小林正樹 「切腹」 (1962) | It’s not about the ski 遅れて来た天才スキーヤー???、時々駄洒落(笑)、毎日ビール!(爆)

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スキー大好き、ゴルフ、読書、映画、演劇、音楽、絵画、旅行と他の遊びも大好き、元々仕事程々だったが、もっとスキーが真剣にやりたくて、会社辞めちまった爺の大冒険?






【あらすじ:Wikipediaよりの引用(→)】

寛永7年(1630年)5月13日、井伊家の江戸屋敷を安芸広島福すす島家元家臣 津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る老浪人が訪ねて来た。

半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由(三国連太郎)に「仕官もままならず生活も苦しいので、このまま生き恥を晒すよりは武士らしく、潔く切腹したい。ついては屋敷の庭先を借りたい」と申し出る。これは当時、江戸市中に満ち溢れた食い詰め浪人によって横行していたゆすりの手法であった。

勘解由はこの悪循環を断つべく、先日、同様に申し出て来た千々岩求女(ちぢいわもとめ:石濱朗)という若い浪人を庭先で本当に切腹させるという挙に出た。

但し、世間の倫理的批判を躱すために切腹志願者に対して、礼を尽くした対応をする必要があると考え、求女を入浴させ、衣服まで与えた。その際求女に対し、一旦は仕官が適いそうなそぶりをして希望を抱かせ、そのあと切腹に至らせるという念の云った陰険さを示した。

切腹に際し求女は、いったん家に帰り戻り切腹することを申し出たが、勘解由はそれを逃げ口実と解し許さず、直ちに切腹を命じた。実は求女には病気の妻子がおり、最後の別れを告げようとしていたのである。ここに至って求女は、武士の意地を通すために切腹する覚悟を決めた。だが、元々切腹する心積もり気はなかったので、腹を召す脇差を準備していなかった。

千々岩求女は武士の魂である刀でさえ質草に出さねばならぬほど困窮し、携えていたのは竹光であった。しかし、勘解由はあえて冷酷に、竹光で詰め腹を切らせたのである。

だが、この判断は、世間からの倫理的な批判を招きかねない危険な処置でもあり、部下からも諌められたが、勘解由は耳を貸さずあえて断行した。結果としてこの判断の誤りが、事を複雑にこじらせる原因となった。

切れぬ竹光を、腹に向けて3度、4度と血を滲ませながら突き立て、脂汗とともに悶え苦しむ求女に、介錯人の沢潟彦九郎(丹波哲郎)は無慈悲にも首を落とす時間を故意に遅らせ、死に至るまで壮絶な苦痛を与えさせた。勘解由の意を汲んで、藩士においてサディスティックな心理を共有する雰囲気が醸成されてしまったのである。

そのことに勘解由は良心の呵責を感じ、自分がした酷な判断を多少なりとも悔いていた。それゆえに今回の津雲半四郎には、「勇武の家風できこえた井伊家はゆすりたかりに屈することはない」からと、そのいきさつを語り聞かせて思いとどまらせようとする。

だが半四郎は動じず、千々岩求女の同類では決してなく本当に腹を切る覚悟である、と決意のほどを述べる。こちらの温情を受け入れない頑なな態度に勘解由は腹を立て、同じ過ちを繰り返すことになることを知りながら、配下の者に切腹の準備を命じる。

実は半四郎は求女の育ての親であり、求女が病弱な半四郎の娘 美保(岩下志麻)を妻にもらってくれたため、彼は半四郎の女婿でもあった。二重の意味で息子であった求女が、冷酷にも詰め腹を切らされたことに、半四郎は深い遺恨を持っていたのである。

そもそも、求女が井伊屋敷の門を叩いて切腹を申し出たのは、病気の妻を抱えて長く困窮していたため、あわよくば仕官、さもなくとも薬代を得たかったからであった。

まさか本当に切腹が聞き入れられるとは思わず、それでもいまさら妻に今生の別れを告げたいから切腹の前に帰宅したい、などとは武士の面目から口にすることは求女には出来なかった。

求女はただ理由を隠して帰宅を嘆願したが、それを冷たく拒絶したことは、勘解由がその場では事情を知る由もなかったため致し方ないとは言え、半四郎から見れば酷薄な処置であり、あまつさえ竹光での切腹の強要については、断じて許すことの出来ないものであった。

いざ切腹の時となり、半四郎は介錯人に井伊家中の沢潟彦九郎、矢崎隼人(中谷一郎)、川辺右馬介(青木義朗)を1人ずつ名指しで希望する。しかし、その3名は、奇怪なことに揃って病欠であった。介錯は誰か他の者で事を早々に片づけたい勘解由に対し、半四郎は、悪事を犯した罪人ではない自分が請うた切腹である以上、介錯人を指名するに道理有りとして拒否する。

