akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -11ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池水上展望台とだんご山3兄弟2景。

宮池水上展望台と鷲ノ山2景。

濃霧が懸かる国分台・猪尻山・大平山と宮池。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-134 Orignal掲載日:Vol.249 (2014.04.05)

現在進行形(ing)で考える。

 

最近、次の考え方を書物で読んだ。小生、現在少し試しつつあるが、貴方もご一緒に如何ですか。

リストラを宣告されそうな時、その先の人生を暗い方向へと考えるのはやむを得ない。夫婦仲がすごく険悪なとき「うまくいっている」とは思えない。成績がよくない子を「優秀」だとは思えない。しかし…マイナスの気持ちを抱き続けているのはよくない。どんな場合でも前向きで明るい希望の持てる心理状態を保つ必要がある。

そうでなければ仕事もうまくいかないし、人間関係もぎくしゃくしてくる。

 

一つ名案がある。それは何でも「現在進行形(ing)で考える」ということだ

例えば、経済的に苦しい立場にあったとしよう。そのとき「自分は豊かだ」と思うことは難しい。

だが、「自分は豊かになりつつある」と思うことはできなくはない。

これを徹底してやってみるのだ。その効用は理性と感情を一致させられるところにある。

人間は理性と感情で動くが、二つはしばしば反発しあって、思考と行動の邪魔をする。

プラス思考が大切といわれながら、なかなかなれないのは、現状を「プラスに考えられない」からだ。

いくらプラス思考をしても、今の現実がマイナスに傾いていると、そのプラス思考は嘘になってしまう。

現在進行形(ing)で語ると「私は…つつある」だから、あらゆる事柄に対して嘘でなく通用する

これからどんな時でも、良い方に「自分は…つつある」と唱えてみよう

人生の風景がきっと明るく見えてくるはずだ。そして人生そのものがそうなってくるのだ。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースの上空をジェット機が通過。

ジェット機のズーム景。

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟・堂山・火ノ山・十瓶山・鷲ノ山の上空。

 

★マークの位置(標高65m)から新居新池・ウォーキングコースの上空を見るため奥谷ハイランドに上がる(現在位置標高54m)

奥谷ハイランド★マークの位置から見る新居新池・城山・国分台・猪尻山・大平山の上空。

奥谷ハイランド★マークの位置から見るウォーキングコースのライン図(約1.0Km=全コースの23%)

新居新池・城山・国分台・猪尻山・大平山の上空のパノラマ景。

奥谷ハイランドA宅の正門から見る城山・猪尻山・大平山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのA地点と脇のB地点の紅梅

A地点

 

B地点

 

◇国分寺北部幼稚園のツバキ

 

◇如意輪寺のヤブツバキ(見頃は3月彼岸頃)

 

◇ウォーキングコース脇の空地に群生するの座

 

◇ウォーキングコース脇のミモザ(3/8はミモザの日だが…)

 

◇国分寺町国分の枝垂れ梅(それぞれ最後に掲載しているのが23-03-07撮影分)

s宅の庭

 

山地宝松園

 

◇町並巡りで出会ったクサボケアネモネ

クサボケ

 

アネモネ

 

 

<akijii展-(580)

今報は、シールパズル-動物編の最後12点目-フクロウで263シールです。

 

引き続き、Vol.1022-2/3をご覧ください。

Vol.1022-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<木太町  

今報は、木太町の木太中央公園・木太中学校・木太宮前公園・大池・善立寺/大超寺の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、木太中央公園

高松市木太町:〒760-0080

 

▼木太中学校、木太宮前公園

 

▼大池の堤防、大池

 

▼善立寺、大超寺

 

 

▼バス停「JAF香川支部前」(松縄町)で降車、木太中央公園へ向かう(約0.4km)

 

▼レインボーロードを南方向むに進む、レインボーロードの交差点を左折

 

▼松縄町を東方向に進む-1

 

▼松縄町を東方向に進む-2、右(南)側に香川県美容学校

▼正面にパナソニックショールーム香川

 

▼松縄町を東方向に進む-3、正面にザグスタ松縄・右側にザグザグ松縄店

 

▼松縄町を東方向に進む-4(右前方に木太中央公園が見えて来た)、木太町に入る(右前方は木太中央公園)

 

 

フォトSketch-木太中央公園

木太中学校のすぐ西側にある公園で、園内は4つのエリアに分れている様な作りをしている。
遊具も小さな遊具から大きな遊具まで6つほどあり、年齢に合わせて遊べるのではないだろうか。

また広い園内には芝生だけではなく散歩がしやすいように遊歩道もあり、園内の草花を見ながらゆっくりとした時間を過ごすことも出来そうだ。

 

