akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -10ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.1026-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<新田町 

今報は、新田町の久米池と本覚寺の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、久米池

高松市新田町:〒761-0102

 

▼久米山墓地公園と石清水八幡宮神明殿、本覚寺

 

 

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-1、新田町に入った

 

 

フォトSketch-久米池

旧古高松村(高松市高松町・春日町・新田町)で最も大きいため池です。築造の由来については「久米池老朽工事竣工記念碑」の碑文に「寛永年間讃岐の藩主生駒高俊(第四代)が伊勢より西嶋八兵衛を聘して、旱魃救済の為各地に溜池を築造せしめた其の一つであると伝えられている。」とあり、おおよそ四百年余にわたって地域の水田を潤してきました。久米池の名前については、池の南側に久米山があり古くには巨刹「久米寺」があったと伝えられていることから、寺の名前が由来と考えられており、昔から地域の人々に「久米さん」と呼ばれ親しまれています。また、久米池は「新さぬき百景」に選ばれており、南側に佇めば池面に屋島が逆さに映り風情ある景色が望めます。更に、希少植物であるアサザが現存しており、6月~10月に黄色い可憐な花を咲かせ人々の目を楽しませています。平成14年度に県営ため池等整備事業古高松南部地区の一環として遊歩道等の周辺環境整備が完了していますが、事業実施前の調査で判明したアサザについては、環境保全組織「アサザの里・久米池」を設立し保全に努めています。

事業完了後も、周辺の小学校の環境教育と併せて保全活動を継続して行っており、眺望美しい久米池を後世に伝えるため、地域ぐるみで活動を行っています。(香川県HP)

 

▼久米池のパノラマ景-1

▼左(西)奥の左に香川県庁舎と右に高松シンボルタワー、香川県庁舎と高松シンボルタワーのズーム景

 

▼右(東)奥に久米池ゴルフセンター、ズーム景

 

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-2、右(東)方向の久米池と奥の前田山

 

▼南方向に石清水八幡宮神明殿を中心に左右は久米山墓地公園のパノラマ景

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-3

 

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進み西北角のスペースに着いた、西北角から見る東南方向の久米池

 

▼久米池-記念碑、久米池-説明板

▼久米池-お地蔵様、久米池-休憩所

 

▼西北角から見る久米池のパノラマ景

▼久米池の西北角から見る石清水八幡宮神明殿、久米池ゴルフセンターのズーム景

 

▼久米池の北側の歩行者用道路を東方向に進む-1

 

▼北から南方向の久米池のパノラマ景

▼久米池の北から見る久米山墓地公園と石清水八幡宮神明殿、石清水八幡宮御旅所のズーム景

 

▼久米池の北側の歩行者用道路を東方向に進む-2、前方に東屋

 

▼北東隅から見る西南方向の久米池のパノラマ景

 

▼久米池を後にして本覚寺へ向かう(約0.8km)、右は久米池の余水吐

 

▼県道30号線へ進む

 

▼県道30号線の交点を左折(前方奥に宝池の堤体が見える)、宝池の堤体のズーム景

▼県道30号線を北方向に進む-1

 

▼県道30号線を北方向に進む-2

 

▼バス停「南公文」を通過、県道30号線を北方向に進む-3

 

▼県道30号線を北方向に進む-4

 

▼右(東)奥は前田山、左(西)奥は石清尾山・浄願寺山

▼県道30号線を北方向に進む-5(T交点の右は高松医療センターへ)、ここから高松医療センターへ600m

 

▼県道30号線を北方向に進む-6、右奥に本覚寺が見えて来た

 

 

フォトSketch-本覚寺

法華宗(本門流)の寺院である。

 

▼本覚寺に着いた、本覚寺-1

 

▼本覚寺-2

 

▼本覚寺-3

 

▼本覚寺-4

 

▼本覚寺-5

 

▼本覚寺-6

 

▼本覚寺-7

▼本覚寺-8

 

▼本覚寺-9

 

▼本覚寺-10

▼本覚寺-11

 

▼本覚寺-12

▼本覚寺-13

 

▼本覚寺-14

 


引き続き、Vol.1026-3/3をご覧ください。

Vol.1026-2/3に続けてご覧ください。

 

▼本覚寺を後にして帰路のJR屋島駅へ向かう(約2.0km)、バスの時刻表を確認(9:00~15:00運行無し)

 

▼西側から見る本覚寺のパノラマ景

▼県道30号線を北方向に進む-7、右奥に高予備校屋島寮

 

▼高予備校屋島寮

 

▼県道30号線を北方向に進む-8

 

▼前方右奥に高松市消防局東消防署、県道30号線を北方向に進む-9

 

▼県道272号線を直進横断-1、右(東)奥に前田山

 

▼県道272号線の左(西)方向、右(東)方向

▼県道272号線を直進横断-2、県道30号線を北方向に進む-10

 

▼県道30号線を北方向に進む-11、右は介護複合施設ハーブス

 

▼介護複合施設ハーブス、県道30号線を北方向に進む-12

 

▼県道30号線を北方向に進む-13(右は久米川病院)、久米川病院

▼県道30号線を北方向に進む-14(前方右の潟元池の堤防に上がる)、元池

 