これに勘解由は異議を唱えられず、近しい配下を病欠3名の究明に走らせる。それを見越した上で半四郎は、勘解由らの知らなかった求女の事実と衝撃的な内容を語り始める。

【以下、結末までの記述あり。 映画未見の方は、次の感想欄まで飛んで下さい!】

3名は求女を死に追いやった者たちであり、それを知った剣の達人の半四郎によって、復讐として事前の果し合いで髷を切り落とされていたのであった。

武士にとって己の不甲斐なさから戦いにて髷を取られることは、命を賭してでも防がねばならない恥であったが、卑劣にも3名は名誉も命も惜しみ、髷が生え揃うまで仮病と偽って出仕しないつもりであった。その経緯を知ると勘解由は、井伊家の恥が世間に広まることを恐れ、部下に半四郎を取りこめ斬り捨てるように命じる。

情け容赦もなく浪人の求女を竹光で切腹させ、かつ家臣が不覚にも髷を落とされたことが世間に知られれば、譜代と言えども幕府よりお咎めを受けずにはいられないことを、勘解由は知っていたからである。

数十名の相手に囲まれる半四郎だったが、彼は泰平な寛永の世に育った武士ではなく、戦国の世を生き抜いた剣の達人であり、井伊家の家臣達は返り討ちにて多くの死傷者を出すに至る。

結局、半四郎は土壇場で切腹し、鉄砲に撃たれ討ち死にするが、上記の病欠の3名については、沢潟は切腹して果て、他の2人は勘解由によって拝死を受け、返り討ちによる傷者は手厚い治療を受ける。

そして公儀には、半四郎は見事切腹したとし、譜代死者はすべてが病死として報告される。管理職の勘解由にとって最優先すべきことは組織(藩)の存続であり、半四郎が笑った通り武士道は建前に過ぎなかったのである。




【感想】

先日観た「上意討ち 拝領妻始末」(1967)に先立つこと5年、橋本忍脚本、小林正樹監督のコンビは、封建社会で武士が置かれた理不尽な状況を、迫力と凄みのある映画にしていた。正に傑作と呼ぶにふさわしい。

橋本忍脚本の松本清張原作のミステリー/サスペンス映画も良いが、一介の武士が理不尽な上意に爆発する作品群も、息詰まる様な緊張感の中で映画が展開し、とても面白い。上意討ち 拝領妻始末」も本作品も、侍映画だが、展開はミステリー/サスペンス映画の様でもある。

しかし、これら社会での非合理は、決して封建社会だけのものではなく、現代でも似た様なことは起きている。どうして、人間は個々人は別に悪人ではないのに、組織との中で行動すると往々にして非合理なことをするのであろうか。

白黒の美しい映像が、非合理と、それらに対する怒りや悲しみをより引き立たせている様に感じられる。




【スタッフ、キャスト等】

監督:小林正樹
脚本:橋本忍
原作:滝口康彦の小説「異聞浪人記」(1958)
音楽:武満徹
撮影:宮島義勇
美術:戸田重昌、大角純平
キャスト:
津雲半四郎(仲代達矢)
斎藤勘解由(三国連太郎)
千々岩求女(石濱朗)
美保(岩下志麻)
沢潟彦九郎(丹波哲郎)
矢崎隼人(中谷一郎)
川辺右馬介(青木義朗)

上映時間:2時間13分
日本公開:1962年9月16日
カンヌ国際映画祭:審査員特別賞
キネマ旬報ベストテン:日本映画第3位、主演男優賞(仲代達矢)
鑑賞日:2018年9月8日
場所:新文芸坐(池袋)




【橋本忍脚本映画リスト】

・題名の前の氏名は監督
・題名の後の氏名は、共同脚本執筆者  氏名記載無き場合は、橋本忍単独脚本

(01)黒澤明「羅生門」(1950)黒澤明
(03)黒澤明「生きる」(1952)黒澤明、小國英雄
(10)黒澤明「七人の侍」(1954)黒澤明、小國英雄
(19)黒澤明「蜘蛛巣城」(1957)黒澤明、小國英雄、菊島隆三
(29)黒澤明「隠し砦の三悪人」(1958)黒澤明、小國英雄、菊島隆三
(35)中村登「いろはにほへと」(1960)国弘威雄
(40)野村芳太郎「ゼロの焦点」(1961)山田洋次
(42)小林正樹「切腹」(1962)
(47)岡本喜八「」(1965)
(49)山田洋次「霧の旗」(1965)
(53)小林正樹「上意討ち 拝領妻始末」(1967)
(55)森谷司郎「」(1968)
(60)黒澤明「どですかでん」(1970)黒澤明、小國英雄
(65)森谷司郎「日本沈没」(1973)
(66)野村芳太郎「砂の器」(1974)山田洋次
(69)森谷司郎「八甲田山」(1977)






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