥に紙町跨道橋が見える)、上天神町を東に進む-1

 

▼上天神町を東に進む-2、左(北東)奥にゆめタウン高松が見えて来た

 

 

フォトSketch-ゆめタウン高松

高松市に所在する㈱イズミが運営するショッピングセンター「ゆめタウン」の一つである。

延床面積:117,000㎡、店舗面積:54,590㎡、年商:310億円。

旧東洋テックス工場跡のうち、現・百十四銀行新事務センターを除く大部分の土地を開発して造成され、1998年(平成10年)9月21日にプレオープンした。

 

▼上天神町を東に進む-3(次の交点を左折)、三条町に入った

 

▼右奥にゆめタウン高松、紙町跨道橋へ進む-1

▼紙町跨道橋へ進む-2

 

▼紙町跨道橋に着いた、紙町跨道橋の頂点

 

▼紙町跨道橋頂点から見る国道11号線の右(北)方向、左(南-バス停:ゆめタウン高松前)方向

▼紙町跨道橋から見るゆめタウン高松、紙町跨道橋から下り戻りながら見るゆめタウン高松-1

 

▼紙町跨道橋から下り戻りながら見るゆめタウン高松-2

 

▼エディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店へ進む-1、突き当りの交点を左折

 

▼東南方向に進む(奥の右端に見えて来た)、エディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店へ進む-2

 

▼ゆめタウン高松本館

 

▼エディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店へ進む-3

▼エディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店へ進む-4

 

▼右側がエディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店入口-左は本館南入口、NTT西日本三条ビルへ向かう(約0.5km)

 

▼交点を直進(左折-ゆめタウン高松本館東入口・東館)、左方向-ゆめタウン高松本館東入口・東館

 

▼右後方はエディオン・スーパースポーツゼビオゆめタウン高松店の東側、左後方はゆめタウン高松本館の東側

 

 

▼後方を振り返る、上天神町を東方向に進む-1

▼右側の駐車場、左側のゆめタウン高松東館

 

▼上天神町を東方向に進む-2(大西病院の南側沿い)

 

▼上天神町を東方向に進む-3(大西病院の南側沿い)

 

▼上天神町を東方向に進む-4

 

▼再び三条町に入った、後方に大西精神衛生研究所附属大西病院が見える

 

 

▼NTT西日本三条ビルへ進む-1、NTT西日本三条ビル-1

 

▼NTT西日本三条ビルへ進む-2、左奥はロゼ三条

 

▼県道280号線(塩江街道)交点を右折、NTT西日本三条ビル-2

 

▼県道280号線(塩江街道)を南に進む

 

 

フォトSketch-NTT西日本三条ビル

ことでん伏石駅から直線距離で487mの位置にあり、伏石駅出口から徒歩10分弱である。

西日本電信電話株式会社(NTT西日本)-四国香川事業部、NTTコムウェア西日本支店が入居している。

NTT西日本三条ビル前の一里松の碑は、「太田百年-創立百周年記念誌」(高松市立太田小学校「太田百年」記念誌委員会/編 高松市立太田小学校1997年発行)に、次のような記述がある。(7-2頁)
初代藩主松平頼重が百相に菩提寺法然寺を造営したことにより、仏生山街道は、「お成り街道」と呼ばれた。起点はお城にかかる常盤橋で、そこから丁度一里の場所が現在のNTT三条局の敷地内北西隅辺りで、ここに一里松があった。

 

▼NTT西日本三条ビルに着いた、NTT西日本三条ビル-3

 

▼NTT西日本三条ビル-4

 

▼NTT西日本三条ビル-5

 

 

▼三条町の路地小径を東方向に進む-1、琴電琴平線高架橋へ向かう(約0.4km)

 

▼三条町の路地小径を東方向に進む-2

 

▼左側のNTT西日本三条ビル、三条町の路地小径を東方向に進む-3

 

▼三条町の路地小径を東方向に進む-4(次の交点を右折)、左後方のNTT西日本三条ビル

 

▼三条町の路地小径を南方向に進む-1、後方のNTT西日本三条ビル

 

▼三条町の路地小径を南方向に進む-2、右後方のNTT西日本三条ビル

 

▼三条町の路地小径を南方向に進む-3

 