▼木太中央公園に着いた、木太中央公園の北東口へ進む-1

▼木太中央公園の北東口へ進む-2、木太中央公園の北東口に着いた

 
▼木太中央公園-1

 

▼木太中央公園-2

 

▼木太中央公園-3

 

▼木太中央公園-4

 

▼木太中央公園-5

 

▼木太中央公園-6

 

▼木太中央公園-7

 

▼木太中央公園-8

 

▼木太中央公園-9

 

▼木太中央公園の中央に位置するトイレを振り返る、木太中央公園管理事務所前を進む

 

▼正面(東側)は木太中学校のグラウンド

 

 

フォトSketch-木太中学校

高松市の木太地区と太田地区との境界部分に位置している。校区の大部分は太田第2土地区画整理事業の施行区域で、近年急速に市街化が進んだ区画整然とした街並みが広がっている。

学校名は地区名である木太を冠しているが、他の地区のように終戦時の小学校区を母体として地区全体を包括する中学校ではなく、校区の多くに太田地区を含んでいる。かつて木太地区には同名の旧・木太中学校が存在したが、1950年(昭和25年)2月に旧・花園中学校との統合により玉藻中学校が新設されたため廃止されている。そして高度経済成長の人口増加により、校区内に中央小学校と木太南小学校が相次いで新設開校し、その2小学校に対応する中学校として桜町中学校、玉藻中学校から校区を分離し、旧中学校とは異なる位置・範囲を校区として1986年(昭和61年)4月1日に新・木太中学校が開校した。ちなみに中学校の敷地は当時のため池(河原池)を埋め立てて建設されたものである。

 

▼木太中学校の正門へ向かう(約0.3km)、木太町を南に進み次の交点を左折

 

▼交点の南方向、北方向

 

▼木太中学校の正門前へ進む-1

 

▼木太中学校の正門前へ進む-2

 

▼木太中学校の正門前へ進む-3

 

▼木太中学校の正門前へ進む-4

 

▼木太中学校の正門前へ進む-5、木太中学校の正門前に着いた

 

▼木太中学校の正門前、木太中学校の正門前の河原池之碑

▼木太中学校の正門前から南方向に大池の堤防が見える、木太中学校を東側を北に進み木太宮前公園へ向かう(約0.2km)(右側は詰田川)

 

▼木太中学校を東側から見る-1

 

▼木太中学校を東側から見る-2

 

▼木太中学校の東側を北に進み詰田川を渡る、詰田川の東側に木太宮前公園が見える

 

▼木太中学校を東側から見る-3、前方右に木太宮前公園が見えて来た

 

▼詰田川の右(南)方向、左(木太)方向

 

 

フォトSketch-木太宮前公園

公園トイレは車いす使用者対応トイレとなっていて、2022年11月1日ユニバーサルデザインに登録されている。

 

▼木太宮前公園に着いた、木太宮前公園-1

 

▼木太宮前公園-2

 

▼木太宮前公園-3

▼木太宮前公園-4

 

▼木太宮前公園-5

 

▼木太宮前公園-6、木太宮前公園を後にして大池へ向かう(約0.2km)

 

▼詰田川沿いの東側を南に進む

 

▼次の交点を右折して宮川上橋(詰田川)を渡る、大池の堤防に上がる-1

▼大池の堤防に上がる-2

 

▼大池の堤防に上がる-3、大池の堤防に上がった(大池の堤防を半周回-約1.2km)

 

引き続き、Vol.1022-3/3をご覧ください。

Vol.1022-2/3に続けてご覧ください。

 

フォトSketch-大池

高松自動車道高松中央インターの西に位置しています。今から約1,300 年前の天平七年(735年)の年号が記された日本最古の条里制の絵図である「弘福寺領讃岐国山田郡田図(ぐふくじりょうさぬきのくにやまだぐんでんず)」によると、この付近一帯は、古くから開発が進んでいたことがわかります。地域の人々には古くから「大池」と呼ばれてきましたが、元禄六年(1693年)に木太村真福寺(廃寺)の僧、龍宣(りゅうせん)によって書かれた「入江 神社記」では「新池」の名称で記されています。「大池」、「新池」と二つの呼び名があることを踏まえ、ため池管理については、昭和七年(1932年)に新池耕池整理組合が発足し、戦後の土地改良法制定で、高松市木太町新池土地改良区と名称を改め現在に至っています。昭和52年から12年をかけて全面改修が行われましたが、平成九年より、太田第二土地区画整備事業の一環である都市計画道路・木太多肥上町線の新設に伴い、土地改良事業等によるため池の堤体新設工事や景観整備事業等が行われました。ため池の堤には遊歩道が整備され、地域住民の憩いの場・体力増進の場として大いに活用されています。(香川県HP)

