「仏教名言60の知恵」
生老病死の悩みを癒す
仏さまは体内で休まず働いている。
簡単に世をはかなみ、絶望するな
私たちは生涯の間には一度や二度、誰でも、「何のために自分はこの世に生きているのか」という疑問を抱き、生活や仕事や学業上で難問に直面し、自分の力で解決がつかないときには絶望し、やぶれかぶれになってしまうことがある。もし、そうした経験が一度もないとしたら、よほどおめでたいか、幸せな人といえよう。ふだん、コトがとんとん拍子にうまく運び、なんでもないときには人の本当の真価は発揮されないもので、こうしたいざというときに、初めて本人にどれだけの見識や実力があるかが試される。
兵庫県出身の仏教者・東井義雄先生はかつて夜中の十二時すぎに、見知らぬ男の人から電話がかかってきたそうだ。何事かと受話器をとってみると、男はせっぱ詰まった声で、「世の中の人がみんな私を見捨て裏切った。もう生きていく気がなくなったから、今から首をくくって死のうと思う。けれども一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるのか」という内容だった。
そこで、「待ってください。あなたの気まぐれな南無阿弥陀仏ぐらいで救われるものですか。そんなことよりも、あなたは周囲から見捨てられた、裏切られた、というけれど、あなた自身が自分の命を裏切り、見捨てて死のうとしているじゃないか。その時も一刻も見捨てず、辛かろうけれども生き延びてけれようと働きかけ、呼びかけどうしに呼びかけてくださる、そのお方の声がきこえないか」と言った。
「そんな声、どこにも聞こえやしないかと」
「死のうとしているその時も、あなたの心臓はドキドキと動いているでしょう。あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、乗り越えてくれよと、あなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせているその働きを、名付けて仏と呼ぶんだ。そのほかのどこに仏がいると思うか」こうした話して本人を納得させたという。
仏さまは、お堂や仏壇の中に祀られていたり、先祖の墓にいるだけではなく、私たち自身の体内に一刻も休まずに働いて、私たちを生かしているのだ。それに気づかず、ちょっとしたことで、簡単に世をはかなんで絶望したりするのは、本人が自分の中にある仏を粗末にし、信じていないからだ。
◎命を賜って粗末にすることは悲しいことです。
自らが身体の機能を何一つ働かせることができません命の大事を悟り与えられた天命を送りたいです。
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