▼三条町の路地小径を南方向に進む-4(次の交点を左折)、三条町を東方向に進む-1

 

▼三条町を東方向に進む-2、琴電琴平線高架橋を潜る-1

 

▼琴電琴平線高架橋を潜る-2、琴電琴平線高架橋を潜って伏石町に入った

(次報Vol.1019に続く)

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

夕暮れ時の宮池の水面と上空の雲。

 

ウォーキングコースから見る宮池地蔵堂とパーゴラの遠景。

宮池地蔵堂とパーゴラのズーム景。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-1。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-2。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-3。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-4。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-5。

宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-6。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-129 Orignal掲載日:Vol.244(2014.03.10)

アンパンマン…。

 

画家のやなせたかしさんは、「生涯現役、臨終定年(名僧:松原泰道さんの名言)」天寿を全うし、亨年94歳で亡くなりました。「アンパンマン」の単行本シリーズは400冊、総発行部数8,000万部、キャラクターグッズは1,000点に上り、その売上は1兆円を越すと云います。

アンパンマンが誕生したのは40年前で、25年前にアメニ化されテレビ放送されると大ブームになったが、このアンパンマンには、やなせさんの過酷な戦争体験が反映されていて、自身だけでなく弟さんも戦地で亡くなっているそうだ。やなせさんは「正義のための戦争なんてどこにもない。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。

逆転しない正義とは献身と愛だれだ。それも決して大袈裟なことではなく、目の前で餓死しそうな人がいるならば、その人に一片のパンを与えること」だと書いている。

なぜなら、人間とって最も辛いのは飢えだからだという。だからアンパンマンは自分の顔をちぎって困っている人に与えるのだ。自分の身を犠牲にして人を助けるという発想は、自分が傷つかないで正義を行うことなどできないと考えているからで、自分だけは安全圏にいて、自らの身を削ることなく利他の実践などできないということである。

 

当初、親たちには、自分の顔をちぎって食べさせることに違和感があったようだが、子どもたちの圧倒的な支持が、大人たちの戸惑いや批判を吹き飛ばしてしまった。アンパンマンは子どもたちが自ら選び、作り上げたヒーローなのである。正義の戦いなんてない、だから正義の名の下に相手を殺してはならないと考えるやなせさんのアンパンマンは、敵役のバイキンマンも完全にやっつけることはない。バイキンマンにしても愛すべき悪者で、ときには人の助けになったりもする。

その根底にあるものは、善も悪も絶対的なものではなく、総体的なものだという思想である。やなせさんにとって、絶対的に正しいことは、自己犠牲をも辞さない献身と愛だけなのである。

 

半世紀以上も前に作られた「手のひらを太陽に」の歌は、いずみたく作曲で作詞がやなせさんである。

---ぼくらはみんな生きている 生きているから 歌うんだ / 手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮 ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ友だちなんだ---

この歌詞を追ってみると、この歌は「共生」の讃歌であることが解る。

今日一日、共生の理想を持ち、精いっぱい倫理を実践して生きる。やなせさんの言葉では「目の前にいる人を喜ばせるために、一瞬一瞬を懸命に生きる」ということである。

倫理とは、人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもので、道徳、モラルである。

人が共に生き、仲良く楽しく暮らして行くための「すじみち」で、目に見えなくても、社会生活をまっとうする上に存在するルールをいう。

 

 

 <高く広がる空間> 

ほたる坂通りから見る南方向(新居新池と奥にだんご山3兄弟・火ノ山・十瓶山・鷲ノ山)の上空。

宮池への導入路から見る雨中のだんご山3兄弟の上空。

ウォーキングコース脇から見る雨中のだんご山3兄弟(伽藍山と六ツ目山が重なっている)の上空の遠景。

だんご山3兄弟(伽藍山と六ツ目山が重なっている)の上空のズーム景。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の畑の白梅が一輪一輪と咲き始めた

 

◇ウォーキングコース脇で咲き始めた水仙

 

◇ウォーキングコースのÌm宅の玄関の水仙

◇ウォーキングコースの満開蠟梅

・a地点

・b地点

・So宅

 

 

<akijii展-(573)

今報は、シールパズル-動物編7点目-孔雀で117シールです。

 