 

▼東南方向へ進む-1(木太ゴルフセンター)、木太ゴルフセンターのズーム景

 

▼東南方向へ進む-2、大池の北側堤防から見る南方向

 

▼大池の北側堤防から見る南西方向のパノラマ景

▼元の地点に戻り西方向に進む、右(北)下奥に木太中学校・詰田川と右奥に屋島

▼大池の堤防を西方向に進む-1、大池の取水塔と南の方向

 

▼大池の堤防を西方向に進む-2、大池の堤防を西から南方向に進む

 

▼大池の西北隅から東南方向のパノラマ景

▼大池の堤防を南方向に進む

 

▼大池の西側から東方向のパノラマ景

▼大池の西側の休憩所、大池の説明板

 

▼大池の西から見る木太ゴルフセンター、木太ゴルフセンターのズーム景

 

▼大池の竣工記念碑、大池の堤防を東南方向に進む-1

 

▼大池の堤防を東南方向に進む-2、右(南)下に平塚公園-1

 

▼大池の堤防を東南方向に進む-3、右(南)下に平塚公園-2

 

▼大池の西南隅から北方向のパノラマ景

▼大池の堤防を東方向に進む-1

 

▼大池の南から北方向のパノラマ景

▼大池の堤防を東方向に進む-2

 

▼大池の南端から北方向のパノラマ景

▼大池の堤防を東方向に進む-3、大池の北方向奥に屋島と五剣山

 

▼大池の堤防を東北方向に進む-1

 

▼大池の堤防を東北方向に進む-2

 

▼大池の東南端から北西方向のパノラマ景

▼大池の堤防を東北方向に進む-3

 

▼大池の東側から西北方向のパノラマ景

▼大池を後にして善立寺・大超寺へ向かう(約1.0km)、大池の堤防から下りて左折

 

 

▼木太ゴルフセンター沿いに北へ進む-1

 

▼木太ゴルフセンター沿いに北へ進む-2、次の信号交差点を右へ横断

 

▼木太町を東方向に進む-1

 

▼県道43号線を直進横断、木太町を東方向に進む-2

 

▼木太町を東方向に進む-3、詰田川の支流を渡る

 

▼木太町を東方向に進む-4(次の交点を左折)、善立寺・大超寺へ進む-1(奥に善立寺・大超寺が見えて来た)

 

▼善立寺・大超寺へ進む-2、次の交点を右折

 

 

フォトSketch-善立寺・大超寺

善立寺は真宗興正派の寺院で、大超寺は真宗興正派の寺院である。

 

▼善立寺・大超寺へ進む-3、善立寺に着いた

 

▼善立寺-1

 

▼善立寺-2

 

▼善立寺-3

 

▼善立寺-4

 

▼善立寺-5

 

▼善立寺から大超寺へ進む、善立寺の南隣に大超寺

 

▼大超寺に着いた、大超寺-1

 

▼大超寺-2

 

▼大超寺-3

 

▼大超寺-4

 

▼大超寺-5

 

▼大超寺・善立寺を後にして元山町へ向かう(約0.3km)、木太町を東方向に進む-1

 

▼木太町を東方向に進む-2、詰田川支流を越えると元山町に入る

 

▼木太町を詰田川支流沿いに北へ進む-1、左側に「石丸水車も跡」の石標

 

▼木太町を詰田川支流沿いに北へ進む-2(次の交点を右折)、元山町に入った

(次報Vol.1023に続く)

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池の遊歩道3景。

宮池の水面に架かる陽光の道3景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-133 Orignal掲載日:Vol.248 (2014.03.30)

夢…。

 

夢という言葉には「将来の夢」と「睡眠中の夢」の二つの意味があるというが、皆さんはどちらを思い浮かべますか。

文化人類学の視点での「夢から連想される単語」アンケード(H15~16年実施)では、1位「希望」、2位「未来」、3位「睡眠」、4位「初夢」、5位「実現」の順となり、「将来の夢」を思い浮かべる人が多いことが見えるが、日本における「夢」という言葉の語源は「寝目(いめ)」で、平安時代に「寝目」が「夢」という漢字になったとされ、もともとは睡眠中の夢の意味だけが、明治時代に睡眠中に見る夢と、将来の希望の夢の二つの意味を持つ英単語のDream(ドリーム)が日本語に訳されて、将来の夢の意味が加わったという。

 

