鞆の浦 平賀源内生祠(ひらがげんないせいし) | 九代目七右衛門の徒然日記

鞆の浦 平賀源内生祠(ひらがげんないせいし)

医王寺から降りてくると海が見渡せる緩やかな石畳の道が続いていました。
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さらに歩いていくと、平賀源内生祠(ひらがげんないせいし)という看板があったので行ってみました。
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エレキテルで有名な蘭学者平賀源内(1729~1779)が1753(宝暦3)年、鞆の溝川家に寄宿した時、陶器造り(源内焼)の製法を伝え、土の神・かまどの神・平賀源内大明神を三宝荒神としてまつれと言い残して去ったそうです。この生祠(せいし)は溝川氏が宝暦14年(1764)に祭ったものと書いてありました。溝川家では、陶器造りには手をつけず、鞆の津の伝統産業である鍛冶の「ホクボ」(火床)や壁土の原料として、その陶土を販売したそうです。平賀源内生祠の周辺には、今でも多量の土を採取した跡があるとの事でした。
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卒塔婆の正面には「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」、右側には「慶応四戊辰七月廿八日溝川栄介茂助利三郎立之」と書いてありました。三重の石塔は三宝荒神といって、「土の神、かまどの神、平賀源内神」を祀ったものだそうです。
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降りてきたところにあった交番です。鞆の浦の古い町並みに合わせた建物になっていました。ここで、お昼ご飯を食べる潮待ち茶屋櫓屋跡への道順を聞きました。
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