引き続き、Vol.1017-2/2をご覧ください。

Vol.1017-1/2に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<

今報は、桜町の桜町中学校と高松第一高校の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、桜町中学校

高松市桜町:〒760-0074

 

▼グレイスベース高松、高松第一高校

 

 

▼花ノ宮踏切東交差点を渡る(桜町に入った)、桜町中学校へ進む(約0.2Km)

 

▼桜町を北方向へ進む-1(左はモスバーガー)、後方の四電エンジニアリング㈱を振り返る

 

▼桜町を北方向へ進む-2(右側に桜町中学校が見えて来た)、右(東)側のバヴァートと新桜町寮-1

 

▼右(東)側のバヴァートと新桜町寮-2、桜町中学校校舎の西側に着いた

 

 

フォトSketch-桜町中学校

桜町二丁目にある高松市立中学校で、通学区域は高松市本庁地区の南部及び太田地区の北部で、2022年度の生徒数は777人。北側には市立髙松第一高校があり、コトデン花園駅・コトデン栗林駅・北のJR栗林駅も近い。

 

▼桜町中学校-1

 

▼桜町中学校-2

 

▼桜町中学校-3

 

▼桜町中学校-4、桜町中学校の正門前へ進む-1

 

▼桜町中学校-5、信号交差点を東側へ渡る

 

▼後方の花ノ宮踏切東交差点を振り返る、右奥に高松第一高校が見えて来た

▼桜町中学校の正門前へ進む-2、桜町中学校-6

▼桜町中学校の正門前へ進む-3、桜町中学校-7

 

▼桜町中学校の正門が見えて来た、桜町中学校の正門前に着いた

▼桜町中学校の正門、桜町中学校の校庭(校訓-向学・自主ブロンズ像)

▼桜町中学校の体育館、桜町中学校の北側沿いに東方向へ進む-1

 

▼桜町中学校の北側沿いに東方向へ進む-2

 

▼桜町中学校の校内、左側は高松第一高校-1

 

▼桜町中学校のプール、桜町中学校の北側沿いに東方向へ進む-3
 

▼後方の桜町中学校のプールを振り返る、側は高松第一高校-2

 

▼桜町中学校の北側沿いに東方向へ進む-4(東端に着いた)、桜町中学校の校庭

 

▼桜町中学校の東側、左側は高松第一高校-3

 

 

▼後方の桜町中学校の北側沿いを振り返る、高松第一高校の正門へ進む(約0.4km)

 

▼右奥はサーパス桜町さくら小路、サーパス桜町さくら小路の玄関口

 

▼サーパス桜町さくら小路、桜町を北方向に進む-1

 

▼左側に高松第一高校の出入口、右側左はサーパス桜町二丁目・右がロイヤルガーデン桜町二丁目

 

▼ロイヤルガーデン桜町二丁目、サーパス桜町二丁目

 

▼左側は高松第一高校-4、桜町を北方向に進む-2

 

▼桜町を北方向に進む-3(県道163号線に交差点を渡る)、正面のグレイスベース高松に寄る

 

▼グレイスベース高松

 

▼元の位置(交差点)に戻る(右奥に高松第一高が見える)、県道163号線の東方向(ロイヤルガーデン桜町二丁目)

 

▼県道163号線の西方向に進む-1、右側にロイヤルガーデン桜町レジデンスⅡ

 

 

フォトSketch-高松第一高校

桜町二丁目に所在する高松市立の高等学校で、通称は「一高(いちこう)」、「高一(たかいち)」。

文部科学省のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に認定されている。

校舎は栗林公園に程近い住宅地にある。1928年に設立した「高松市立第一中学校」(旧制中学校)と、1915に設立した「高松市立実科高等女学校」が前身で、幾度かの校名変更を経たのち、1948年の学制改革により「高松第一高等学校」と「高松第二高等学校」となった両校が、翌1949年に統合して現在に至る。

令和3年度には、最新の設備を有する新校舎が完成した。5階までの吹き抜けやプレゼンテーションステップ、オープンな作りの図書館や各教室、憩いの場所であると同時に学習にも使えるラウンジスペースなど、生徒同士や生徒と教職員のコミュニケーションを促す設計となっている。令和4年度には3階建ての新体育館も完成し、部活動や同窓会活動などで活用している。

 