二つの夢には共通点があるが、それは「いずれも現実ではない」ことである。

「将来の夢」は、今は現実ではないが、これから希望を持って生きていこうというプラス思考の思いが好まれて、受け入れられただろう。将来の夢は、自分が意識して具体的に掲げることができるが、睡眠中の夢は、見たい夢があってもなかなか見ることができない。「睡眠中の夢」は、起きている時の記憶が取り出されてストーリーになるが、眠っている時は脳内の主として理論を司る部分が活動していないので、起きている時にはあり得ない理論的にはでたらめなものになってしまうという。夢をどうして見るのか、まだはっきりと解明されていないが、記憶を整理するためではないかと考えられているという。

人の眠りにはサイクルがあり、脳が活発なレム睡眠と、脳も休んでいるノンレム睡眠の二つが、ひと晩で4~5回繰り返され、夢はレム睡眠になる度に見ているという。起きた時に覚えているのは、ほとんどの場合、最後に見た夢だけで、「夢なんか見ない」という人も、実際には見ているのだが、全て忘れてしまうため、見ていないと感じているだけらしい。

 

一般的には怖い夢を見るという人が多いが、寝ている時は感情を司る部分の方が働いており、そして感情を十分コントロールすることができないので、苦しい夢を見やすくなる。起きている時に思っていること、特に気にしていることは、夢の材料になりやすいとのことだ。いい夢を見るためには、時間的にも精神的にも、余裕を持った睡眠が大切という。規則正しい生活をして、十分な睡眠をとっていると、苦しい夢ではなく、楽しい夢が多くなるらしい。

心に描いている将来の夢をポジティブに考えれば、眠りの中に出てきてやがてそれが実現すると思えてくる。夢や希望は、抱かなければ実現はしない。

 

将来、どんな人生を送っていたいか。いい夢を抱くことから始めてみようではありませんか。

 

 

 <高く広がる空間> 

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟と堂山の上空。

ウォーキングコースから見る高松クレーター5座の上空(ズーム景)。

宮池の遊歩道から見る宮池の上空(パノラマ景)。

宮池の遊歩道から見る涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の梅畑の白梅

 

 

 

◇町並巡りで出会ったキク科の花(名前不詳)

 

 

<akijii展-(579)

今報は、シールパズル-動物編11点目-ライオンで223シールです。

 

引き続き、Vol.1021-2/3をご覧ください。

Vol.1021-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<松縄町  

今報は、松縄町の熊野神社・松縄流石中央公園・野田池の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、熊野神社

高松市松縄町:〒760-0079

 

▼松縄流石中央公園、野田池

 

 

▼松縄地下道(松縄町交差点)を潜る-1

▼松縄地下道(松縄町交差点)を潜る-2

 

▼松縄地下道(松縄町交差点)を潜る-3

 

▼松縄地下道を上がり熊野神社へ向かう(約0.4km)、レインボーロードを南方向に進む-1

 

▼レインボーロードの西側の「ロイヤルガーデン松縄レインボー通り」、レインボーロードを南方向に進む-2

 

▼レインボーロードを南方向に進む-3(左奥に熊野神社の社叢)

 

▼レインボーロードを南方向に進む-4、左奥に熊野神社が見える

 

▼レインボーロードを南方向に進む-5(次の交点を左折)、松縄町を東方向に進む

 

▼左奥に熊野神社が見えて来た、四差交点を左折

 

 

フォトSketch-熊野神社

熊野神社:祭神:伊弉冊尊・事解男命・速玉男命

元久・承元年間(1204~1210)紀州の熊野清光が三木郡田中村から山田郡の十河村、それより松縄村に移住した。

そこで、熊野神社の神霊を勧請して社殿を新宮・本宮・那智三社を三所に造営した。そのため三所権現と称した。

文明年中(1469~1487)に宮脇越中守長定が再建し祭殿を寄進した。

その後、元亀・天正の戦乱によって社殿も壊れたのを、元和元年(1615)生駒家三代正俊が社殿を再興し社領三石を与えた。この熊野神社のある丘の周辺が松縄城跡と推測され、代々宮脇氏が居城した。宮脇氏は紀伊熊野の海賊を率いて活躍した新宮別当湛増の子孫とも伝えられ鬼無の佐料城に居城する香西氏に属していた。

戦国時代末期には、宮脇長門守又兵衛が、信長・秀吉に仕え、軍功をたてたという。 (解説版より)

 

▼熊野神社に着いた、熊野神社-1

 

▼熊野神社-2

 

▼熊野神社-3

 

▼熊野神社-4

▼熊野神社-5

 

▼熊野神社-6

 

▼熊野神社-7

 

▼熊野神社-8

 

▼熊野神社-9

 

▼熊野神社-10

 

▼熊野神社-11

▼熊野神社-12

 

▼熊野神社-13

 

 

▼熊野神社を後にして松縄流石中央公園へ向かう(約0.6km)、右折して松縄町を西方向に進む

 

▼右奥の熊野神社、レインボーロードを西へ横断

 

