仏教名言
「仏教名言60の知恵」生老病死の悩みを癒すおかげさまで生きられる生きた証をどう残すか*花にも命があることを教える母親生き甲斐とは、自分がこの世に存在していることは無意味ではない。誰かに必要とされていると感じられることであり、もしそれなくなったら空しいだけが残るだろう。ただそれも社会的に有用だから存在価値があるのだとしたなら、高齢者になり、蓄えもなく、何の取り柄もなく病床に伏した人間は、この世の邪魔者として嫌悪され、一人寂しく余生を送るより仕方がない。先日、たまたま近くの公園を散歩していたら、母親とその子供らしい四、五歳の女の子が満開の花壇の前にたたずんでいた。その側を通りかかったときに、子供が花壇の中に走って行き、綺麗なバラの花を一輪摘み取ろうとした。母親はそれに気づき、後を追って子供に駆け寄り、「そこのお花を摘みとってはいけませんよ。ほら、お花ちゃんが痛い痛いって泣いているでしょう」とたしなめる声が聞こえてきた。その声を聞いて、花にも命があることを教えるこの母親は、何と心の綺麗な人かと思った。私たちはふつう花はたんなる植物で綺麗に咲いていればその美しさを愛で、萎れれば捨て去ってしまう。しかし、花自体はそうした人に認められてもらおうともらうまいと一生懸命咲誇り、時期がくればその種を残して生涯を終える。しかしながら花びらは散っても花は散らないのだ。私たちも同様で、いつかは自分の人生の終焉を迎えなければならない。しかしながらそうした限られた命であっても、自分がこの世で生かされ生きて来たことがよかったという実感をもって自分の人生を完全燃焼させることができるならば、誰に認めてもらわなくても真の生き甲斐が見いだせよう。そこでは自分が「ひとにとって掛けがえのない人間である」というよりは、「自分自身にとって掛けがえのない人間だ」と考えられ、人生の最後まで希望と夢をもって毎日を過ごせるのではなかろうか。◎すべての動植物の命の輝き尊さを感じ自らも頂いた命を輝かせる自灯明の行いを続けさせて頂きます。一乗会本部教会のホームページhttp://ichijo-123.net/