新居宮池は今
夕暮れ時の宮池の水面と上空の雲。
ウォーキングコースから見る宮池地蔵堂とパーゴラの遠景。
宮池地蔵堂とパーゴラのズーム景。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-1。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-2。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-3。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-4。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-5。
宮池地蔵堂とパーゴラ・背景のだんご山3兄弟の6日の移ろぎ-6。
Akijii-blog巻頭言Repeat-129 Orignal掲載日:Vol.244(2014.03.10)
アンパンマン…。
画家のやなせたかしさんは、「生涯現役、臨終定年(名僧:松原泰道さんの名言)」天寿を全うし、亨年94歳で亡くなりました。「アンパンマン」の単行本シリーズは400冊、総発行部数8,000万部、キャラクターグッズは1,000点に上り、その売上は1兆円を越すと云います。
アンパンマンが誕生したのは40年前で、25年前にアメニ化されテレビ放送されると大ブームになったが、このアンパンマンには、やなせさんの過酷な戦争体験が反映されていて、自身だけでなく弟さんも戦地で亡くなっているそうだ。やなせさんは「正義のための戦争なんてどこにもない。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。
逆転しない正義とは献身と愛だれだ。それも決して大袈裟なことではなく、目の前で餓死しそうな人がいるならば、その人に一片のパンを与えること」だと書いている。
なぜなら、人間とって最も辛いのは飢えだからだという。だからアンパンマンは自分の顔をちぎって困っている人に与えるのだ。自分の身を犠牲にして人を助けるという発想は、自分が傷つかないで正義を行うことなどできないと考えているからで、自分だけは安全圏にいて、自らの身を削ることなく利他の実践などできないということである。
当初、親たちには、自分の顔をちぎって食べさせることに違和感があったようだが、子どもたちの圧倒的な支持が、大人たちの戸惑いや批判を吹き飛ばしてしまった。アンパンマンは子どもたちが自ら選び、作り上げたヒーローなのである。正義の戦いなんてない、だから正義の名の下に相手を殺してはならないと考えるやなせさんのアンパンマンは、敵役のバイキンマンも完全にやっつけることはない。バイキンマンにしても愛すべき悪者で、ときには人の助けになったりもする。
その根底にあるものは、善も悪も絶対的なものではなく、総体的なものだという思想である。やなせさんにとって、絶対的に正しいことは、自己犠牲をも辞さない献身と愛だけなのである。
半世紀以上も前に作られた「手のひらを太陽に」の歌は、いずみたく作曲で作詞がやなせさんである。
---ぼくらはみんな生きている 生きているから 歌うんだ / 手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮 ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ友だちなんだ---
この歌詞を追ってみると、この歌は「共生」の讃歌であることが解る。
今日一日、共生の理想を持ち、精いっぱい倫理を実践して生きる。やなせさんの言葉では「目の前にいる人を喜ばせるために、一瞬一瞬を懸命に生きる」ということである。
倫理とは、人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもので、道徳、モラルである。
人が共に生き、仲良く楽しく暮らして行くための「すじみち」で、目に見えなくても、社会生活をまっとうする上に存在するルールをいう。
<高く広がる空間>
ほたる坂通りから見る南方向(新居新池と奥にだんご山3兄弟・火ノ山・十瓶山・鷲ノ山)の上空。
宮池への導入路から見る雨中のだんご山3兄弟の上空。
ウォーキングコース脇から見る雨中のだんご山3兄弟(伽藍山と六ツ目山が重なっている)の上空の遠景。
だんご山3兄弟(伽藍山と六ツ目山が重なっている)の上空のズーム景。
A seasonal flower
◇ウォーキングコース脇の畑の白梅が一輪一輪と咲き始めた
◇ウォーキングコース脇で咲き始めた水仙
◇ウォーキングコースのÌm宅の玄関の水仙
◇ウォーキングコースの満開の蠟梅
・a地点
・b地点
・So宅
<akijii展-(573)>
今報は、シールパズル-動物編7点目-孔雀で117シールです。
引き続き、Vol.1017-2/2をご覧ください。