「七人の侍」と並び、黒澤明監督のベストに良く挙げられる作品。自分は多分数十年ぶり、2回目の鑑賞だと思う。
市役所市民課の課長 渡辺勘治(志村喬)は、妻に先立たれて30年、一人息子の光男(金子信雄)の為に、ただひたすら官僚機構の事なかれ主義にどっぷり身を浸けて、ハンコを付き、仕事をたらい回しする無為な日々を送っていた。
そんなある日、渡辺は、自分が胃癌で余命後半年~1年程度であることを知ってしまう。
自暴自棄になり、あまり飲まなかった酒に逃げ、酒場で知り合った作家(伊藤雄之助)とキャバレー等何軒もハシゴして飲み明かした渡辺だったが、翌朝市役所を辞め転職したいので勘治の印が欲しいと、部下の小田切とよ(小田切みき)が訪ねて来る。
彼女の若さ、元気溌剌として前向きに生きる姿に惹かれ、勘治は市役所を欠勤し続けて、彼女に毎日の様に食事やお茶をおごり、話し相手となってもらう。
しかし、転職してオモチャ工場で働く様になっていたとよは、工場の忙しさもあり、毎日の勘治の相手は少々辛くなって来た。
何故、「課長さんは何故毎日私に付きまとうのか」と正すとよに対して、躊躇いつつも、勘治は自分が「実は胃癌で余命幾ばくもない」ことを告白する。
「残された短い寿命の間何をしたら良いのか判らない」と嘆く勘治に、ふと、とよが「オモチャ工場でオモチャを作る仕事は楽しい、課長さんも何かを作れば良いのに」と言う。
「何かを作るにはもう遅過ぎる」と呟く勘治だったが、何かに射たれたかの様に、彼の目には今までと違う光が宿っていた。
ここで、映画は5ヶ月後、勘治のお通夜の場面に転じる。
これまで、勘治の胃癌発覚とその直後について時系列的に追って来た映画が、一転してここからは、勘治の通夜に集まった面々が、勘治のことを回想する形式にガラッと変わるのである。
この語り口の転換が面白い。
勘治は、とよの一言のあった翌日から市役所の復帰し、死ぬまでの5ヶ月間、陳情のあった橋のたもとの貧しい人々が住む場所に児童公園を作る為に、人が変わったかの様に、それこそ命を削って市役所内を奔走する。
土木課、公園課、総務課等、関係各課と粘り強く交渉、要すれば直談判、時には助役にも反対意見する。
部下達が、それぞれの記憶を話していくうちに、それぞれの記憶が補完し合い、忘れかけていたことも思い出されていく。
そして、お通夜に集まっていた面々は、勘治が自分が胃癌で余命僅かであることを実は知っていて、その最期に何かを残そうとして、地域住民と子供達の為に公園を完成させたことを確信する。
また、勘治の姿を目撃した警察官がお焼香したいとやって来る。
勘治は雪の舞う夜、勘治が作った児童公園で亡くなっているところを発見されたのだ。
その警官に依れば、勘治はブランコに乗って「命短し(ゴンドラの歌)」を歌っており、非常に幸せそう見えたと言う。それを聞いて、驚き心揺り動かされる市民課会葬者の一同。
既に酔っている一同は、「渡辺課長に続け」「役所の事なかれ主義を打破するぞ」と口々に叫び出す。
数日後、渡辺の後に順当に昇進し課長になった大野(藤原釜足)以下、相も変わらず、ハンコを押し、仕事をたらい回しにする市民課の姿があった。
粗筋を全部書いてしまったが、そんなことでこの映画の価値は微動だにしないので、ご安心を。
人間がどう生きるべきかを、やや寓話的に、しかしストレートに描いた、ヒューマニスト黒澤明面目躍如の傑作映画である。
この映画は勘治(志村喬)の顔のアップが多用されている。カメラはしつこいくらいにその表情を追う。ギョロっとした大きな特徴のある目の演技が、勘治の不安、悲しみ、絶望、そして希望を、見事に映し出す。
映画に出てくる自分が生まれる遥か前、1951〜1952年頃の日本の風俗や昭和の街の風景は却って新鮮で、見ていて興味深い。
監督・脚本:黒澤明
脚本:橋本忍、小國英雄
キャスト:
渡辺勘治(市役所市民課課長):志村喬
小田切とよ(勘治の部下):小田切みき
木村(勘治の部下):日守新一
酒井(勘治の部下):田中春男
野口(勘治の部下):千秋実
小原(勘治の部下):左卜全
大野(勘治の部下 係長):藤原釜足
光男(勘治の息子):金子信雄
助役:中村伸郎
小説家:伊藤雄之助
ヤクザの親分:宮口精二
ヤクザ:加東大介
上映時間:2時間23分
公開:1952年10月9日
同年キネマ旬報ベストテン:日本映画第1位
鑑賞日:2016年9月15日
場所:TOHOシネマズ新宿
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