Vol.784-3/6 チーム一丸。かがわ公立中学訪問記-17<04.高松:2-4>(龍雲) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

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Vol.784-2/6に続けてご覧ください。

 

<龍雲中学校訪問記>

<沿革概要>

高松市中部の郊外地域に位置する中学校である。

校名は高松藩の初代藩主松平頼重の法号「龍雲院殿雄蓮社大誉孤峯源英大居士」にちなんで命名された。

1961年(昭和36年)4月、市立三渓中学校、市立仏生山中学校、市立多肥中学校を統合し開校した。

この3中学校は5年前の1956年(昭和31年)9月に高松市に合併した旧三谷村、旧仏生山町、旧多肥村の旧町村立中学校で、3町村の高松市への合併を機に統合が検討された。

 

<教育目標・生徒数など(WIKIPEDIA・GACCOM他より引用)

◎教育目標

校訓:友情・意志・独創・自発

心豊かで たくましく生きる生徒の育成。

<生徒像>

正しく判断し 主体的に行動できる生徒。

自ら学ぶ意欲と実践力をもつ生徒。

自然を愛し 生命と人権を大切にする生徒。

◎生徒数 977名(2020年度)男子512、女子465  

              1,084名(2021.04.01現在)男子595、女子486

◎学校銘板・校章

 

◎校歌に歌われている山:阿讃連峯・屋島・日山

1.♪xx…連峰 映えゆる陽の 神秘の光 仰ぎては xxx…♪

2.♪xx…屋島日山の 濃みどりに 歴史の跡を しのびては xxx…♪

3.♪xx平池三 水清く 夕月影を うつすとき xxx…♪

 

 

▼龍雲中学校の正門前に着いた、学校名碑と学校案内板

▼正門、ボルテラの詩人像

 

▼龍雲中学校の東側へ進む、左に龍雲中学校

 

▼次の交点を左折(東南角に熊野神社の御旅所)、熊野神社の御旅所

 

▼熊野神社参道を進む-1

▼左に見える龍雲中学校-1、熊野神社参道を進む-2

 

▼左に見える龍雲中学校-2、熊野神社参道を進む-3

 

▼左に見える龍雲中学校-3、熊野神社参道を進む-4

 

▼左に見える龍雲中学校-4

 

▼熊野神社参道を進む-5、左に見える龍雲中学校-5

 

▼熊野神社参道を進む-6、次の交点を左折し龍雲中学校の北側へ進む

 

▼龍雲中学校の北側を西方向に進む-1

 

▼龍雲中学校の北側から見る校内-1、龍雲中学校の北側を西方向に進む-2

 

▼龍雲中学校の北側から見る校内-2、龍雲中学校の北東角(元の位置)に戻る

 

 

足を延ばして熊野神社へ

▼龍雲中学校の北東角(元の位置)に戻った、熊野神社へ向かう(約0.1Km)

 

▼県道12号線を横断、熊野神社の社号碑

 

 

<熊野神社ルポ>

▼熊野神社に着いた、

 

▼熊野神社-1

 

▼熊野神社-2(八咫烏(やたがらす)の碑)

由緒

当社は昔紀(むかしき)の国音無川(くにおとなしがわ)のほとりに鎮(しずま)ります熊野本宮大社の御分霊をお迎えして出作の里の鎮守の宮として奉祀(ほうし)しました。伊邪那美神(いざなみかみ)は伊邪那岐神(いざなぎかみ)と共に国土山川草木(こくどさんせんそうもく)を始め万物を生み成し愛育給う母神(ははがみ)で私達の親々(おやおや)をさかのぼれば根源の先祖であります。八咫烏(やたがらす)は三本足で熊野の神の化身で日輪(にちりん)さまのお使いともいわれます。

▼熊野神社-3

 

▼熊野神社-4

 

▼熊野神社-5

 

▼熊野神社-6

 

▼熊野神社-7

 

▼熊野神社-8

 

▼熊野神社-9

 

▼熊野神社-10

 

▼熊野神社-11

 

▼熊野神社-12

 

 

引き続き、Vol.784-4/6をご覧ください。