▼潟元池のパノラマ景

▼北端の不動明王堂へ進む、不動明王堂

 

▼潟元池と正面奥は前田山、右は久米川病院のパノラマ景

▼県道30号線を北方向に進む-15、ことでんバス停「堀江」を通過

 

▼高松町に入った、県道30号線を北方向に進む-16

 

▼県道30号線を北方向に進む-17

 

▼県道30号線を北方向に進む-18(前方右奥に古高松小学校が見えて来た)、古高松小学校-1

 

▼古高松小学校-2

 

▼古高松小学校-3

 

▼古高松小学校-4

 

▼県道30号線を北方向に進む-19、古高松小学校を振り返る

 

▼県道30号線を北方向に進む-20

 

▼県道30号線を北方向に進む-21

 

▼県道30号線を北方向に進む-22、左にJA古高松支店・右は古高松コミセン

 

▼JA古高松支店、古高松コミセン

▼ことでんバス停「JA古高松支店前」を通過、県道30号線を北方向に進む-23

 

▼JR高徳線前田踏切を渡り直ぐ右折、前田踏切を渡り右折(左は高松古高松郵便局)

 

▼前田踏切を左(西-木太町駅)方向、右(東-屋島駅)方向

 

▼JR屋島駅へ進む-1

 

▼JR屋島駅へ進む-2

 

▼JR屋島駅へ進む-3、JR屋島駅に着いた

 

▼JR屋島駅

 

▼JR屋島駅-地域復興スペース-1

 

▼JR屋島駅-地域復興スペース-2

 

▼JR屋島駅構内跨線橋の左(東)方向、右(西)方向

 

▼JR屋島駅③番ホームへ進む、JR屋島駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池の水面5景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-137 Orignal掲載日:Vol.261 (2014.06.05)

阿吽…。

 

最近、私がはまっている森沢明夫の小説の一節です。

一瞬のいまを、大切に生きる----。

阿吽(あうん)って、そういう意味なんだって、ママに教えてもらったんです。「え…」「わたしが、ママとはじめて会った日に」「あら、わたし、そんなこと言ったかしら?」「言いましたよ。阿吽の阿は、五十音のはじまりの『あ』で、吽は終わりの『ん』のことで、つまり阿吽はこの世のすべてを表す禅の言葉なんだって。転じて、この世のすべては、この世のすべては、阿と吽のあいだの一瞬のいまにしか存在しなくて、あなたが生きられるのも、いまこの瞬間だけなのよって----」カオリちゃんの言葉に、権田の記憶がじわじわと蘇ってきた。

いい、カオリちゃん----。あなたが生きられるのは、いまこの瞬間だけなのよ。過去と未来を思い煩っても、それは無駄なだけ。やり直すこしのできない過去を悲しんでいたら、せっかく生きている「いま」が不幸になっちゃうだけでしょ?それにね、まだ来てもいない未来を不安がっても仕方ないじゃない。大切な「いま」をつまらなくするだけだわ。

辛い過去になんてとらわれないで、未来の不安もぜーぶ忘れて、いまこの瞬間だけをしっかり味わって生きなさい。

それが、禅の「幸せに生きる極意」なのよ---。権田はそう言ったのだった。はじめて会ったカオリちゃんに。

「ママ、覚えてます?」「うん、思いだした。たしかに、そんな話をしたわ」カオリちゃんは少しホッとしたような顔をすると、シャンディ・ガフに軽く口をつけた。「わたし、あれからずっと、ママに教えてもらった『阿吽』を座右の銘にしてるんですよ」「…」「だから、将来を不安に思ったりしないし、夜中の秒針の音も怖くないんです」カワリちゃんがにっこり微笑むと、銀縁メガネの奥の目が細い三日月のようになった。つくづく、きれいな目だった。

 

本来の阿吽とは一般に吐く息と吸う息を表わす言葉で、多くは『阿吽の呼吸』と用いられ、二人以上が一つの事をするときの微妙なタイミングや気持ちの一致を表わすことをいう。語源の由来は「阿」は口を開き「吽」は口を閉じて発する声のことで、そこから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを『阿吽の呼吸』と言うようになったと解説されている。寺社の山門にある狛犬や仁王の口は一体(東)が口を開き、一体(西)は口を閉じて「阿吽」を表わしていて、また、剣道での「阿吽」は過去も未来も断ち切って、今を生きることだという。

天地自然は、一瞬の滞りもなく循環して動いている。であるから「過去にこだわれば遅れているし、未来にこだわれば想像にしばられる」からだと。

 

小生は、『一瞬のいまを、真剣に生きる』を今後の生き方とし、いま目の前の事にひたすら集中し、この瞬間に実力を出し切ることができるように修錬を積んでいきたいと思っている。

 

 

<高くがる空間

ウォーキングコースから見る南方向の山口池・橋岡山と奥に火ノ山・鷲ノ山の上空。

ウォーキングコースから見る北方向の猪尻山の上空。

ウォーキングコースから見る南方向の六ツ目山・堂山の上空。

ウォーキングコースから見る南方向のパノラマ景とその上空。

坂川沿い(国分寺町新居)から見る北西方向の国分台・猪尻山・大平山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの盆栽神社で遅れ咲く寒緋

