Vol.1031-1/4 R巻頭-143。気ままniフォトSketch<香南町岡> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

テーマ:

新居宮池は今

宮池のパノラマ景2景。

夕暮れ時の宮池2景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-143 Orignal掲載日:Vol.274 (2014.08.10)

長の一念…。

 

国であれ会社であれ家庭であれ、あらゆる組織はそこにいる長がどういう一念(一筋の思い)を持っているかで決まる。それが全てと言ってもいい。ある賢者は、すぐれた長には二つの共通条件があると云い、その一つが「修身」で、二つ目が「場を高める」、この二点に意を注がない長は長たる資格がないと断言する。

 

一つ目の「修身」は、気まま、わがまま、ムラッ気を取り去り、さらに公平無私、自己犠牲、先義後利を率先垂範することだが、長が私意をほしいままにして、組織が健全に成長するわけがない。

次の「場を高める」だが、長たる者は自分のいる場に理想を掲げ、そこに集うすべての人をその理想に向け、モチベート(興味を起こさせる、やる気を起させる)していく人でなければならない。

 

松下幸之助氏の言葉、まさに至言である。

「適切な目標を示さず、社員に希望を与えない経営者は失格である」

 

また、長の一念について安岡正篤(まさひろ)師が次のように明示している。

「偉くなることは必ずしも富士山のように仰(あお)がれるためになるのではない。なるほど富士山は立派だけれど、それよりも立派なものは大地である。山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せて敢(あ)えて厭(いと)わない。常に坦々(たんたん)としておる。この大地こそ徳である。われわれもこの大地のような徳を持たねばならぬ」

 

最近(2014/1)逝去された船井幸雄(経営コンサル)さんの言葉を付記する。

「40余年経営コンサルタントをやってきて分かったことがある。どうしたら経営がうまくいくか。それはそこにいる人が命を懸けている。それが第一条件。いるところに命を懸ける。これが大事」

 

長として欠かせない姿勢であり、一念である。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る国分台・猪尻山・城山の上空。

城山への上り口から振り返って見るだんご山3兄弟と堂山の上空。

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟と堂山の上空。

奥谷新橋から見る南方向の新池・奥の山々の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースに咲くカロライナジャスミン

 

◇我が家の庭に自生しているセイヨウジュウニヒトエ

 

◇我が家の庭で咲くビオラ

 

◇我が家の庭の鉢で咲くホンキンセンカ

 

◇ウォーキングコースに咲くタンポポ

 

◇宮池の遊歩道脇と我家の庭の蔓日(ツルニチニチソウ)

宮池の遊歩道脇

 

我家の庭

 

 

 

<akijii展- (589) 

今報はスクラッチアート(大人ディズニー プリンセス10点)-No.4です。

所要時間は185M(3.1H)でした。

 

引き続き、Vol.1031-2/4をご覧ください。