「仏教名言60の知恵」
生老病死の悩みを癒す
おかげさまで生きられる
*周囲のおかげで、「縁」をいただいて生きる
モノが生じるのは原因があってのことであるが、その直接の力だけで結果が生じるのではなく、そこには間接の力が働く余地があり、数値やデータをもとに悪くなった原因を究明し、その結果を予測するのは早計だ。
たとえば、いくら本人が「ダメな子」や「不治の患者」という烙印を押されようと、本人の強い意志や周囲の温かい励ましや勇気づけによって、改善や回復の見込みがないと言われる人であってもそこに偶然という一抹の希望を捨てずに努力するところに、人間がたんなるモノでない価値が見いだせるのだと思う。
この間接的助因を仏教では「縁」といい、西洋の宗教や科学にはこれに相当する考え方や言葉が見当たらない。
たとえば、私という個体の存在は、父と母の精子と卵子の結合によってこの世に生まれたものであるが、そこには何百万分の一かの確率の好条件が重なりあって胎児が誕生、育ての親や周囲のおかげでまがりなりにも無事に育ち、その後の社会や自然環境の下に生き、生かされてきたのである。
もちろん私自身が多少、努力した部分もあるかもしれないが、とうてい自力では生きられず、衣食住から多くの人びとの物心両面の協力に至るまで、生活上のあらゆる手段の「縁」をいただいて今日まで生きてこられたのであり、こうした間接的助因なくして一日たりとて今後も生きられないだろう。
◎日常生活において多くの動植物の尊い命を頂いて自らの命が維持できていることを深く悟り命の尊厳を伝えていきます。
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