盆栽神社

 

寒緋桜

 

 

◇ウォーキングコースに咲いた沈丁花(チンチョウゲ)ヒマラヤユキノシタ

 

 

◇ウォーキングコースと脇に咲く梅花

 

 

 

<akijii展-(583)

今報は、3.魔法の森の草花とアナ

(所要時間360M=6.0H)<線画>175M<面画>185M

 

 

引き続き、Vol.1025-2/3をご覧ください。

Vol.1025-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<東山崎町

今報は、東山崎町の石清水八幡宮・久米寺・諏訪神社の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、石清水八幡宮

高松市東山崎町:〒761-0312

 

▼久米山墓地公園、諏訪神社

 

 

▼バス停「久本」で降車(標高11m)、県道30号線を北方向に進む

 

▼久米池南東交差点を左折、久米池南東交差点の右方向は夕陽ケ丘団地への入口

 

▼久米石清水八幡宮へ向かう(約0.5km)-右側は久米池、右方向の久米池

 

▼新田町を西方向に進む-1

 

▼新田町を西方向に進む-2(中央奥に高松シンボルタワーとJRホテルクレメント高松)、ズーム景

 

▼新田町を西方向に進む-3

 

▼久米池と久米池ゴルフセンター、ズーム景

▼久米池のパノラマ景-1

▼新田町を西方向に進む-4、左上部の久米石清水八幡宮の御旅所に寄る

 

 

▼石清水八幡宮の御旅所-1

 

▼石清水八幡宮の御旅所-2

▼久米池南遺跡の説明板、石清水八幡宮の御旅所から下りる

 

 

▼石清水八幡宮の御旅所から下り参道へ入った、石清水八幡宮への参道を進む-1

▼右側の燈籠と記念碑、新川沿岸導水記念碑

 

▼石清水八幡宮の社号碑、石清水八幡宮の一の鳥居

▼石清水八幡宮への参道を進む-2(左に案内板)、「久米の里山」周辺案内図(○印は現在地)-1

 

▼四国新聞社選定「さぬき百景」、石清水八幡宮の二の鳥居

 

▼石清水八幡宮への参道を進む-3、右(北東)奥に屋島と五剣山

▼石清水八幡宮への参道を進む-4、石清水八幡宮神明殿(右側)前に着いた

 

 

フォトSketch-石清水八幡宮

高松市・久米池の南岸に鎮座する。奈良時代に建立され約1300年の歴史を誇り地域を守る氏神として崇敬されてきた。御祭神は「応神天皇」「仲衰天皇」「神功皇后」の三柱を祀り、弘法大師、行基菩薩などの参拝があるという霊験あらたかな神社。

「石清水八幡宮神明殿」の伝統的な神前式スタイルの結婚式場が好評で、一日1組限定で雅楽の生演奏やご神木の桜の木を使った祈願札に名前を刻み、境内に飾ってもらえるなどオリジナルの式が叶う。

春は参道の桜並木と傍らには久米池が広がり、屋島と八栗山が一望できる。

 

▼石清水八幡宮神明殿-1

▼石清水八幡宮神明殿-2

 

▼石清水八幡宮神明殿-3、石清水八幡宮神明殿から見る久米池と奥の前田山

 

 

▼石清水八幡宮に着いた、石清水八幡宮-1

 

▼石清水八幡宮-2

 

▼石清水八幡宮-3

 

▼石清水八幡宮-4

 

▼石清水八幡宮-5

 

▼石清水八幡宮-6

 

▼石清水八幡宮-7

 

▼石清水八幡宮-8

 

▼石清水八幡宮-9

 

▼石清水八幡宮-10

 

▼石清水八幡宮-11

 

 

▼石清水八幡宮を後にして近くの久米寺に寄る、久米寺-1

▼久米寺-2

 

▼久米寺-3

 

▼久米寺-4、久米寺を後にして久米山「やすらぎの里」へ向かう(約0.3km)-次の交点(標高13m)を右折

 

▼久米山墓地公園へ進む

 

 

フォトSketch-久米山墓地公園

立地もよく、自然に囲まれた休まる墓地公園である。

高松市内から車で約20分、ことでん久本バス停から徒歩で約7分の便利な場所にある。

高台からは、屋島・五剣山そして「さぬき百景」に選ばれた久米池越しに見える景色が一望できる。

水場は仏様が休まる地とされていて、霊園として適した場所にある。

 

▼久米山墓地公園へ入る、久米山墓地公園の記念碑

 

▼久米山墓地公園内を進む-1、後方に久米寺が見える

 

▼久米山墓地公園内を進む-2

▼久米山墓地公園の右(西)方向-最上段は諏訪神社の御旅所

 

▼久米山墓地公園内を進む-3

 

▼久米山墓地公園の左(東)方向、右(西)方向

 

▼久米山墓地公園内を進む-4、左側は高松教会墓地(突き当りを右折)

 

▼高松教会墓地

 

