白馬村 落倉自然園の水芭蕉が見ごろ
今日の大糸タイムスに白馬村落倉自然園の水芭蕉(ミズバショウ)が見ごろを迎えているという記事が掲載されていました。
落倉自然園は白馬村の最北西部、栂池高原スキー場の麓に位置し、標高800m付近の湿地帯は水芭蕉(ミズバショウ)と座禅草(ザゼンソウ)の名所として有名です。特にここには「オチクラミズバショウ」という花包が2つある珍しい品種があり、園内には毎年5~10株の花を見つけることができるそうです。今年は暖冬の影響で例年より生育が早いようですが、ゴールデンウイークが終わる頃までは花が楽しめそうとの事でした。
落倉自然園は地域住民の有志によって保護活動が行われているそうですが、白馬の自然を守るための活動を今後も続けていってほしいと思います。
白馬要約筆記サークル「ころぼっくる」の活動スタート
25日の大糸タイムスに、白馬村の要約筆記サークル「ころぼっくる」の活動がスタートしたという記事が掲載されていました。
要約筆記サークル「ころぼっくる」(高杉栄子代表)は、視覚障害者や中途失聴者など情報収集が困難な人を対象に、その内容をその場で文字にして伝える筆記翻訳活動をしているそうで、このような活動をしているサークルは大北地域では2つしかないそうです。活動は毎週木曜日にふれあいセンター学習塾で行われており、現在は約10人の会員が村内外の会議や講演会、講座などで活動を続けているとの事でした。
こうした奉仕活動をしているサークルが村内にあるというのは、とても心強いことです。今回大糸タイムスに取り上げられたことで、さらに会員が増えていけば良いと思います。
スキージャーナル6月号
スキージャーナルの発売日(毎月25日)を過ぎていたので、ジムの帰りに本屋さんに寄ってみました。表紙を見ると特集は「やっぱり基礎スキーは最高だ!」でした。中身を見ずに買う事に決めて、早速家に帰って読みました。今回は付録も充実!DVDは「佐藤久哉のアルティメイトテクニック」、別冊付録は石井スポーツの最新スキーギア厳選カタログ「SIEGER2010」、綴じ込み付録は「最新競技ウェアスタイルブック」でした。
巻頭のニューススクランブルのページをパラパラ見ていくとびっくり!8ページの3月29日に行われた2009オガサカテクニカルチャレンジin志賀高原の男子O-51部門で広島県スキー連盟普及委員で、一昨年は中村英知アクロスキャンプでご一緒させて頂き、今シーズンは指導員受験の際にもお世話になった新屋文香さんが優勝しているではありませんか!おめでとうございました!!
特集の「やっぱり基礎スキーは最高だ!」のページは、シーズンも終わり近いというのにスキー熱が疼くような内容でした。特に八方尾根の技術選の裏話は、観戦しに行っただけにとてもリアルで面白かったです。ついつい寝るのもドラマのビデオを見るのも忘れて、深夜1時すぎまで読みふけってしまいました。5月2日からの志賀高原の滑り納めが楽しみでなりません!
みろくの里 神勝寺温泉
カーナビで近くの温泉を探すと、9kmのところに神勝寺温泉というのがあったので向かいました。「みろくの里」という遊園地がありました。神勝寺温泉はこのみろくの里に隣接しているようです。
隣には手打ちそばの「もみじ庵」というお店がありましたが、昼のみの営業のようでした。この看板をみたら無性に蕎麦が食べたくなってしまいました。
温泉の他に、食事処、中国式整体、タイ式マッサージなどがあるそうです。
2階が入口になっており中に入ると右側がフロントになっていました。自動販売機で入浴券を購入する温泉が多い中、フロントでお金を払って入るシステムになっていました。入浴料は1000円とちょっと高いのですが、ゆめタウンのカードの提示で100円引きになりました。その他にもJAFカードなども使えるそうです。
今日は26日でフロ(26)の日ということで、お菓子を頂きました。
1階に降りると正面に男性が居て、浴衣とタオルとバスタオルを配っていました。さすが1000円払うだけあって、サービスが充実しています。
泉質は単純弱放射能冷鉱泉、源泉の温度は18.9℃、PH 8.1、成分総合計299mg/kg、効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性皮膚病などと書いてありました。