▼県道163号線の西方向に進む-2(左側に高松第一高の正門が見えて来た)、高松第一高校-1

 

▼高松第一高校-2

 

▼高松第一高の正門に着いた、松第一高校-3

 

▼高松第一高校-4

 

▼高松第一高校-5

 

 

▼高松第一高の北側のロイヤルガーデン桜町レジデンスⅡ、次の交差点(県道163・160号)を右折

 

▼県道160号線を北に進む(右にロイヤルガーデン栗林公園-左奥にアルファタワー桜町)、ロイヤルガーデン栗林公園

 

▼アルファタワー桜町

 

▼県道160号線を南に進み交差点へ戻る(南東角に高松第一高体育館)、高松第一高体育館

 

▼高松第一高沿いに南へ進む

 

▼高松第一高の西門、花ノ宮踏切東交差点の方向を見る

▼後方を振り返る、帰路のことでん栗林公園駅へ進む(約0.2km)

▼突き当りを右折、桜町を北に進み県道160号線交点を左折

 

▼県道160号線を西に進む(ことでん栗林公園駅が見えて来た)、ことでん栗林公園駅に着いた

 

▼上りのホームへ進む、ことでん栗林公園駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

袋山と宮池の5日の移ろい。

陽光と輝く雲を映す宮池の水面。

戯れる宮池の水鳥のズーム景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-128 Orignal掲載日:Vol.231 (2013.12.30)

誤った努力は…

 

誤った努力はまったくの無駄だと思う。逆境から抜け出すために、さまざまな努力をするが、その努力が誤っていないか冷静に考えてみることも大切だ。無駄な努力とは、次のようなものをいう。

 

孟子いわく「木に登って魚を求む」。

こういう方向違いの努力は、気がつけば止められるが、誤った努力の中には、努力そのものの理解の仕方を誤っている場合があって、これを修正するのがかなりやっかいだ。

「私はこれだけ努力したんです。それだけは認めてください」こういう言われ方をすると、かなりの人は「まあ、そうだな」と思ってそれを受け入れてしまうのである。

世の中には「努力賞」というのもあるくらいだから、これも無理はない。

だが、これこそ誤った努力だと私は思っている。

 

努力は何のためにするのか。目標を達成するためだろうか。だったら成果をあげえない努力は無駄な努力ではないだろうか。無駄な努力をして、それを「認めろ」というのは虫がよすぎる。

一生懸命やっても成果が出ないこともある。

その種の努力を認めるのはやぶさかではないが、それを努力した側が言ってはならないと思う。

相手が認めてくれたら、喜んで受ければいい。努力させる側はそういう視点からも見てあげることが大切だが、努力をしている側が、成果もあげずに「努力を認めて欲しい」というのは卑しい根性ではないか。

…と思う2013年の暮れである。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコース(標高88m)から見る大麻山(善通寺市-標高616m-直線距離21km)の上空の遠景。

ウォーキングコースから見る大麻山(奥の端)の上空のズーム景。

ウォーキングコースから見る法華寺と奥の袋山の上空。

ウォーキングコースの快晴の上空(ジェット機が通過)。

ジェット機が通過のズーム景。

 

 

A seasonal flower 

◇宮池の遊歩道脇に咲いた一輪の蔓日(ツルニチニチソウ)

 

◇咲き揃った

a地点

 

b地点

 

◇ウォーキングコース脇の畑で蕾を膨らませる白梅

◇ウォーキングコースのアロエ

Yd宅

 

Hm宅

 

 

 

<akijii展-(572)

今報は、シールパズル-動物編6点目-熊で89シールです。

 

引き続き、Vol.1016-2/3をご覧ください。

Vol.1016-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<上之町>  

今報は、上之町の上之町北公園・上之町南公園・ことでん三条駅・平野市太郎顕彰碑の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、室新町の歩道橋

高松市上之町:〒760-8064

 

▼上之町北公園、上之町南公園

 

▼ことでん三条駅、平野市太郎顕彰碑

 

 

▼バス停「室北口」(室新町)の手前で降車、国道11号線の東側へ歩道橋を渡る

 

▼国道11号線沿いに南西へ進む(歩道橋が見えて来た)、室新町の歩道橋を渡る-1

 

