
【回顧録】⑤両親が裏で教授に凸電。
↓続きです。
初めての一人暮らしは自由だった。
自分の行動を自分で選んで
決めた通りに実行していいのだという事に
まず戸惑った。
やりたい事をやっていいし
やりたくなければやらなくてもよかった。
着る服や会う相手についても
誰にも何も言われなかった。
監視や尾行も(多分)されなかったし
デートに乗り込まれる事もなかった。
今度◯◯をしようとか、◯◯へ行こうとか
交わした約束をちゃんと実現できる生活。
解放された気がした。
一方で
学校にはだんだんと
違和感を覚えるようになっていった。
学年が上がるごとに
実技やグループワークが増えていって
まわりの熱量についていけない。
友人たちが夢や希望に溢れるほどに
私の心は反比例して冷えていった。
自分はこんな勉強がしたかったんじゃない。
本当にやりたい事の為になら頑張れたのに。
皆、やたら熱くなってて馬鹿みたい。
学校に行けなくなった今を正当化する為に
私は過去の自分を利用した。
こんな形で引っ張り出すなんて
18歳までの頑張っていた自分への
非礼の極みなのに
挫折してもなお
それは唯一の拠り所として
私の心の中に棲みついていた。
子供の時からいつでもずっと
その場所に逃げ込んでいたから
それ以外に自分の心をコントロールする術を
私は知らなかった。
そして完全に行き先を見失った私は
3年生になった春
両親に「学校をやめたい」と打ち明けた。
当然理由を聞かれたが
課題ができないとか
自分には向いていないとか
教授にダメ出しされたとか、言ったかな。
私がそう思い悩む根源にあるものが何なのか
両親は思いを巡らせてはくれただろうか。
本当は違う事がやりたかったのだとは
この頃はもう口には出したくなかった。
私は自分でこの道を歩くと決めた時に
もっとちゃんと腹を括るべきだったのだ。
そして
意思疎通のできない親子が話し合いをした結果
私の奇行の原因が学校にあると曲解した両親は
また私の知らないところで
教授に電話をかけていた。
私がこの事実を知ったのは
学校に行かなくなってから一年以上後の事だった。
↓続きます
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