私は家族と生きる。~毒親育ちが母になった~ -46ページ目

【回顧録】⑬過去を封印して結婚。

前回上矢印の話の続きが
以前書いたこちら下矢印の記事につながります。
タイトルを変えて再掲しています。






唐突だけど

5年付き合った元カレには

「家族に対する価値観が違う」

という理由でフラれた。


当時の私はこの彼に依存しきっていて

自分の事をわかって欲しくて

両親の話もしていた。


欲しい言葉をくれて

行きたい場所に連れていってくれて

私のしたかった事を順番に叶えてくれた人。


「普通」を演じる必要もなくて

初めて現れた私の味方だと信じて疑わなかった。



だけど当然結婚すると思っていた人は

私を受け入れてはくれなかった。


こんなに愛情をくれた人にすらも

私のこの感情は理解されないのだと知った。


そしてこの時から

両親の事は今後誰にも話さないと心に決めた。






だから夫は私の家族観を知らないまま結婚した。


夫婦ふたりならば何も問題なかった。

本物の私が闇堕ちしていたところで

表に出ている私は幸せだったから。



もし父の呪縛が解ける事があるとすれば

それはきっと子供を産んだ時だと思っていた。


父の子供という立場から

父と同じ、親という立場に変わった時。


逆に言えば

その瞬間が来ても何も変わらなければ

私は一生自由にはなれないと思っていた。





そして1年後出産した私はすぐに

呪いは解けなかったのだと悟った。


子供を産んで育てる事は同時に

自分が育ってきた過程をもう一度辿る作業で


子供たちが成長して

過去と今が折り重なって行けばいくほど


私は身動きがとれなくなっていった。





↓続きます


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↓なぜ書くのか










【回顧録】⑫消えない闇

↓続きです。




卒業後、私は小さな事務所に就職した。

安定した企業の内定を蹴って

自分の「好き」を優先した。


父はこの選択にも文句をつけてきたが

親の納得とか、もうどうでもいい。



同じ業界内で何度か転職して知識を増やし

会社員をしながら(こっそり)副業して小銭を稼いだ。

その後いろいろな縁が重なって、独立した。



まじで大した稼ぎではないが

ここで書いた通り↓


当初の目論見通り手に職をつけたし

3年分の奨学金も返済した。

もし何かあったとしても

自分と子供たちが餓死する事はないはずだ。

何かあったら困るけど。



研究室の(ひとつ下の)仲間とは

卒業後も定期的に交流が続いている。

私が本当に繋がっていたいと思える

超絶稀少な仲間たち。



父とはその後も色々やらかしているが

経済的な繋がりが切れた時点で

全ての縁を切れなかった自分の弱さの賜物であり

自業自得だった。


今さら父との関係性をどうにかしたいなどとは

微塵も思わない。

私は父が嫌いだ。

子供として愛される必要もない。

今も昔も。




状況的に考えれば私は今確実に幸せで

縁にも運にも恵まれて

家族は健康で家も仕事もある。


足りない物などひとつもないはずなのに

何故私は今も闇にのまれるのか。



望んだものは何だったか。



解けない呪いをかけているのは、一体誰?