▼松縄町を西北方向へ進む-1

 

▼松縄町を西北方向へ進む-2

 

▼松縄町を西北方向へ進む-3、次の交点を左折

▼松縄町を南方向へ進む(右奥に松縄流石中央公園が見えて来た)、松縄流石中央公園の正面入口へ進む-1

 

▼松縄流石中央公園の正面入口へ進む-2

 

 

フォトSketch-松縄流石中央公園

小さい子は、すべり台つきのカラフルな大型遊具や砂場で、大きい子は広い敷地内を走り回りボール遊びをして、大人は健康器具で運動不足解消と家族みんなが一緒に楽しめる公園だ。

屋根つきのベンチもあるので、お弁当やおやつを持ってピクニック気分で遊びに行ってもいいな。

管理の方が清掃をして、きちんと管理が行き届いている。

 

▼松縄流石中央公園の正面入口に着いた、松縄流石中央公園-1

▼松縄流石中央公園-2

 

▼松縄流石中央公園-3

 

▼松縄流石中央公園-4

 

▼松縄流石中央公園-5

 

▼松縄流石中央公園-6

 

▼松縄流石中央公園-7

 

▼松縄流石中央公園-8

 

▼松縄流石中央公園-9

 

▼松縄流石中央公園-10

 

▼松縄流石中央公園-11

 

▼松縄流石中央公園-12

 

▼松縄流石中央公園-13、松縄流石中央公園を後にして野田池へ向かう(約0.4km)

 

 

引き続き、Vol.1021-3/3をご覧ください。

Vol.1021-2/3に続けてご覧ください。

 

▼松縄町を東方向に進み次の交点を右折、松縄町を南方向に進み次のT交点を右折

 

▼右折して直ぐに左折、松縄町を南方向に進む-1

 

▼松縄町を南方向に進む-2、正面奥に野田池の堤防が見えて来た

 

▼野田池へ進む-1

 

▼野田池へ進む-2、野田池の北端に着いた

 

 

フォトSketch-野田池

築造についての記録がないため、いつ築造されたのかは定かではありませんが、貞享3年(1686年)の調査とされる「翁嫗(おうおう)夜話(やわ)」の香川群東編では、伏石の蓮池とともに野田池も載っており、当時すでに存在していたことがわかります。野田池は、築造から300年以上が経過しており、現在の大きさになったのは寛政年間とされています。年々の土砂の流れ込みによる貯水量の減少や相次ぐ干ばつに悩まされていましたが、野田池の水掛かりであった松縄村が嵩上げを計画した際に、下流で同じく干ばつ被害に悩まされていた今里村と福岡村が新たに水掛かりに加わり、増築工事が完成しました。その後、部分的な改修が行われ、昭和56年(1981年)の県営大規模老朽ため池事業によって樋管2 ヶ所を改修、堤防はコンクリートブロック張りとし、平成 2 年(1990年)9月に全工事を終えました。着工から10年をかけて行われたこの工事を記念して、東堤防に竣工記念碑が建立されています。また、この改修工事の完了とともに南堤防300mに景観整備事業で公園工事をしていますが、平成6年(1994年)に地域おこしの行事として野田池周辺で狐の嫁入り行列を行っており、その記念石碑も立っています。現在、野田池の受益地はすべて市街化区域となったため、農地が著しく減少しています。しかし、その堤長は1kmを超えており、地域住民の散歩コースとして親しまれています。(香川県HP)

 

▼野田池の北端から南方向のパノラマ景

▼高松クレーター5座のズーム景、野田池改修記念碑へ進む-1

  

▼野田池改修記念碑へ進む-2、野田池改修記念碑に着いた

 

▼野田池改修記念碑、元の地点に戻る

 

▼野田池の北東から南西方向のパノラマ景

 

▼野田池を北西方向に進む

 

▼北西方向奥に香川県庁舎本館が見える、香川県庁舎本館のズーム景

 

▼野田池を西南方向に進む

 

▼野田池の西北端から南東方向のパノラマ景

▼野田池の西側を南方向に進む-1、地蔵改修記念碑-1

 

▼地蔵改修記念碑-2、野田池の西側を南方向に進む-2

 

▼野田池の西側から東方向のパノラマ景

▼野田池の西側を南方向に進む-3、右(西)側に伏石中公園・左奥にNTT西日本三条ビルの鉄塔

▼野田池の西側を南方向に進む-4、右(西)奥にサーパス伏石中央公園

 

▼野田池の西南端に着いた、西東方向に伏石中央公園

▼野田池の西南端から北東方向のパノラマ景

▼野田池の南側を東方向に進む-1(左に案内板)、案内板「野田池緑地公園」

 

▼野田池の南側を東方向に進む-2、奥に石碑?

