Vol.1016-1/3 R巻頭-128。気ままniフォトSketch<上之町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

袋山と宮池の5日の移ろい。

陽光と輝く雲を映す宮池の水面。

戯れる宮池の水鳥のズーム景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-128 Orignal掲載日:Vol.231 (2013.12.30)

誤った努力は…

 

誤った努力はまったくの無駄だと思う。逆境から抜け出すために、さまざまな努力をするが、その努力が誤っていないか冷静に考えてみることも大切だ。無駄な努力とは、次のようなものをいう。

 

孟子いわく「木に登って魚を求む」。

こういう方向違いの努力は、気がつけば止められるが、誤った努力の中には、努力そのものの理解の仕方を誤っている場合があって、これを修正するのがかなりやっかいだ。

「私はこれだけ努力したんです。それだけは認めてください」こういう言われ方をすると、かなりの人は「まあ、そうだな」と思ってそれを受け入れてしまうのである。

世の中には「努力賞」というのもあるくらいだから、これも無理はない。

だが、これこそ誤った努力だと私は思っている。

 

努力は何のためにするのか。目標を達成するためだろうか。だったら成果をあげえない努力は無駄な努力ではないだろうか。無駄な努力をして、それを「認めろ」というのは虫がよすぎる。

一生懸命やっても成果が出ないこともある。

その種の努力を認めるのはやぶさかではないが、それを努力した側が言ってはならないと思う。

相手が認めてくれたら、喜んで受ければいい。努力させる側はそういう視点からも見てあげることが大切だが、努力をしている側が、成果もあげずに「努力を認めて欲しい」というのは卑しい根性ではないか。

…と思う2013年の暮れである。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコース(標高88m)から見る大麻山(善通寺市-標高616m-直線距離21km)の上空の遠景。

ウォーキングコースから見る大麻山(奥の端)の上空のズーム景。

ウォーキングコースから見る法華寺と奥の袋山の上空。

ウォーキングコースの快晴の上空(ジェット機が通過)。

ジェット機が通過のズーム景。

 

 

A seasonal flower 

◇宮池の遊歩道脇に咲いた一輪の蔓日(ツルニチニチソウ)

 

◇咲き揃った

a地点

 

b地点

 

◇ウォーキングコース脇の畑で蕾を膨らませる白梅

◇ウォーキングコースのアロエ

Yd宅

 

Hm宅

 

 

 

<akijii展-(572)

今報は、シールパズル-動物編6点目-熊で89シールです。

 

引き続き、Vol.1016-2/3をご覧ください。