▼室新町の歩道橋を渡る-2

 

▼歩道橋から見る国道11号線の右(南)方向、左(北)方向

▼歩道橋から見る東南方向のサーパスシティ栗林公園イーストテラスとウェストテラス、室新町の歩道橋から国道11号線の東側に下りる

 

▼室新町の歩道橋下りる途中で見るコナズ珈琲とレインボーカフェ、室新町の歩道橋を振り返る

 

▼国道11号線沿いに南西方向に進む-1、左側のレインボーカフェ-1

 

▼左側のレインボーカフェ-2、上之町北公園へ向かう(約0.4km)

 

▼国道11号線沿いに南西方向に進む-2(次の交点を左折)、室新町を東方向に進む-1(左奥はサーパスシティ栗林公園ウェストテラスとイーストテラス)

 

▼室新町を東方向に進む-2(東南方向中央にダイヤパレス弐番館)、室新町を東方向に進む-3

 

▼東南方向のダイヤパレス弐番館、室新町を東方向に進む-4(次の交点を右折して上之町に入る)

 

▼上之町を南に進む-1(奥にダイヤパレス弐番館)、左奥に上之町北公園が見えて来た

 

 

フォトSketch-上之町北公園

住宅街にある小さな公園、家族連れで遊んでいる人をよく見かける。

綺麗に清掃されているが他の公園のように芝生や雑草がなく全面砂なのですぐにホコリが舞うのが残念だ。

▼上之町北公園に着いた、上之町北公園-1

 

▼上之町北公園-2

▼上之町北公園-3

 

▼上之町北公園-4

 

▼上之町北公園-5

 

▼左折して上之町北公園の東隣の神社に寄る(正面奥はサーパス上之町ミッド・レジデンス)、上之町北公園の東隣の神社-1

 

▼上之町北公園の東隣の神社-2

 

▼上之町南公園へ向かう(約0.4km)、上之町を南に進む-2

 

▼上之町を南に進む-3(正面奥にサーパス上之町ミッド・レジデンス)、左(東)方向にKSB瀬戸内海放送高松本社の鉄塔が見える

 

▼上之町を南に進む-3、サーパス上之町ミッド・レジデンス

 

▼上之町を南に進む-4(正面奥にサーパス上之町フロント・マークス)、サーパス上之町フロント・マークス

 

▼右(西)奥にダイヤパレス上之町、上之町を南に進む-5(次の交点を左折)

 

▼左折して上之町を東方向に進む、上之町南公園へ進む-1(左側はサーパス上之町フロント・マークス-右側はドラッグストア・コスモス上之町店)

▼上之町南公園へ進む-2、上之町南公園に着いた

 

 

フォトSketch-上之町南公園

自販機、トイレ、ベンチがあり、遊具はブランコ、滑り台、鉄棒がある。

隣にドラッグストア「コスモス」があり、子供が少しお腹がすいたらお菓子など買いにも行け、またトイレにはおむつ交換台もあるので便利で、春は桜がすごく綺麗との事である。

▼上之町南公園-1

 

▼上之町南公園-2

 

▼上之町南公園-3、中央奥はサーパス上之町フロント・マークス

 

▼上之町南公園-4

 

 

▼上之町南公園を後にしてKSB瀬戸内海放送高松本社へ向かう(約0.3km)、上之町を北へ進む-1

 

▼後方の上之町南公園を振り返る、上之町を北へ進む-2(正面左奥はロイヤルガーデン上之町と右奥にKSB瀬戸内海放送高松本社の鉄塔)

 

▼右(東)奥にリマーク上之町、左(西)はサーパス上之町フロント・マークス・奥にダイヤパレス上之町

 

▼上之町を北へ進む-3(次のT交点を右折)、KSB瀬戸内海放送高松本社へ進む-1

 

▼KSB瀬戸内海放送高松本社へ進む-2、県道280号線(塩江街道)交点を左折

 

▼県道280号線(塩江街道)を北に進みKSB高松本社玄関前へ、KSB瀬戸内海放送高松本社に着いた

 

▼KSB瀬戸内海放送高松本社-1

 

▼KSB瀬戸内海放送高松本社-2

 

▼KSB瀬戸内海放送高松本社を後にしてことでん三条駅へ向かう(約0.4Km)、県道280号線を南に進む-1(右奥はロゼ上之町)