▼久米山墓地公園内を進む-5、久米山墓地公園を振り返る(後方奥に久米池と屋島・五剣山)

 

 

引き続き、Vol.1025-3/3をご覧ください。

Vol.1025-2/3に続けてご覧ください。

 

▼久米山「やすらぎの里」が見えて来た、久米山「やすらぎの里」に着いた(標高40m)

 

▼久米山「やすらぎの里」-1

▼久米山「やすらぎの里」-2

 

▼久米山「やすらぎの里」-3

 

▼平和塔と諏訪神社の御旅所へ進む、平和塔

▼諏訪神社の御旅所

 

▼諏訪神社の御旅所から見る東北方向-1

▼諏訪神社の御旅所から見る東北方向-2

▼諏訪神社の御旅所から見る久米池ゴルフセンター、石清水八幡宮の参道-一の鳥居・二の鳥居のズーム景

 

▼諏訪神社の御旅所から見る久米山墓地公園のズーム景

 

 

▼諏訪神社の御旅所を後にして諏訪神社へ向かう(約0.3km)、諏訪神社へ山道を下る-1

 

▼諏訪神社へ山道を下る-2(標識は諏訪神社・帰り道)、平和塔と諏訪神社の御旅所を振り返る

 

▼左(南西)側に由良山と高松クレーター5座、由良山と高松クレーター5座のズーム景

▼諏訪神社へ山道を下る-3

 

▼諏訪神社へ山道を下る-4

 

 

フォトSketch-諏訪神社

久米池の南西にある古墳の上に鎮座している。讃岐では珍しい諏訪神社ですが、武田の遺児「桃千代丸」が此の地に逃れ、諏訪明神を勧請したと云う。信玄亡き後、甲斐武田氏を継いだ勝頼は天目山の戦いで破れ、一門はかの地で滅んだと云われているが。

祭神:建御名方神
時天正十年三月十一日武田信玄の長男勝頼とその嗣子信勝は天目山の戦いに織田信長に敗れ親子共々に自害す。武田氏は滅亡に及び信勝の弟桃千代丸は家臣十八人女中七人を伴ひ屋島の地に逃れ来たり。山田郡元山村領主大熊備前守方に暫止留なし再起を謀るべく此の地に諏訪明神を勧請、後香東郡坂田室山城主細川家々臣坂田権守に頼り住みしも時悪く天正十三年三月豊臣秀吉の四國征伐に遭遇し室山城落城桃千代丸逃れ此の地に来り掃部屋敷(神社東側下の東寄り最近迄柿の大木と井戸が残在していたが今は埋没して跡なし)に住み祠職をなすも延宝年中発覚されその職を遂放され長い年月そのままとなり荒廃極に達す。山崎の住民恐れ畏み修復し山崎の守護神として現在も祭祀せるは誠に敬神の念厚き心に感銘するものである。御神徳の一説に地蔵寺の住職屋島西町に移遷せんと諏訪明神に我に百人分の力を授け給へと日参せし所その力量を授けられ喜び勇み帰寺せんと新川の堤防にさしかかった時両足地中に没し歩行出来ず直ちに力量減じ給へと念じたる所忽ち五十人力減ずるが故に寺院の建立に役だたせよと神託あり住職直ちに棟木を組立て落成新田町奥の坊より本尊の移遷せしとある。明治五年七月久米八幡宮境外末社となる。(境内由緒書より)

 

▼諏訪神社が見えて来た、諏訪神社-神馬

 

▼「久米の里山」周辺案内図(○印は現在地)-2、諏訪神社に着いた(標高26m)

 

▼諏訪神社-1

 

▼諏訪神社-2

▼諏訪神社-3

 

▼諏訪神社-4

 

▼諏訪神社-5

 

▼諏訪神社-6

 

▼諏訪神社-7

 

▼諏訪神社-8

 

 

▼諏訪神社を後にして久米池へ向かう(約0.3km)、久米山から下りる-1

 

▼久米山から下りる-2、左に案内板

 

▼案内板「諏訪神社古墳」

 

▼久米山から下りる-3、久米山から下りた(左に石碑)

 

▼諏訪神社の社号碑、諏訪神社の社号碑と参道を振り返る

 

▼久米池に進む-1

 

▼久米池に進む-2、次の交点を左折(左奥は久米寺、右奥に案内板)

 

▼「久米の里山」周辺案内図(○印は現在地)-3、ミニ八十八ケ所西登り口

 

▼正面奥に久米寺、久米池に進む-3

 

▼久米池に進む-4、正面(北東)に久米池・奥に屋島と五剣山

 

▼久米池に進む-5、久米池の西南端の堤防に着いた

 

▼久米池のパノラマ景-2

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-1

 

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-2、久米山墓地公園を振り返る

 

▼久米池のパノラマ景-3

▼久米池の西側の歩行者用道路を北東方向に進む-3、新田町に入った

(次報Vol.1026に続く)

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

空や風景を映し出す宮池‎の水面鏡。

南側の遊歩道から宮池の北方向を見た180度のパノラマ景。

南側の遊歩道から宮池の南方向のだんご山3兄弟を見た180度のパノラマ景。

南側の遊歩道から宮池の360度を見たパノラマ景。

夕陽が射す宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-136 Orignal掲載日:Vol.252 (2014.04.20)

