「仏教名言60の知恵」
生老病死の悩みを癒す
病の悩みを克服する名言
心を正しく相手を信頼する
犯した罪は帳消しにできない
鎌倉時代の真宗の祖・親鸞はその師である法然に心から傾倒し、その命令ならば死をも辞さないくらいの覚悟をしていた。
今日、これだけの相手を信じきっている人がいようか。
今の世の中は「人を見たら泥棒と思え」と言われるように、お互いが相手を信頼することよりも疑ってかかり、敵視するほうが騙されないので安全だ、という風潮がある。たしかに、信じていたその相手から裏切られたと嘆く人をよく見かけるだけに、「率直に相手を信じなさい」と言えない今日この頃だ。政界のみならず、かつては人びとから信用されていたわが国の金融界、教育界、宗教界のあらゆるところで不祥事が発覚し、自分以外には何者も信用できないような事態が現出し、頼れるものが何もなくなりつつある。
「どうせ狐と狸の化かし合いの世の中のなのだから、自分だけ馬鹿正直にしていたら身も蓋もなくなってしまう」とうそぶき、お互いが相手を疑って騙し合ったらどうゆうことになろうか。おそらく、ひとからも信じてもらえず、疑われて心底からの友達はできず、仕事もうまくはかどらず、そのツケは自分が払わなければならない。相手から騙される自分の不甲斐なさこそ責められるべきだ。自分が相手を騙すよりも、相手から騙されるほうがいいのではないか。
相手を騙したときの後味の悪さを経験することよりも、相手から騙されたときのほうが一時的にいやな思いをするのは事実だが、それを自分の責任でないのでまだましだ。もし相手が自分を騙しても平気だとしたらそのツケは相手が払わなければならない。いくらそこから逃げようと自分のた罪の事実は帳消しにすることはできない。世の中は私たちが信じようと信じまいと「縁起の法則」で結ばれている。よい原因をつくればよい結果が生まれ、悪い原因をつくれば悪い結果が生まれる。
「善因善果、悪因悪果」の法則が厳然として働いており、自分の蒔いた種は自分で刈り取る、つまり自業自得である。
◎前世・今世、犯した罪業の洗除はお詫びさせて頂き懺悔して御仏の教えを人さまに伝えさせて頂きともに幸せつながる行いを続けさせて頂きます。
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