 

 

引き続き、Vol.1016-3/3をご覧ください。

Vol.1016-2/3に続けてご覧ください。

 

▼右側に高松上之町郵便局、県道280号線を南に進む-2

 

▼次の交点を左折、上之町を東方向に進む-1

▼上之町を東方向に進む-2(左側に四国森林管理局)、四国森林管理局香川森林管理事務所

 

▼上之町を東方向に進む-3
 

▼上之町を東方向に進む-4

 

▼ことでん三条駅が見えて来た、ことでん三条駅に着いた

 

 

フォトSketch-ことでん三条駅

住宅地にある駅で、電車は15分間隔でくるので便利。合理化で最近無人駅になってるが、周辺にはマンションやアパートが建ち並び利用者は多く、ショッピングモールのゆめタウン高松へは歩いて15分ほどの距離である。

▼ことでん三条駅前の右(南西)方向、左(北)方向

 

▼ことでん三条駅-1

▼ことでん三条駅-2

 

▼ことでん三条駅構内踏切を渡る、ことでん三条駅を後にして平野市太郎顕彰碑へ向かう(約0.6km)

 

▼御坊川沿いを北東方向に進む-1、右奥に三条駅前ハイツ・左奥にアルファステイツ上之町Ⅱ

 

▼三条駅前ハイツ、アルファステイツ上之町Ⅱ-1

 

▼左(西)奥にKSB瀬戸内海放送高松本社の鉄塔が見える、アルファステイツ上之町Ⅱ-2

 

▼アレンダール上之町-1

 

▼御坊川沿いを北東方向に進む-2、アレンダール上之町-2

 

▼御坊川沿いを北東方向に進む-3、四国電力㈱上之町寮-1

 

▼四国電力㈱上之町寮-2、奥はオータニマンション

 

▼アルファステイツ上之町、オータニマンション

 

▼御坊川沿いを北東方向に進む-4

 

▼左(西北)奥の四国電力送配電栗林変電所のズーム景、奥の四電エンジニアリング㈱のズーム景

 

▼右奥にアルファステイツ今里町、左奥に平野市太郎顕彰碑が見えて来た

 

 

フォトSketch-平野市太郎顕彰碑

平野市太郎は、香川郡栗林村(現高松市)で生まれ、柴山高等小学校を卒業し、農業を営む。

14歳頃から労農運動に加わり、1926年日農香川郡連合会主事に就任。

香川県会議員、高松市会議員、香川県民生保安協議会協議員、同陸上小運搬業組合理事長などを務めた。

戦後、日本社会党に入党し、同党香川県支部の創設に関わり、同支部長に就任。1946年4月、衆議院議員総選挙に香川県選挙区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。その他、日本農民組合香川県支部連合長も務めた。

社会党委員長を務めた成田知己を入党に導いたことで知られていた。

▼平野市太郎顕彰碑に着いた、平野市太郎顕彰碑-1

 

▼平野市太郎顕彰碑-2

▼平野市太郎顕彰碑-3

 

▼平野市太郎顕彰碑-4、休み用大石(増-牟礼町・三幸石材㈱)
 

▼庭石(増-鶴吉本店・四電エンジニアリング㈱・㈱マルナカ)、平野市太郎顕彰碑を後にして桜町へ向かう(約0.6km)

 

 

▼桜町(西北)方向-四電エンジニアリング㈱・ベルエミナンス桜町・パチンコアイゼン、上之町を南西方向に進む-1

 

▼左(南)方向のアルファステイツ上之町・オータニマンション、右(北)方向の四国電力送配電栗林変電所・四電エンジニアリング㈱

 

▼上之町を南西方向に進む-2(次の三叉交点を右折)、上之町を西方向に進む-1

 

▼右(北)方向の四国電力送配電栗林変電所・四電エンジニアリング㈱、上之町を西方向に進む-2(琴電琴平線上の町踏切の手前を右折)

 

▼上之町を琴電琴平線沿いに北方向に進む-1、右側に四国電力送配電栗林変電所・四電エンジニアリング㈱

 

▼四国電力送配電栗林変電所、上之町を琴電琴平線沿いに北方向に進む-2

 

