Vol.1025-1/3 R巻頭-137。気ままniフォトSketch<東山崎町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池の水面5景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-137 Orignal掲載日:Vol.261 (2014.06.05)

阿吽…。

 

最近、私がはまっている森沢明夫の小説の一節です。

一瞬のいまを、大切に生きる----。

阿吽(あうん)って、そういう意味なんだって、ママに教えてもらったんです。「え…」「わたしが、ママとはじめて会った日に」「あら、わたし、そんなこと言ったかしら?」「言いましたよ。阿吽の阿は、五十音のはじまりの『あ』で、吽は終わりの『ん』のことで、つまり阿吽はこの世のすべてを表す禅の言葉なんだって。転じて、この世のすべては、この世のすべては、阿と吽のあいだの一瞬のいまにしか存在しなくて、あなたが生きられるのも、いまこの瞬間だけなのよって----」カオリちゃんの言葉に、権田の記憶がじわじわと蘇ってきた。

いい、カオリちゃん----。あなたが生きられるのは、いまこの瞬間だけなのよ。過去と未来を思い煩っても、それは無駄なだけ。やり直すこしのできない過去を悲しんでいたら、せっかく生きている「いま」が不幸になっちゃうだけでしょ?それにね、まだ来てもいない未来を不安がっても仕方ないじゃない。大切な「いま」をつまらなくするだけだわ。

辛い過去になんてとらわれないで、未来の不安もぜーぶ忘れて、いまこの瞬間だけをしっかり味わって生きなさい。

それが、禅の「幸せに生きる極意」なのよ---。権田はそう言ったのだった。はじめて会ったカオリちゃんに。

「ママ、覚えてます?」「うん、思いだした。たしかに、そんな話をしたわ」カオリちゃんは少しホッとしたような顔をすると、シャンディ・ガフに軽く口をつけた。「わたし、あれからずっと、ママに教えてもらった『阿吽』を座右の銘にしてるんですよ」「…」「だから、将来を不安に思ったりしないし、夜中の秒針の音も怖くないんです」カワリちゃんがにっこり微笑むと、銀縁メガネの奥の目が細い三日月のようになった。つくづく、きれいな目だった。

 

本来の阿吽とは一般に吐く息と吸う息を表わす言葉で、多くは『阿吽の呼吸』と用いられ、二人以上が一つの事をするときの微妙なタイミングや気持ちの一致を表わすことをいう。語源の由来は「阿」は口を開き「吽」は口を閉じて発する声のことで、そこから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを『阿吽の呼吸』と言うようになったと解説されている。寺社の山門にある狛犬や仁王の口は一体(東)が口を開き、一体(西)は口を閉じて「阿吽」を表わしていて、また、剣道での「阿吽」は過去も未来も断ち切って、今を生きることだという。

天地自然は、一瞬の滞りもなく循環して動いている。であるから「過去にこだわれば遅れているし、未来にこだわれば想像にしばられる」からだと。

 

小生は、『一瞬のいまを、真剣に生きる』を今後の生き方とし、いま目の前の事にひたすら集中し、この瞬間に実力を出し切ることができるように修錬を積んでいきたいと思っている。

 

 

<高くがる空間

ウォーキングコースから見る南方向の山口池・橋岡山と奥に火ノ山・鷲ノ山の上空。

ウォーキングコースから見る北方向の猪尻山の上空。

ウォーキングコースから見る南方向の六ツ目山・堂山の上空。

ウォーキングコースから見る南方向のパノラマ景とその上空。

坂川沿い(国分寺町新居)から見る北西方向の国分台・猪尻山・大平山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの盆栽神社で遅れ咲く寒緋

盆栽神社

 

寒緋桜

 

 

◇ウォーキングコースに咲いた沈丁花(チンチョウゲ)ヒマラヤユキノシタ

 

 

◇ウォーキングコースと脇に咲く梅花

 

 

 

<akijii展-(583)

今報は、3.魔法の森の草花とアナ

(所要時間360M=6.0H)<線画>175M<面画>185M

 

 

引き続き、Vol.1025-2/3をご覧ください。