右側は広い洗い場です。手前に見えるのはサウナ用の水風呂です。
洗い場の奥に桜風呂がありました。ここは薬湯で、日替わりのようです。
露天風呂からは竹林を望むことが出来ました。ゆっくり浸かって旅の疲れを癒しました。
更衣室とは別室に洗面所があり、各種アメニティーが用意してありました。つめ切り台とつめ切りが用意してあったのには驚きました。
ここで一度浴衣に着替えて、2階の新館露天風呂に向かいました。久しぶりに浴衣を着たので、通りがかりの人にお願いして1枚写真を撮ってもらいました。
岩風呂の竹山と、檜風呂の開山があり、日替わり制で今日は竹山が男風呂でした。
廊下に品のいいランプが置いてある廊下を通って、
階段を下りた正面には古い箪笥が置いてありました。この右側が女湯の檜風呂「開山」の入口でした。
中に入ると、まるで別世界のような大きな岩風呂が広がっていました。ここでまたゆっくりお湯につかって疲れを癒しました。
ここには洗い場が2つありましたが、シャンプーリンスはありませんでした。
廊下を通る頃にはだいぶ暗くなってさらに良い雰囲気になっていました。
とても贅沢な温泉でした。お値段はちょっと高いのですが、温泉を存分に楽しむことが出来ました。
帰り道に蕎麦が食べたかったので探したのですが開いているお店が無く、小谷SAに寄って食べようとしたら、売り切れでした。やむを得ず食べたのが「カルビ重御膳」でした。
鞆の浦 民芸茶処 深津屋 お手火
3時を過ぎたので、コーヒーでも飲んで帰ろうと思い歩いていると、「茶処 深津屋」という喫茶店があったのでよってみました。
澤村船具店に隣接し、かつて澤村船具店の番頭が住んでいた場所であり、建物は江戸期のものでおよそ150年前の民家だそうです。
暖簾をくぐるとコの字のカウンターがあり、若い女将さんがひとりで営業をしていました。梁がむき出しの天井の電気配線には碍子がつかってありました。古い蓄音機もありました。
店内には鞆の浦のみやげ物や、手作りの民芸品、焼き物などが陳列してありました。
コーヒーとバニラアイスを注文しましたが、コーヒーは苦くなくわたし好みのマイルドな味わいでした。
映画「崖の上のポニョ」を製作するにあたって、宮崎駿監督が鞆ノ浦に滞在していた際に、もっともよく通ったという喫茶店がここ「深津屋」との事です。
民芸品の中に消し炭に「お手火」と書いたのしがかかっているものが飾ってあったので女将さんに聞いてみると、「お手火祭りで配られたもので、御守りです。」との事でした。近くにある「おてび」という食事処の軒の上に大きな「お手火」が飾ってあるというので、帰りに寄ってみました。
確かに着き出し屋根の上に大きな「お手火」が飾ってありました。
深津屋の脇の路地では映画『男たちの大和/YAMATO』で、森脇(反町隆史)の部下、常田が最後の上陸で母と別れるシーンが撮影されたそうです。
この路地を通って港の横を歩きながら駐車場に戻り、鞆の浦を後にしました。
鞆の浦には5時間の滞在で駐車料金は1000円でした。
鞆の浦 岡本亀太郎本店 ミツボシ保命酒
昼食後は、保命酒やさんの岡本亀太郎本店に向かいました。鞆の浦には4軒の保命酒店があるそうです。
万治2年(1659年)当時、中村家と懇意にしていた岡本亀太郎さんがその伝統の技を受け継いだのが、ここ岡本亀太郎本店のミツボシ保命酒だそうです。岡本家は中村家から道具一式を譲り受け、保命酒の醸造に本格的に乗り出したそうです。
店内に入るとご主人が色々と説明してくれました。大きな龍の看板も当時のものだそうです。
今年は、岡本亀太郎350年目ということで、「杏子姫」、「梅太郎」という新製品を発売したそうです。ここの保命酒を試飲をされたJAL機内サービス誌「JSKYWARD」記者の方は、フランスのシャトルトリューズに少し似ていると言ってられたそうです。鞆の浦の特集の中で「日本最古のリキュール」として岡本亀太郎本店の保命酒が紹介されているとの事でした。
鞆の浦 潮待ち茶屋櫓屋跡(しおまちじゃやろあと)
お昼をだいぶ過ぎ、2時近くになってしまいましたが、昼食を食べようと思っていた潮待ち茶屋櫓屋跡(しおまちじゃやろあと)に向かいました。潮待ち茶屋櫓屋跡に行く途中、有名な澤村船具店がありました。