▼上之町を琴電琴平線沿いに北方向に進む-3、四電エンジニアリング㈱

 

▼上之町を琴電琴平線沿いに北方向に進む-4(次の交点を右折)、花ノ宮踏切東交差点を北へ渡る-1

 

▼花ノ宮踏切東交差点を北へ渡る-2、桜町へ入った

(次報Vol.1017へ続く)

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間の移ろい-1

穏やかな夕陽を映す宮池の水面。

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-2

 

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-3

  

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-4

 

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-5

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-127 Orignal掲載日:Vol.230 (2013.12.25)

銀型or鉄型…。

人生は三段階に分けられると云う。

「第一の人生」は、生まれてから十九歳までのいわば、親の助けがないと生きられない時代。

「第二の人生」は、四十九までの社会的に自立して仕事に励み、一定の基盤をつくりあげるまでの三十年。そして五十歳からが「第三の人生」で、遮二無二に突っ走ってきた人生を振り返り、改めて「人間とは」「人生とは」と考えたうえで、残りの人生を豊かに生きる時間。

この三段階だと云う。

 

多くの人に共通する口癖に、「三十歳になったら急に無理が利かなくなった」「四十歳になったら…」「五十歳になったら…」と。なんのことはなく、節目節目で「歳を取った。もう駄目だ」と嘆いているのだ。

たしかに、二十歳を過ぎると「死ぬ細胞の方が、生まれる細胞より多い」らしい。つまり、大人になったら、後はまっしぐらに老いていくのが人間の宿命である。しかし一方、人間はそれほど単純な生き物でもなく、体力が落ちるとともに、「人間力」が増していくのだ。髪の毛が抜け、視力が落ちるのと反比例するように、若いころにはなかった能力がずいぶん高まっていく。

これは特定の才人や智恵者に限ったことではなく、誰にでも公平に備わっている「力」だと云う。

 

ところが現実には、五十歳を迎える頃、「銀型人間」と「鉄型人間」に分かれてしまうらしい。

説明は不要だろうが、「銀型」とは、歳を経るにつれていぶし銀のような魅力を放つタイプで、逆にただ錆び付くばかりで、しまいには弱々しく崩れていくのが「鉄型」である。

身の周りを見ても、あいつは「銀型」で、あいつは「鉄型」と簡単に見分けがつくだろう。

頭髪は薄くなり、腹は出てきているのに、なぜか生き生きとして魅力のあるオヤジで、高倉健のような「苦み走ったいい男」ではないフツーのオヤジなのに、どこか輝いている。

一方、「鉄型オヤジ」は、どんなに高価なスーツを着ていても、どこか暗くてブラックホールのような雰囲気を漂わせていて、背中で「オレはもう駄目だ」と語っている。

「人間力」の高まりは、誰にでも備わっているのだから、誰もが「銀型人間」になれるハズだが、なぜ「鉄型」になるのか、その原因はハッキリしていると云う。

自分の「人間力」、さらにはその「使い方」に気づいてしないからだと…。

なんとも、もったいないことだ。小生も、再チェックをしてみようっと…。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る春日神社と奥の袋山・奥谷ハイランド他の団地の上空。

ウォーキングコースの快晴の上空。

ホタル坂通りから見る新居新池と奥のだんご山3兄弟他の山々の上空のパノラマ景。

新居新池の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの道端に蕾を膨らませかけた沈丁花(チンチョウゲ)

 

花期は2~4月で、枝先から濃紅色の花蕾が、集まって出てくる。花は花弁が無い花を20~30個、枝の先に手毬状に固まってつく。花弁のように見えるものは4枚の萼片で、外側が淡紅色、内側が白色で、中にはすべて白色のものもある。

花から強い芳香を放つ。花を囲むように葉が放射状につく。

果期は6月で、赤く丸い果実をつけるが、実を噛むと辛く、有毒である。

日本には雌株が少ないため、あまり結実しないが、ごく稀に実を結ぶこともある。

 

◇見頃を迎えた

So宅の畑

b地点

 

a地点

 

 

◇まだまだ開花が遠いウォーキングコース脇の畑の白梅

 

 

 

<akijii展-(571)

今報は、シールパズル-動物編5点目-象で72シールです。

 

引き続き、Vol.1015-2/2をご覧ください。