Vol.1015-1/2 R巻頭-127。気ままniフォトSketch<花ノ宮町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間の移ろい-1

穏やかな夕陽を映す宮池の水面。

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-2

 

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-3

  

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-4

 

涅槃像(国分台・猪尻山・大平山)と宮池の5日間-5

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-127 Orignal掲載日:Vol.230 (2013.12.25)

銀型or鉄型…。

人生は三段階に分けられると云う。

「第一の人生」は、生まれてから十九歳までのいわば、親の助けがないと生きられない時代。

「第二の人生」は、四十九までの社会的に自立して仕事に励み、一定の基盤をつくりあげるまでの三十年。そして五十歳からが「第三の人生」で、遮二無二に突っ走ってきた人生を振り返り、改めて「人間とは」「人生とは」と考えたうえで、残りの人生を豊かに生きる時間。

この三段階だと云う。

 

多くの人に共通する口癖に、「三十歳になったら急に無理が利かなくなった」「四十歳になったら…」「五十歳になったら…」と。なんのことはなく、節目節目で「歳を取った。もう駄目だ」と嘆いているのだ。

たしかに、二十歳を過ぎると「死ぬ細胞の方が、生まれる細胞より多い」らしい。つまり、大人になったら、後はまっしぐらに老いていくのが人間の宿命である。しかし一方、人間はそれほど単純な生き物でもなく、体力が落ちるとともに、「人間力」が増していくのだ。髪の毛が抜け、視力が落ちるのと反比例するように、若いころにはなかった能力がずいぶん高まっていく。

これは特定の才人や智恵者に限ったことではなく、誰にでも公平に備わっている「力」だと云う。

 

ところが現実には、五十歳を迎える頃、「銀型人間」と「鉄型人間」に分かれてしまうらしい。

説明は不要だろうが、「銀型」とは、歳を経るにつれていぶし銀のような魅力を放つタイプで、逆にただ錆び付くばかりで、しまいには弱々しく崩れていくのが「鉄型」である。

身の周りを見ても、あいつは「銀型」で、あいつは「鉄型」と簡単に見分けがつくだろう。

頭髪は薄くなり、腹は出てきているのに、なぜか生き生きとして魅力のあるオヤジで、高倉健のような「苦み走ったいい男」ではないフツーのオヤジなのに、どこか輝いている。

一方、「鉄型オヤジ」は、どんなに高価なスーツを着ていても、どこか暗くてブラックホールのような雰囲気を漂わせていて、背中で「オレはもう駄目だ」と語っている。

「人間力」の高まりは、誰にでも備わっているのだから、誰もが「銀型人間」になれるハズだが、なぜ「鉄型」になるのか、その原因はハッキリしていると云う。

自分の「人間力」、さらにはその「使い方」に気づいてしないからだと…。

なんとも、もったいないことだ。小生も、再チェックをしてみようっと…。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る春日神社と奥の袋山・奥谷ハイランド他の団地の上空。

ウォーキングコースの快晴の上空。

ホタル坂通りから見る新居新池と奥のだんご山3兄弟他の山々の上空のパノラマ景。

新居新池の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの道端に蕾を膨らませかけた沈丁花(チンチョウゲ)

 

花期は2~4月で、枝先から濃紅色の花蕾が、集まって出てくる。花は花弁が無い花を20~30個、枝の先に手毬状に固まってつく。花弁のように見えるものは4枚の萼片で、外側が淡紅色、内側が白色で、中にはすべて白色のものもある。

花から強い芳香を放つ。花を囲むように葉が放射状につく。

果期は6月で、赤く丸い果実をつけるが、実を噛むと辛く、有毒である。

日本には雌株が少ないため、あまり結実しないが、ごく稀に実を結ぶこともある。

 

◇見頃を迎えた

So宅の畑

b地点

 

a地点

 

 

◇まだまだ開花が遠いウォーキングコース脇の畑の白梅

 

 

 

<akijii展-(571)

今報は、シールパズル-動物編5点目-象で72シールです。

 

引き続き、Vol.1015-2/2をご覧ください。