新居宮池は今
涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間の移ろい-1
穏やかな夕陽を映す宮池の水面。
涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-2
涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-3
涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-4
涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-5
Akijii-blog巻頭言Repeat-127 Orignal掲載日:Vol.230 (2013.12.25)
銀型or鉄型…。
人生は三段階に分けられると云う。
「第一の人生」は、生まれてから十九歳までのいわば、親の助けがないと生きられない時代。
「第二の人生」は、四十九までの社会的に自立して仕事に励み、一定の基盤をつくりあげるまでの三十年。そして五十歳からが「第三の人生」で、遮二無二に突っ走ってきた人生を振り返り、改めて「人間とは」「人生とは」と考えたうえで、残りの人生を豊かに生きる時間。
この三段階だと云う。
多くの人に共通する口癖に、「三十歳になったら急に無理が利かなくなった」「四十歳になったら…」「五十歳になったら…」と。なんのことはなく、節目節目で「歳を取った。もう駄目だ」と嘆いているのだ。
たしかに、二十歳を過ぎると「死ぬ細胞の方が、生まれる細胞より多い」らしい。つまり、大人になったら、後はまっしぐらに老いていくのが人間の宿命である。しかし一方、人間はそれほど単純な生き物でもなく、体力が落ちるとともに、「人間力」が増していくのだ。髪の毛が抜け、視力が落ちるのと反比例するように、若いころにはなかった能力がずいぶん高まっていく。
これは特定の才人や智恵者に限ったことではなく、誰にでも公平に備わっている「力」だと云う。
ところが現実には、五十歳を迎える頃、「銀型人間」と「鉄型人間」に分かれてしまうらしい。
説明は不要だろうが、「銀型」とは、歳を経るにつれていぶし銀のような魅力を放つタイプで、逆にただ錆び付くばかりで、しまいには弱々しく崩れていくのが「鉄型」である。
身の周りを見ても、あいつは「銀型」で、あいつは「鉄型」と簡単に見分けがつくだろう。
頭髪は薄くなり、腹は出てきているのに、なぜか生き生きとして魅力のあるオヤジで、高倉健のような「苦み走ったいい男」ではないフツーのオヤジなのに、どこか輝いている。
一方、「鉄型オヤジ」は、どんなに高価なスーツを着ていても、どこか暗くてブラックホールのような雰囲気を漂わせていて、背中で「オレはもう駄目だ」と語っている。
「人間力」の高まりは、誰にでも備わっているのだから、誰もが「銀型人間」になれるハズだが、なぜ「鉄型」になるのか、その原因はハッキリしていると云う。
自分の「人間力」、さらにはその「使い方」に気づいてしないからだと…。
なんとも、もったいないことだ。小生も、再チェックをしてみようっと…。
<高く広がる空間>
ウォーキングコースから見る春日神社と奥の袋山・奥谷ハイランド他の団地の上空。
ウォーキングコースの快晴の上空。
ホタル坂通りから見る新居新池と奥のだんご山3兄弟他の山々の上空のパノラマ景。
新居新池の上空。
A seasonal flower
◇ウォーキングコースの道端に蕾を膨らませかけた沈丁花(チンチョウゲ)
花期は2~4月で、枝先から濃紅色の花蕾が、集まって出てくる。花は花弁が無い花を20~30個、枝の先に手毬状に固まってつく。花弁のように見えるものは4枚の萼片で、外側が淡紅色、内側が白色で、中にはすべて白色のものもある。
花から強い芳香を放つ。花を囲むように葉が放射状につく。
果期は6月で、赤く丸い果実をつけるが、実を噛むと辛く、有毒である。
日本には雌株が少ないため、あまり結実しないが、ごく稀に実を結ぶこともある。
◇見頃を迎えた蝋梅
・So宅の畑
・b地点
・a地点
◇まだまだ開花が遠いウォーキングコース脇の畑の白梅
<akijii展-(571)>
今報は、シールパズル-動物編5点目-象で72シールです。
引き続き、Vol.1015-2/2をご覧ください。