Vol.1022-2/3に続けてご覧ください。
フォトSketch-大池
高松自動車道高松中央インターの西に位置しています。今から約1,300 年前の天平七年(735年)の年号が記された日本最古の条里制の絵図である「弘福寺領讃岐国山田郡田図(ぐふくじりょうさぬきのくにやまだぐんでんず)」によると、この付近一帯は、古くから開発が進んでいたことがわかります。地域の人々には古くから「大池」と呼ばれてきましたが、元禄六年(1693年)に木太村真福寺(廃寺)の僧、龍宣(りゅうせん)によって書かれた「入江 神社記」では「新池」の名称で記されています。「大池」、「新池」と二つの呼び名があることを踏まえ、ため池管理については、昭和七年(1932年)に新池耕池整理組合が発足し、戦後の土地改良法制定で、高松市木太町新池土地改良区と名称を改め現在に至っています。昭和52年から12年をかけて全面改修が行われましたが、平成九年より、太田第二土地区画整備事業の一環である都市計画道路・木太多肥上町線の新設に伴い、土地改良事業等によるため池の堤体新設工事や景観整備事業等が行われました。ため池の堤には遊歩道が整備され、地域住民の憩いの場・体力増進の場として大いに活用されています。(香川県HP)
▼東南方向へ進む-1(木太ゴルフセンター)、木太ゴルフセンターのズーム景
▼東南方向へ進む-2、大池の北側堤防から見る南方向
▼大池の北側堤防から見る南西方向のパノラマ景
▼元の地点に戻り西方向に進む、右(北)下奥に木太中学校・詰田川と右奥に屋島
▼大池の堤防を西方向に進む-1、大池の取水塔と南の方向
▼大池の堤防を西方向に進む-2、大池の堤防を西から南方向に進む
▼大池の西北隅から東南方向のパノラマ景
▼大池の堤防を南方向に進む
▼大池の西側から東方向のパノラマ景
▼大池の西側の休憩所、大池の説明板
▼大池の西から見る木太ゴルフセンター、木太ゴルフセンターのズーム景
▼大池の竣工記念碑、大池の堤防を東南方向に進む-1
▼大池の堤防を東南方向に進む-2、右(南)下に平塚公園-1
▼大池の堤防を東南方向に進む-3、右(南)下に平塚公園-2
▼大池の西南隅から北方向のパノラマ景
▼大池の堤防を東方向に進む-1
▼大池の南から北方向のパノラマ景
▼大池の堤防を東方向に進む-2
▼大池の南端から北方向のパノラマ景
▼大池の堤防を東方向に進む-3、大池の北方向奥に屋島と五剣山
▼大池の堤防を東北方向に進む-1
▼大池の東南端から北西方向のパノラマ景
▼大池の堤防を東北方向に進む-3
▼大池の東側から西北方向のパノラマ景
▼大池を後にして善立寺・大超寺へ向かう(約1.0km)、大池の堤防から下りて左折
▼木太ゴルフセンター沿いに北へ進む-1
▼木太ゴルフセンター沿いに北へ進む-2、次の信号交差点を右へ横断
▼木太町を東方向に進む-1
▼県道43号線を直進横断、木太町を東方向に進む-2
▼木太町を東方向に進む-3、詰田川の支流を渡る
▼木太町を東方向に進む-4(次の交点を左折)、善立寺・大超寺へ進む-1(奥に善立寺・大超寺が見えて来た)
▼善立寺・大超寺へ進む-2、次の交点を右折
フォトSketch-善立寺・大超寺
善立寺は真宗興正派の寺院で、大超寺は真宗興正派の寺院である。
▼善立寺・大超寺へ進む-3、善立寺に着いた
▼善立寺-1
▼善立寺-2
▼善立寺-3
▼善立寺-4
▼善立寺-5
▼善立寺から大超寺へ進む、善立寺の南隣に大超寺
▼大超寺に着いた、大超寺-1
▼大超寺-2
▼大超寺-3
▼大超寺-4
▼大超寺-5
▼大超寺・善立寺を後にして元山町へ向かう(約0.3km)、木太町を東方向に進む-1
▼木太町を東方向に進む-2、詰田川支流を越えると元山町に入る
▼木太町を詰田川支流沿いに北へ進む-1、左側に「石丸水車も跡」の石標
▼木太町を詰田川支流沿いに北へ進む-2(次の交点を右折)、元山町に入った
(次報Vol.1023に続く)
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