 

▼地域おこし事業記念碑「野田池花街道水辺祭とキツネの嫁入り行列」、野田池の南側を東方向に進む-3

▼野田池の南側から北方向のパノラマ景

▼野田池の堤防から下りる

 

▼帰路のことでん三条駅へ向かう(約1.6km)(左側にDXアンテナ高松営業所)

 

▼松縄町を西方向に進む-1、右上に野田池の地域おこし事業記念碑

▼松縄町を西方向に進む-2、右奥は野田池の南西端

 

 

▼伏石町に入った、左奥は伏石中央公園

 

▼正面にサーパス伏石中央公園、伏石町を西方向に進む

 

▼伏石中央交差点を右折しサンフラワー通りに入る、サンフラワー通りを北方向に進む-1

▼サンフラワー通りを北方向に進む-2

 

▼サンフラワー通りを北方向に進む-3

 

▼伏石北地下道を潜る-1

▼伏石北地下道を潜る-2、作品「歴史のある伏石三石神社」

 

▼作品「変わりゆく太田」、伏石北地下道を潜る-3

 

▼伏石北地下道を潜る-4、伏石北地下道から出た

 

▼サンフラワー通りを北方向に進む-4、伏石上所北交差点を左折

 

 

▼伏石町を西方向に進む-1

 

▼県道43号線を横断、伏石町を西方向に進む-2

 

▼伏石町を西方向に進む-3

 

▼ことでん三条駅へ進む-1

 

▼ことでん三条駅へ進む-2

 

▼ことでん三条駅に着いた、ことでん三条駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池と涅槃像2景。

宮池のパノラマ景。

宮池水上展望台2景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-132 Orignal掲載日:Vol.247 (2014.03.25)

愚痴をこぼすは…。

 

つらい境遇にある時、誰かをつかまえて、愚痴の一つもこぼしたくなる時がある。

別に解決の手助けをしてくれなくても、聞いてもらえるだけで、気持ちがすっきりするという効用がある。

だが、それも問題によりけりで、ヘタにすっきりさせると、かえってエネルギーが削がれることになるので要注意だ。

とくに困難な仕事に取り組んでいるような時、あまり愚痴はこぼさないほうがいい。

難しい仕事なら、きっと悪戦苦闘しているはずだ。

 

だが、経験のある人なら解かるはずだが、何度も何度も壁にぶつかって跳ね返され、またぶつかっている内に、よい知恵や工夫が生まれる。そういうプロセスがないと、なかなかよい仕事はできないものだ。その苦労を愚痴にして誰かに聞いてもらってしまっては、出てくるはずの知恵が出てこない可能性があるのだ。

プロ野球の生みの親でもある正力松太郎氏は、人前で決して愚痴をこぼさなかった人だという。

彼はその理由をはっきり口にしている。「愚痴の愚はバカということで、痴は知識が病気になることである。そんなつまらぬものをこぼしていて、この人生、なんで有意義に渡れようか」。愚痴っているようでは、大きな仕事はできないということだ。ある方が、「自分の父は家に帰って来ると、母親に会社の愚痴ばかり並べて酒を飲んでいた。それを見るたびに、ああいう大人にはなりたくないと思った」と述懐している。

 

吉田兼好の名言集に、「病を受ける事、多くは心より受く。外よりくる病は少なし」とある。

愚痴をいうことは、イヤなことを自分でまた反芻することになる。

それで楽しい人生がくるはずがない。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコース脇のオリーブ農園から見るだんご山3兄弟と堂山の上空。

ウォーキングコースの標高63m地点から見る南方向の上空。

奥谷新橋(坂川)から見る北(坂川の上流)方向の上空。

奥谷新橋(坂川)から見る南(新池・十瓶山など)方向の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォキングコース脇の畑で咲き始めたミモザ

一般的に「ミモザ」とは、1000種以上を含む「マメ科アカシア属」の植物の総称の常緑樹で、オーストラリアが原産である。花期は3~4月頃で、春の訪れを告げるようにふわふわした黄色い小花を沢山咲かせる。また、花や香りのほか、常緑樹のためシルバーがかった美しい葉を一年中楽しめる。

3月8日はミモザの日として知られているが、これは国連が定めた「国際女性デー」の別名で、国際女性デーに男性が女性に日頃の感謝を込めてミモザを贈る習慣は、イタリアから世界に広がり定着した。

 

ミモザの花言葉は国で異なり、日本の代表的なミモザの花言葉は「優雅」と「友情」で、小さな花が寄り集まり、風に揺られながら咲くミモザの姿が花言葉の由来と云われる。

男性が女性にミモザを贈る習慣が始まったイタリアでは、「感謝」という花言葉があり、フランスではミモザの花言葉は「思いやり」と「感受性」である。

 