自由とは…。

 

立教新座中・高校校長の渡辺憲司氏の著書「海を感じなさい」の一節を紹介します。

この著書は氏から若者への激励文である。老いも若きも共に未来に進まねばならない。平凡な毎日がいかに貴重であるか、それを決して忘れてはならない。希望が足元に有る事を語り継ぎたいとの想いをまとめたものである。

 

空に身をゆだねなさい。君がいま見るその空は、ただの空ではない。「天空海闊(てんくうかいかつ)」という言葉が似合う、果てしなく広い、自由の空だ。

天空海闊とは、天と空と海が一体となり、果てしなく広がるという意味だ。

転じて、人物の度量が大きく、何のわだかまりもない様を表す。

そんな天空海闊の世界に吸い込まれていく自分を想像してみなさい。

悲しさや寂しさや、悔しさからも解放された、天衣無縫なまでに自由な姿を。

君の前に、いま自由の空が果てしなく広がる。青春の特権である。

いったいどこまで自由なのか。君は考えたことがあるか。

空に浮かぶ凧を想い浮かべてみるといい。

空に吸い上げられるように、どんどん舞い上がっていく凧。風を全身でとらえて、右へ左へ揺れながら、ヒラヒラと舞う凧。その凧につながる一本の糸が見えるか。

凧の自由を支える一本の糸。凧は、その糸でつながれているからこそ、自由自在に天空を舞えるのだ。糸とつながることで初めて、凧は自由なのだ。凧を支える糸を地上で手にしているのは誰か。

言うまでもない、君自身だ。

君は凧と一体化して天空海闊の世界に身をゆだねながら、その自分を操る存在でもある。

糸を手にする己れに求められるのは何か。真理への探究心である。

真理を求め、歩み始めることで、我々は自由になる。現実を直視し、「自分の位置」を象(かたど)っていくことで、自由は確かなものになるのだ。

学び続ける意味が、そこにある。確かな自由を得るために、学び続けなくはならない。

辞書を引き続けなさい。書棚から、辞書を取り出す労をいとうな。

いかに苦しくても、いかにつらくても、自分を信じる一筋の糸を手放すな。空に身をゆだねなさい。

草の上に寝ころび、自由に空を舞う凧を想い浮かべてみなさい。凧を操る糸が、君の手につながる。

 

 

<高くがる空間>

ほたる坂通りから見る新居新池とだんご山3兄弟の上空。

ほたる坂通りから見る新居新池と城山・大禿山・国分台の上空。

ほたる坂通りから見る国分寺町奥谷の集落と袋山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇のfi宅に咲く枝垂れ梅

 

 

◇我が家の庭で咲き始めたクリスマスロビオラ

 

 

 

 

◇蓑坂池の満開の水仙

 

 

◇町並巡りで出会った紅卜半(べにぼくはん)

 

 

 

<akijii展-(582)

今報は、2.精霊エルサの誕生

(所要時間215M=3.9H)<線画>110M<面画>105M

 

 

引き続き、Vol.1024-2/3をご覧ください。

Vol.1024-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<春日町  

今報は、春日町の高松大学と春日神社の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、高松大学

高松市春日町:〒761-0101

 

▼春日神社の神門、境内

 

 

▼バス停「春日川」(春日町)で降車、県道155号線の信号交差点を南に横断

 

▼春日川の東沿いを南方向に進む-1、高松大学へ向かう(約0.7km)

▼右奥はJR高徳線鉄橋、後方左は春日川橋(県道155号線)

 

▼春日川の東沿いを南方向に進む-2(春日川東踏切を渡る)、右(西)はJR高徳線鉄橋の線路

 

▼春日川の東沿いを南方向に進む-3(右奥に高松クレーター5座)、左奥に高松大学が見えて来た

 

▼春日川の東沿いを南方向に進む-4、左側に高松大学のグラウンドと校舎-1

 

▼左側に高松大学のグラウンドと校舎-2

 

▼後方のJR高徳線鉄橋を振り返る、高松大学に着いた

 

フォトSketch-高松大学

春日町960番地に本部を置く私立大学で、1996年創立、1996年大学設置、大学の略称は高大(たかだい)。

高松大学では4ヶ条からなる「建学の精神」を制定しており、目指す大学像が提示されている。また、高松大学では「教育理念」を定めており、高松大学の教育について実現すべき4項目が示されている。これらの「建学の精神」や「教育理念」に基づき、具体的な「教育目標」を定めている。

高松大学は、平成27年度に公益財団法人日本高等教育評価機構による大学機関別認証評価を受審した結果、機構の定める大学評価基準に適合していると「認定」された。学部は、経営学部と発達科学部で、研究科は経営研究科である。

 

▼高松大学-1

 

▼高松大学-2

 

▼高松大学-3

 

▼高松大学-4

▼高松大学-5

 

▼高松大学-6

 

▼高松大学-7

 

▼高松大学-8、体育館ガラス窓にマーキングして高松大学を後にする

 

 

