Vol.1024-1/3 R巻頭-136。気ままniフォトSketch<春日町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

空や風景を映し出す宮池‎の水面鏡。

南側の遊歩道から宮池の北方向を見た180度のパノラマ景。

南側の遊歩道から宮池の南方向のだんご山3兄弟を見た180度のパノラマ景。

南側の遊歩道から宮池の360度を見たパノラマ景。

夕陽が射す宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-136 Orignal掲載日:Vol.252 (2014.04.20)

自由とは…。

 

立教新座中・高校校長の渡辺憲司氏の著書「海を感じなさい」の一節を紹介します。

この著書は氏から若者への激励文である。老いも若きも共に未来に進まねばならない。平凡な毎日がいかに貴重であるか、それを決して忘れてはならない。希望が足元に有る事を語り継ぎたいとの想いをまとめたものである。

 

空に身をゆだねなさい。君がいま見るその空は、ただの空ではない。「天空海闊(てんくうかいかつ)」という言葉が似合う、果てしなく広い、自由の空だ。

天空海闊とは、天と空と海が一体となり、果てしなく広がるという意味だ。

転じて、人物の度量が大きく、何のわだかまりもない様を表す。

そんな天空海闊の世界に吸い込まれていく自分を想像してみなさい。

悲しさや寂しさや、悔しさからも解放された、天衣無縫なまでに自由な姿を。

君の前に、いま自由の空が果てしなく広がる。青春の特権である。

いったいどこまで自由なのか。君は考えたことがあるか。

空に浮かぶ凧を想い浮かべてみるといい。

空に吸い上げられるように、どんどん舞い上がっていく凧。風を全身でとらえて、右へ左へ揺れながら、ヒラヒラと舞う凧。その凧につながる一本の糸が見えるか。

凧の自由を支える一本の糸。凧は、その糸でつながれているからこそ、自由自在に天空を舞えるのだ。糸とつながることで初めて、凧は自由なのだ。凧を支える糸を地上で手にしているのは誰か。

言うまでもない、君自身だ。

君は凧と一体化して天空海闊の世界に身をゆだねながら、その自分を操る存在でもある。

糸を手にする己れに求められるのは何か。真理への探究心である。

真理を求め、歩み始めることで、我々は自由になる。現実を直視し、「自分の位置」を象(かたど)っていくことで、自由は確かなものになるのだ。

学び続ける意味が、そこにある。確かな自由を得るために、学び続けなくはならない。

辞書を引き続けなさい。書棚から、辞書を取り出す労をいとうな。

いかに苦しくても、いかにつらくても、自分を信じる一筋の糸を手放すな。空に身をゆだねなさい。

草の上に寝ころび、自由に空を舞う凧を想い浮かべてみなさい。凧を操る糸が、君の手につながる。

 

 

<高くがる空間>

ほたる坂通りから見る新居新池とだんご山3兄弟の上空。

ほたる坂通りから見る新居新池と城山・大禿山・国分台の上空。

ほたる坂通りから見る国分寺町奥谷の集落と袋山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇のfi宅に咲く枝垂れ梅

 

 

◇我が家の庭で咲き始めたクリスマスロビオラ

 

 

 

 

◇蓑坂池の満開の水仙

 

 

◇町並巡りで出会った紅卜半(べにぼくはん)

 

 

 

<akijii展-(582)

今報は、2.精霊エルサの誕生

(所要時間215M=3.9H)<線画>110M<面画>105M

 

 

引き続き、Vol.1024-2/3をご覧ください。