◇ウォーキングコース脇の畑でミモザと並んで咲き始めた紅梅

 

◇満開で頑張っている ローバイ 

a地点

b地点

◇ウォーキングコース脇の梅畑の白梅

 

 

 

<akijii展-(578)

今報は、シールパズル-動物編10点目-羊で154シールです。

 

引き続き、Vol.1020-2/3をご覧ください。

Vol.1020-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<今里町 

今報は、今里町のトキワテニスクラブ・一心寺・今里中央公園の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、トキワテニスクラブ

高松市今里町:〒760-0078

 

▼一心寺、今里中央公園

 

 

▼ことでん三条駅で下車(トキワテニスクラブへ向かう-約0.8km)、三条駅から御坊川へ進む-1

 

▼三条駅から御坊川へ進む-2

 

▼三条駅構内踏切の右(南-伏石駅)方向、左(北-三条駅ホーム)方向

▼三条駅から御坊川へ進む-3、御坊川に着いた

 

▼御坊川の右(南:上流)方向、左(北:下流)方向

▼伏石町に入った(次の交点を左折)、伏石町を北東方向に進む-1

 

▼伏石町を北東方向に進む-2、右に雑貨店ニシニシ

 

▼伏石町を北東方向に進む-3(左側にアゼール三条)、アゼール三条

 

▼伏石町を北東方向に進む-4、左(御坊川の西側)奥に四国電力㈱上之町寮とマンションオータニ

 

▼左奥にくにとう幼稚園とアルファステイツ今里町

 

▼くにとう幼稚園-1

 

▼くにとう幼稚園-2

 

 

▼今里町に入る、今里町を北方向に進む-1(左はアルファステイツ今里町)

 

▼くにとう幼稚園-3、今里町を北方向に進む-2

▼アルファステイツ今里町-1、今里町を北方向に進む-3

 

▼アルファステイツ今里町-2

 

▼アルファステイツ今里町-3、今里町を北方向に進む-4(今里町交差点筋に入る)

 

▼後方のアルファステイツ今里町を振り返る

 

▼今里町交差点筋を北側へ横断(右奥にトキワテニスクラブが見えて来た)、御坊川沿いに北方向に進む-1(右側はトキワテニスクラブ)

 

▼御坊川沿いに北方向に進む-2(右側はトキワテニスクラブ)、西側から見るトキワテニスクラブ-1

 

▼西側から見るトキワテニスクラブ-2

 

▼西側から見るトキワテニスクラブ-3、元の地点に戻る

 

▼元の地点に戻った(交点を左折)、今里町交差点筋を東南方向に進む-1

 

 

フォトSketch-トキワテニスクラブ

スポーツクラブ、高松市のテニス施設で、コートは全て足腰に負担の少ないオムニコートで、インドア5面アウトコート2面です。駐車場やシャワールームも完備、テニススクールの体験など随時受付中!皆様のお越しをお待ちしております。(HP)

 

▼トキワテニスクラブに着いた、トキワテニスクラブ-1

 

▼トキワテニスクラブ-2

 

▼トキワテニスクラブ-3

 

▼トキワテニスクラブ-4

 

▼トキワテニスクラブ-5

▼トキワテニスクラブ-6

 

 

▼トキワテニスクラブを後にして一心寺へ進む(約0.1km)、今里町交差点筋を東南方向に進む-2

 

▼後方のトキワテニスクラブを振り返る-1、今里町交差点筋を東南方向に進む-3

 

▼後方のトキワテニスクラブを振り返る-2、今里町交差点筋を東南方向に進む-4(奥に一心寺が見えて来た)

 

 

フォトSketch-一心寺

ことでん栗林公園駅出口・三条駅出口から徒歩約11分の位置にある真宗興正派の寺院。

 

▼一心寺に着いた、一心寺-1

▼一心寺-2

 

▼一心寺-3

 

▼一心寺-4、一心寺を後にして今里中央公園へ向かう(約0.5km)

 

 

引き続き、Vol.1020-3/3をご覧ください。

Vol.1020-2/3に続けてご覧ください。

 

▼今里地下道を潜る-1

 

▼今里地下道を潜る-2

▼今里地下道を潜る-3、今里地下道から上がった

 

▼左奥に「ぶっかけうどん:大円」

 

▼今里町交差点筋を東南方向に進む-5、左奥に「さぬきうどん:晴屋製麺所」

 

▼今里中央公園へ進む-1

 

▼今里中央公園へ進む-2

 

▼今里中央公園へ進む-3

 

▼今里中央公園へ進む-4、左奥は今里中央公園

 

▼今里中央公園-1

 

▼今里中央公園-2、今里中央公園の入口へ進む

 