▼高松大学の南隣の高松東幼稚園、高松東幼稚園-1

 

▼高松東幼稚園-2

 

 

▼春日神社へ向かう(約0.7km)、春日川の東沿いを南方向に進む-5

 

▼後方奥中央に女木島が見える、春日川の東沿いを南方向に進む-6(次の交点を左進)

 

▼春日川の東沿いから左に下りて東方向へ進む、左(東)奥に春日神社の社叢が見えて来た

▼春日神社へ進む-1

 

▼春日神社へ進む-2、左(北東)方向に屋島と五剣山

 

▼春日神社へ進む-3、左(北)方向奥に高松大学

 

▼春日神社へ進む-4、春日神社が見えて来た

 

 

フォトSketch-春日神社

JR高徳線木太町駅の南東1km程の辺り、新川と春日川に挟まれて鎮座している。

春日神社の御祭神は、天児屋根命であり、御神体には昔から伝承する宝姫の御鏡が、秘蔵されている。
「記紀」によれば、天児屋根命は天孫降臨に随伴する神で祭祀を司どるといわれている。天児屋根命の子孫である中臣宮處連静子命は「宮處里は汝の遠き祖先天児屋根命が誉め愛で師し地である」という応神天皇の詔により讃岐国県主に任命されこの地に移り住んだ。以後中臣宮處氏は、その職を世襲し天児屋根命を祀り栄え、中臣宮處朝臣は、昔新嘗祭をしたと伝えられる海岸の松原に社殿を造営し氏神大明神とした。
弥生時代より定着した我等の先祖は、あすか川(春日川)久米川(新川)流域に分かれて農耕に励み繁栄してきた。その後、中臣宮處本家郡長家の許しを得て、里ごとに社を建て天児屋根大神を分祀した。これらは旧山田郡、三木郡に七社現存する。室町、戦国、江戸、明治の世を春日の氏子は大神を尊信し、広い松原をもつ春日神社を維持してきた。
このたび我等氏子は、先祖が守ってきた由緒ある春日神社の本殿等の改築、境内の改修を行い、子々孫々にこの志を伝えるべく碑を建て記念とする。(境内由緒書より)

 

▼左側に春日神社の境内、春日神社の神門へ進む-1(左奥に石碑)

 

▼春日神社由緒記念碑、春日神社の神門へ進む-2

 

▼春日神社の神門に着いた、春日神社-1

 

▼春日神社-2

 

▼春日神社-3

▼春日神社-4

 

▼春日神社-5

 

▼春日神社-6

 

▼春日神社-7

 

▼春日神社-8

 

▼春日神社-9

 

▼春日神社-10

 

▼春日神社-11

 

▼春日神社-12

 

▼春日神社-13

▼神門の鹿に一礼して春日神社を後にする

 

 

引き続き、Vol.1024-3/3をご覧ください。

Vol.1024-2/3に続けてご覧ください。

 

▼帰路のことでん潟元駅へ向かう(約2.4km)、春日町を北東方向に進む-1

 

▼春日町を北東方向に進む-2

 

▼後方の春日神社を振り返る、右側奥に春日幼稚園

 

▼春日町を北東方向に進む-3

 

▼春日町を北東方向に進む-4

 

▼春日町を北西方向に進み次の交点を右折、春日町を西北方向に進む-1

 

▼左側はエディオン高松春日店

 

▼春日町を西北方向に進む-2(次の本三交差点を東へ横断)、右(東)奥にハローズ高松春日店

 

▼本三交差点(県道10号線)の左(北)方向、右(南)方向

 

▼本三交差点を東へ横断(正面はハローズ高松春日店)、春日町を西北方向に進む-3

 

▼後方のエディオン高松春日店、春日町を西北方向に進む-4(前方にびっくりドンキー高松春日店)

 

▼びっくりドンキー高松春日店、春日町を西北方向に進む-5

 

▼春日町を西北方向に進む-6、春日町を西北から西方向に進む

 

▼春日町を西方向に新川(新川南橋)へ進む-1

 

▼春日町を西方向に新川(新川南橋)へ進む-2

 

▼新川に着いた、新川(新川南橋)を渡る

 

▼新川の右(南-上流)方向、左(北-下流)方向

 

▼左前方の摂陽明正㈱香川本社(新田町)に寄る、新川(新川南橋)を渡った

 

 

▼摂陽明正㈱香川本社の正門へ進む-1

 

▼摂陽明正㈱香川本社の正門へ進む-2、摂陽明正㈱香川本社の正門に着いた

 

▼摂陽明正㈱香川本社-1

 

▼新川(新川南橋)の東側(春日町)に戻る、新川(新川南橋)の東側に戻り右折

 

 

▼摂陽明正㈱香川本社-2、新川の東側沿いに北方向に進む-1

 

▼新川の東側沿いに北方向に進む-2

 

▼新川の東側沿いに北方向に進む-3

 

▼右(東)奥に前田山、左(西)奥に石清尾山・浄願寺山

 

▼前方右奥に屋島と五剣山、新川の東側沿いに北方向に進む-4

 

▼新川の東側沿いに北方向に進む-5、JR高徳線を潜る-1

 