ここ潮待ち茶屋櫓屋跡は、築200年、江戸時代の建物で、船の櫓の製造元だった商家を利用した食事処だそうです。
表棟は明治に改築したもので、間口の大きさに比べると、奥行きはかなりあります。
鞆名物の鯛はもちろん、港町ならではの新鮮な海の幸を使ったメニューが充実していました。「地魚定食」を注文しました。今日はシロムツだそうです。
和食かと思ったら、シェフはホテルの厨房で腕を磨いたフレンチ出身との事で、洋風ソース「地魚定食」はとても美味しかったです。新鮮な魚を使っているというだけではなく、料理の腕のよさも感じました。
鞆の浦 鞆酒造 保命酒屋 十六味保命酒
昼食の前に白馬と静岡の祖父母へ保命酒を買って帰ろうと思い、太田家住宅の隣にある鞆酒造直営の「保命酒屋」に寄りました。入口で保命酒に使う薬草を煎じていたので、通りまで保命酒独特の漢方薬のにおいが漂っていました。
中に入ると、氷の入ったお猪口に保命酒を入れて試飲させてくれました。
新製品で2004年製造の古酒というのがあり、ちょっとお高いのですが、疲労回復に効きそうな味がしたので買いました。
大阪生玉で開業していた医師中村壌平利時の長男吉兵衛吉長が、家伝の薬法をもって、万治2年(一六五九年)三月七日に製造販売したのが鞆酒造の始まりだそうです。ここでは、明治12年から保命酒を造っており、ご主人の岡本純夫さんは保命酒協同組合の代表理事長を務めているとの事です。
瓶詰めの他に、備前焼の豆徳利に入った保命酒も販売していました。この豆徳利はご主人の岡本純夫さんが店内でろくろを回して焼き上げたものだそうです。鞆の浦の絵はがきなども販売していました。
店内をずっと見ていると奥様が、「2階がギャラリーになっているので、良かったら上がってみて下さい。」と声をかけてくれました。お言葉に甘えて早速上がらせてもらいました。
鞆の浦 平賀源内生祠(ひらがげんないせいし)
医王寺から降りてくると海が見渡せる緩やかな石畳の道が続いていました。
さらに歩いていくと、平賀源内生祠(ひらがげんないせいし)という看板があったので行ってみました。
エレキテルで有名な蘭学者平賀源内(1729~1779)が1753(宝暦3)年、鞆の溝川家に寄宿した時、陶器造り(源内焼)の製法を伝え、土の神・かまどの神・平賀源内大明神を三宝荒神としてまつれと言い残して去ったそうです。この生祠(せいし)は溝川氏が宝暦14年(1764)に祭ったものと書いてありました。溝川家では、陶器造りには手をつけず、鞆の津の伝統産業である鍛冶の「ホクボ」(火床)や壁土の原料として、その陶土を販売したそうです。平賀源内生祠の周辺には、今でも多量の土を採取した跡があるとの事でした。
卒塔婆の正面には「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」、右側には「慶応四戊辰七月廿八日溝川栄介茂助利三郎立之」と書いてありました。三重の石塔は三宝荒神といって、「土の神、かまどの神、平賀源内神」を祀ったものだそうです。
降りてきたところにあった交番です。鞆の浦の古い町並みに合わせた建物になっていました。ここで、お昼ご飯を食べる潮待ち茶屋櫓屋跡への道順を聞きました。
鞆の浦 太子堂
医王寺から石段を上がっていくと15分で太子堂に着くとの事で、歩き始めました。1826年、オランダの医師のシーボルトはツツジや松の観察のためにこの小路を登ったそうです。石段には一つ一つに番号は打ってありますが、結局太子堂までには何段あるのか着くまでわかりませんでした。途中、石段の間に入れられた盛り土が雨で流されて、段の石がむき出しになっており歩きにくいところもありましたが、気候もちょうど良く軽快に登って行きました。
ちょっと手前の木の枝が邪魔ですが、ここからも鞆の浦が一望できました。
ここから少し坂がきつくなりましたが、3分くらいで太子堂が見えてきました。
下から見ると弁天島と仙酔島は重なって見えましたが、上から見下ろすと、弁天島と仙酔島がきっちり離れて見えました。手前に見えるのが対潮楼です。
















