 

フォトSketch-今里中央公園

住宅街の中にある憩いの場。公園の中央には、かけっこや、ボール遊びが楽しめる土の広場があって、それを囲むように屋根つきのベンチがあるので、過ごし易い。その周りには、子どもの成長に合わせた遊具、そして木立があって、子どもも大人も長時間いても飽きない。砂場があるので、砂場道具持参で遊びに行こう。

 

▼今里中央公園の入口に着いた、今里中央公園-3

 

▼今里中央公園-4

 

▼今里中央公園-5

▼今里中央公園-6

 

▼今里中央公園-7

▼今里中央公園-8

 

▼今里中央公園-9

 

▼今里中央公園-10

 

▼今里中央公園-11、今里中央公園を後にして松縄町へ向かう(約0.7km)

 

 

▼今里町を東方向から直ぐ南へ進む、今里町を南方向へ進む(次のT交点を左折)

 

▼今里町のT交点を左折し東方向へ進む、今里町を東方向へ進む-1

 

▼今里町を東方向へ進む-2

 

▼今里町を東方向へ進む-3、左側の今里東脇公園に寄る

 

 

▼今里東脇公園-1

▼今里東脇公園-2

 

▼今里東脇公園-3

 

▼今里東脇公園-4

 

▼今里東脇公園-5

▼今里東脇公園-6、今里東脇公園を後にして松縄町へ進む

 

 

▼今里町を東方向へ進む-4、次のT交点を右折

 

▼今里町を南方向へ進み今里町交差点筋交点を左折、松縄地下道(松縄町交差点)を潜って松縄町へ入る

(次報Vol.1021に続く)

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

北西端から見る宮池の洪水吐と奥のだんご山3兄弟5日の移ろい。

宮池に降り注ぐ夕陽。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-131 Orignal掲載日:Vol.246 (2014.03.20)

感謝のクセを…。

 

ジョセフ・マーフィー博士(米国で活動した 英国出身の宗教者、著述家)の名言集に、「あなたがよき成果を望むなら、感謝の法則に従わなければなりません。物質的な富はもちろんのこと、あらゆる豊かさに感謝しなさい。そうした態度は潜在意識に刻印され、あなたをますます豊かにします」とある。

 

私たちは毎日感謝して生きなければならない。なぜなら、自分一人の力で何一つできないからだ。気がつかないところで、自然をはじめ多くの人の世話にもなっている。

感謝する習慣のない人間はストレスが大きい。腹の立つことが多い。人との関係がうまくいかない。健康を害することが多い。何より損なことは、自分自身が少しも人生を楽しめないことだ。

誰もが幸せを得たいと願いながら、なかなか手に入れられないのは、感謝が足りないからといってもよい。

「何に感謝すればいいの?」などと感謝の材料を探しているようではダメ。手当たり次第、何にでも感謝してしまうのである。

 

「トーチェ氏の心の法則」(ジョエル&チャンピオン・トーチェ著)を書いたチャンピオン・K.トーチェの言葉に「幸せとは、欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをすることからくるものではなく、今得ているもの、今ある自分、今していることをあなたが好きになるところから生まれてくる」とある。

何かを好きになる最良の方法が「感謝」なのだ。感謝は宗教を超えた祈りの行為といってもいい。

感謝のクセを付けると上手くいく

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟・堂山の上空。

ウォーキングコースから見る袋山の上空。

ウォーキングコースから見る袋山・だんご山3兄弟・堂山・十瓶山・鷲ノ山の上空のパノラマ3景。

 

 

A seasonal flower 

◇杉山団地のdk宅のハクモクレン(白木蓮)

ハクモクレンは、空に向かって美しい白い花を咲かせる春の花で、中国原産のモクレン科の落葉高木である。街路樹、公園、庭園、寺院、庭木など身近な場所にも植栽されている。冬のハクモクレンが、ふわふわとした柔らかい銀色の毛に包まれているのは、寒さからつぼみを守るためだと考えられている。

樹高は10~15mくらいになり、3月~4月に枝先に白い美しい大輪の花を咲かせる。9枚に見える花弁は、6枚の花弁と3枚の萼片(がくへん)で構成されている。

ハクモクレンの花言葉は、「高潔な心」「気高さ」「荘厳」「崇高」「慈悲」「自然への愛」である。

 

◇杉山団地とウォーキングコース脇の畑に咲く菜の花

杉山団地

 

ウォーキングコース脇の畑

 

◇蓑坂池と杉山団地の水仙

蓑坂池

 

 

杉山団地

 

 

 

<akijii展-(575)

今報は、シールパズル-動物編9点目-オウムで132シールです。

 

引き続き、Vol.1019-2/3をご覧ください。