▼JR高徳線を潜る-2

 

▼JR高徳線を潜る-3、JR高徳線を潜った

 

▼県道155号線を直進横断、屋島西町に入る

 

▼県道155号線の右(東)方向、左(西)方向

▼屋島西町を北方向に進む-1

 

▼屋島西町を北方向に進む-2

 

▼屋島西町を北方向に進む-3、国道11号線の歩道橋を渡る-1

 

▼国道11号線の歩道橋を渡る-2

 

▼国道11号線の歩道橋の右(東)方向、左(西)方向

▼国道11号線の歩道橋を渡った、大橋(相引川)を渡る

 

▼大橋(相引川)の右(東)方向、左(西北)方向

▼ことでん潟元駅へ進む-1、右側に(旧)屋島総合病院

 

▼ことでん潟元駅へ進む-2(駅名標示板が見えて来た)、潟元踏切を渡る

 

▼潟元踏切の右(東北)方向、左(西南)方向

▼ことでん潟元駅に着いた、ことでん潟元駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

宮池とパーゴラ5景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-135 Orignal掲載日:Vol.251 (2014.04.15)

笑った方が…。

 

電車の中で大きな声で話をする女の子たちが増えている。笑い方もバカ笑いとしかいいようがない。

一方、生活や仕事の場で、朗らかな笑い声を聞くことが少なくなったのではと感じる。

笑いは不快さへの耐久力を高めるという。10回笑うのが10分間ボートを漕ぐのに等しいなら、是非もっと笑ってみようではないか。中国に昔から「一笑一若、一怒一老(いっしょういちじゃく、いちどいちろう)」という言葉がある。

1回笑うと一つ若返り、1度怒ると一つ年を取る、というのだ。それくらい笑いの効用は大きいということだろう。

ガン患者に落語を聴かせて、直後に免疫力を測定したら、みんなアップしていたという研究報告もある。

人が笑うのは可笑しいからだが、これだけいいことなのだから、可笑しくなくてもどんどん笑ったらどうか。

「可笑しくないのに笑えるか」、そういう人は損な性格だと思う。可笑しくなくても笑って、生理的な効用はちゃんとあるからだ。

 

大笑い大会というのがあって、一人ひとり舞台で大笑いを演技する。それはまさに演技なのだが、一生懸命に笑いの演技をしているうちに、本当に愉快になってくるものらしい。そういえば昔、「指圧」で有名だった浪越徳次郎氏は、「ワッハッハ」とよく笑っていた。笑って長生きした。

人生を楽しむ術を知っている人間は、例外なくよく笑う人たちだ

ストレス学説を創始した、ハンス・セリエも笑いの重要性を強調した人だ。

彼の有名な言葉に「悲しみから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」というのがある。

笑いもまったく同じだろう。「可笑しいから笑うのではない。笑いから可笑しくなるのだ」----と。

案外これは人生の極意かも知れないと想う次第である。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る南方向の山々(だんご山3兄弟・堂山・火ノ山・十瓶山・鷲ノ山)の上空3景。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇のミモザ

2025/03/07撮影

日経新聞2024/03/05の春秋に記載されていた記事を紹介します。

146カ国中118位。男女平等の実現度合いを示す指数での日本の「後進国」ぶりはよく知られる。首位はアイスランドだ。さて、女性の人権侵害の最たるレイプ。発生率が低いのは? 日本の方だ。10万人あたり1件強と、69件のアイスランドに比べ桁違いに少ない。

▽それだけ安全、なわけはない。警察が正式に認知した事件数つまり届け出率に近い。恐怖心や羞恥心や徒労感……。事件化されなかった無数の涙が閉じた社会の底に沈む。いわば「ブラックボックス」だ。中身が見えず不気味な存在。自らの性被害を追った伊藤詩織監督の「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」が話題だ。

▽米アカデミー賞は逃したが作品の評価は高い。一方、国内上映が決まらない。許諾なく使用された素材が一因だ。事件で監督を支え、民事訴訟で勝訴に導いた女性弁護士の隠し撮りも含まれる。「心がズタズタ」との言葉は重いが、国内上映に向けて、双方で知恵を尽くして解決策を導いてほしい。多くの女性のためにも。

▽「女の敵は女」。SNS上などで散見されるラベル貼りはなんとも陳腐だ。日本では特に政治・経済分野での指導的地位への女性登用が遅れている。影響力のある女性が増え、プロ同士で議論を戦わせる意義は大きい。8日は「国際女性デー」だ。マッチョ指導者たちが分断をあおる世界にあって多様性の底力を信じたい。

2024/03/07撮影

 

◇ウォーキングコース脇の盆栽神社の寒緋(かんひさくら)

2025/03/07撮影

 

2024/03/07撮影

◇町並巡りで出会ったソケイ(ジャスミンの仲間)

 

◇我家前の畑に咲くヒメリュウキンカ

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲く菜の花

 

◇春日神社境内のツバキ

 

 

 

<akijii展-(581)