↓続きます


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↓なぜ書くのか






【回顧録】⑪もうひとつの決意と、卒業

↓続きです。




ついに4年生(5年生)になり

卒業制作も自分の番が来た時

私はもう一段腹を括った。


賞を獲って卒業する。


復帰のきっかけをくれた先輩と

同じ賞を獲る事を私は密かに決意した。



行く。やる。だけを目標にしていたあの頃と変わったのは、研究室に居場所ができた事。


自分の心持ちが変わるだけで

苦痛だった場所がこうも違うものになるのか。



学校に復帰すると決めた時、私は鎧を纏った。

すごく重くて動きにくかったけれど

自分の中身が少しも外に晒されないように

完全防備で戦場に立った。


大袈裟だけど

当時の私にとってはそれくらいの決意だった。



だけど自分を守るその鎧はいつの間にか必要なくなっていて、ひとつずつ脱いで解放される度に、それまで鳴かず飛ばずだった私の作品もまた自由になれた。


そして身体ひとつで仲間と時間を共有するうちに、自分もその一員なのだと実感する事ができた。




復帰した当初は泣いて歯をくいしばって

なんとか通っていたその場所で

私は最後の1年をただただ楽しく過ごした。


時間もお金もかかって

父からは「落ちこぼれ」のレッテルを貼られ

奨学金も受けられなくなったけど


腹の括り方を覚えた。


新しい目標に向かえた。


居場所は自分で作れる事を知った。



そして自分への宣言通り

賞を獲って卒業できた。




この時の私が

これからの私をきっとずっと助けてくれる。


逃げ出しても、間違えても、

流されたその場所で最善を尽くせば

いつか何かの扉が現れて

次のステージにきっと進める。


それがどこにつながっているのか

今はまだ見えなくても

怯えずに踏み出す事。


たとえ想像していた未来とは違っても

私は私

現れなかった扉の先を想像するのはやめて

今向いている方向にまっすぐ歩く。





↓続きます



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↓なぜ書くのか






【回顧録】⑩両親の深層心理。

↓続きです。




両親が私の知らないところで

逆恨みでしかないクレームをつけていた。


子供の頃からそうだった。

肝心の本人の存在は置いてきぼりで

私の知らないところで私のまわりに手を回す。




父は常に自分だけが正義で

相手には相手の正義がある事がわからなかった。

だから娘が自分の想像の範疇から外れて動く事を受け入れられなかった。


自分の唯一の正義から外れる事は

家族でも他人でも「馬鹿なこと」と切り捨てた。




母は、娘の障害物は躓く前に取り払うのが親の責任だと思っていた。

本当はそうしなければ自分が不安だっただけ。

母が私の為と言ってする事は

どれもこれもただの迷惑だった。



そしていちばん厄介だったのが

両親はそれが娘の為だと本気で信じていた事。



「望んだ形とは違っても、私の為にしているのだから」などとは到底思えなかった。

そうされればされるほど

両親はやっぱり私の心など見ていないと

失望と嫌悪感が膨らむばかりだった。



父と母の本当の思惑は微妙に違っていたのに

「娘の進む先を親が誘導する」

という目的だけが合致していたおかげで

私が自分たちのテリトリーから出て行く事を

絶対に許さなかった。


その範囲はとても狭く息苦しくて

私はじわじわと溺れていくのだ。




もちろん全て親の言いなりにはならなかったが

何をするにしても

まずは親の圧力を跳ねのけるエネルギーが必要で

かなり反抗的だった自覚はある。


だけど、自分が親になった今思い返しても

私は親に行動や人間関係を制限されるほどの危険な子供ではなかったはずだ。

外で何か問題を起こした事だって一度もない。


家で反抗的な娘が外で優等生なのは

「親の躾のおかげ」だと

思っていたかもしれないけど。


こんな親の娘だと知られたくない一心で

私が外で必死に「普通」を演じていたのが

結果的に

両親の間違った成功体験につながっていたのか。


私は、どうすればよかった?





ともあれ、この両親の凸電のおかげで

余計な荷物がひとつ増えたけれど

もう知らないふりをしてやり過ごすしかなかった。


こんなのは今に始まった事じゃない。

あれはただお金を出すだけの生き物だと思え。


大丈夫。出来る。出来なくてもやる。


私は卒業するともう決めた。




そして3年生の締めくくりに私は

復帰のチャンスをくれた友人の卒業制作を手伝い

一緒に入学した同期たちが

一足早く卒業していくのを見送った。





↓続きます



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↓なぜ書くのか




【回顧録】⑨最悪な事実。どこまでも邪魔をする両親。

↓続きです。




4月。二度目の3年生。

私は学校を卒業すると決めた。


行く。やる。これだけ。


何がどうでも

自分が決めた事を決めた通りに実行する。



1コ下のコミュニティにひとりで入っていくのは憂鬱だったが

卒業制作チームの子たちをきっかけにして

思いの外すんなりスタートを切る事ができた。

(友人はそれを見越して私を誘ってくれたのかもしれない)


それでもコミュ障である事に変わりはないので

新しい人間関係を築くのは相当疲れたし

研究室に行けば

当然4年生になった同期たちがいる。


その横で彼らとは距離を置き

ひとりだけ3年生と過ごす自分はどう見えているのか気にはなったが

私は私、居心地のいいほうを選んでいい。


最初のうちは帰り道に何かの涙が溢れてきて

その度に

目的は卒業する事

見失うな、傷つくなと何度も言い聞かせ

また次の日も同じように

最初に自分で決めた、行く。やる。を遂行した。



そうしてなんとなく歯車が噛み合ってきたような気がしていた頃

教授に「調子はどうだ」と声をかけられた。


その時は元不登校の学生を覚えていてくれるとは

意外と捨てたもんじゃないなと

プラスに捉えていたが

ここで両親から


「実は去年教授に電話をしていた」


と最低最悪なカミングアウトを受けた。


「あなたたちのせいでうちの娘は学校に行けなくなった」のだから、気にかけてもらって当然だろうとでも言わんばかりに。







吐き気がした。



あぁ、だからか。

覚えてもらっていたのは

私がブラックリスト入りしていたからか。


私は、二十歳にもなって、親に電話をかけてもらって学校に来れるようになった生徒だと思われているのか?


恥ずかしい。

消えたい。


私が1年もかかってようやく踏み出せた一歩の意味を、粉々にされた気がした。




両親は一体何がどうなると想定していたのか。


学校に非を認めさせれば

教授が私に優しくしてくれて

その結果私が学校に行くとでも?


私の都合お構い無しで外から手を出してきた後

その場所で私がどんな立場に立たされるのか

想像はできないのか?


なぜいつも私の居場所に踏み込んでくる?

なぜことごとく壊しにくる?


なぜ娘が進む先々で邪魔ばかりしてくるのか。



あれは、やっぱり親じゃない。




両親は、私が一番嫌な事、して欲しくない事だけを選び続ける天才だった。

無駄な才能に溢れやがって。


私の姿など何も見えてはいなかった。

言葉も通じなかった。


父は

娘の不登校を克服させ

卒業させたのは自分なのだと

今でも思っているだろうか。




↓この時の凸電






↓続きます。



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↓なぜ書くのか