今報から大人のためのヒーリングスクラッチアート~けずって描く魔法の世界~5点です。

大人も大好きなアナ2の美しい氷の世界をホログラムの輝きで、魔法の森やアレンデール王国カラフルなスクラッチで癒されてくださいとの案内です。

今報は、1.謎の歌声とエルサ

(所要時間は590M=9.8H)<線画>375M<面画>215M

 

 

引き続き、Vol.1023-2/2をご覧ください。

Vol.1023-1/2に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<元山町  

今報は、元山町の熊野神社・県営住宅元山団地・ことでん元山駅舎の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、熊野神社

高松市元山町:〒761-0311

 

▼県営住宅高松元山団地、ことでん元山駅舎

 

 

▼元山町に入った、熊野神社へ向かう(約0.3km)

 

▼元山町を東方向へ進む、次の交点を左折

 

▼熊野神社の御旅所、熊野神社の参道を北方向に進む-1

 

▼熊野神社の参道を北方向に進む-2

 

▼熊野神社の参道を北方向に進む-3

 

 

フォトSketch-熊野神社

琴電長尾線の元山駅の北西400m程の辺りの興住宅地の中に鎮座している。

紀州の熊野神社からの勧請と思われるが、由緒書は無く詳細は不明である。

香川県神社誌に曰く、天正三年(紀元二二三五)九月、大熊弾正紀州熊野神社に詣で、その御分霊を奉移して元山郷の氏神とせしに始る。

全讃史に「相傳天文時大熊丹後守清助始立祠」とあり。天正十年長宗我部氏の兵火に罹り後再築す。熊野権現或は元山権現と稱せられたり。」「元山村舊家河田叉大夫の系譜によれば、紀州熊野別當堪増が遠裔に天文の頃元山郷に大熊備前守なる者あり。後改名して大熊弾正と云ふ。」「曾て紀州熊野に祈願して一男を得たり。神恩報謝の為め一社を建て、自ら熊野より御分霊を奉遷して元山村の氏神とす。」とある。

 

▼熊野神社に着いた、熊野神社-1

 

▼熊野神社-2

 

▼熊野神社-3

 

▼熊野神社-4

 

 

▼熊野神社-5(金刀比羅宮)

 

▼熊野神社-6(金刀比羅宮)

 

▼熊野神社-7(金刀比羅宮)

 

 

▼熊野神社-8、熊野神社を後にして県営住宅高松元山団地へ向かう(約0.5km)

 

▼熊野神社の参道を戻る、次の交点を左折

 

▼元山町を東へ進む、次の橋を渡る

 

▼元山町を南方向に進む-1

 

▼元山町を南方向に進む-2、正面に県営住宅高松元山団地が見えて来た(次の交点を左折)

 

▼県営住宅高松元山団地の遠景、県営住宅高松元山団地へ進む-1(次の交点を右折)

▼県営住宅高松元山団地へ進む-2(右に案内板)、案内板「⇦県営住宅 高松元山団地」

 

▼左方向に県営住宅高松元山団地C-1~C3棟が見える、県営住宅高松元山団地に着いた

 

 

フォトSketch-県営高松元山団地

所在地は〒761-0311 高松市元山町1029で、建設は昭和43~45年で総戸数は240戸、間取りは2DK〜3LDKである。

校区は川添小学校・協和中学校である。

 

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-1

 

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-2

 

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-3

 

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-4

 

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-5

▼県営住宅高松元山団地内を巡回-6

 

 

▼帰路のことでん元山駅に向かう(約0.8km)、元山町を東方向に進む-1(県営住宅高松元山団地沿い)

 

▼元山町を東方向に進む-1

 

▼左後方は県営住宅高松元山団地C-8棟、元山町を東方向に進む-2

 

▼元山町を東方向に進む-3、協和中学通踏切を渡る

 

▼協和中学通踏切の右(南-高松自動車道)方向、左(北-元山駅)方向

▼左後方に県営住宅高松元山団地、元山町を東方向に進む-4(右奥に協和中学校)

 

▼協和中学校の全景、元山町を東方向に進む-5(右側は協和中学校)

 

▼協和中学校の正門前を左折、協和中学校の正門

 

▼元山町を北方向に進む(左奥は川添郵便局)、県道10号線(長尾街道)交差点を左折

 

▼川添郵便局と協和中学校を振り返る、県道10号線を西北方向に進む-1

▼県道10号線を西北方向に進む-2

 

▼左奥に元山駅が見えて来た、ことでん元山駅に着いた

 

 

フォトSketch-ことでん元山駅

琴電長尾線の駅で、駅番号はN06。単式ホーム1面1線を有する。

戦後すぐ(1950年頃)までは相対式ホームであり、交換設備を有していたという。

1912年4月30日に高松電気軌道の駅として開業し、1943年11月1日に会社合併により琴電長尾線の駅となる。

2006年2月28日にスロープ新設工事完成によりバリアフリー化。

2009年2月6日に駅本屋が経済産業省より「近代化産業遺産」に認定された。

 

▼ことでん元山駅舎-1

 

▼ことでん元山駅舎-2

 

▼ことでん元山駅舎-3

▼ことでん元山駅舎-4

 

▼ことでん元山駅舎-5

 

 

▼ことでん元山駅の駅名標、ことでん元山駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