2月6日の18時頃、『最高血圧が100を切り、尿も出なくなりました。状況は心臓がいつまで持つかに掛かっています。ただ持っても1〜2週間と覚悟してください。』との連絡が病院からありました。



直ぐに見舞いに行かねば、私の風邪による高熱が解熱してから4日が経過したため見舞いは大丈夫だろうか、などあれこれ考えていたところ、



先程の連絡から6時間ほどしか経っていない、7日の午前0時を回ったところで私のスマホが鳴ります。



スマホの待ち受け画面を見ると病院からの受電。(病院からの電話はいつもドキドキものでした)



覚悟を決めてスマホを取ると『お父さんの最高血圧が60まで下がり、呼吸も浅くなったので直ぐに来てください。』とのこと。



病院まで150km離れているため間に合わないことも想定して、仮に亡くなった時の処置などを看護師さんと打ち合わせた後、バタバタと準備をして次男の運転で高速道路を飛ばして病院へ向かいます。



150kmの距離がこれほどもどかしいと感じたことはありません。



氷点下20度近くの早朝、白い息を吐きながら病院に駆け込み、母ともロビーにて無事合流。



いつも通りにフェースガードとエプロンを着けて入室準備をしいる時は「まだ息があるのでは」との淡い期待を抱いていたものの、病室に入ると父の顔には白い布が掛けられていました。



父の姿を見た母は、無表情に立ちすくんだままで父に近づけません。



看護師さんに促されてベッドの傍らに置かれた椅子に座り、父の顔に触れると「冷たいね」と呟く母。



薄っすらと涙を浮かべながら、冷たくなった父の顔を撫でているうちに現実を受け入れたようです。



看護師さんに父が亡くなった時の状況を確認すると、午前0時に危篤との電話連絡を私にしてから、およそ20分後に眠るようにして穏やかな表情で息を引き取ったとのことでした。



本当に穏やかな顔で眠っているようでした。



昨年6月に父が膵臓癌を発症し、余命半年との宣告を受けた際、膵臓癌発症の3年ほど前に心筋梗塞で死の淵を彷徨った父の希望もあったことから、



苦しみを軽減する治療を優先してほしいと主治医にお願いするとともに、



癌治療には父の心臓が耐えられないとの主治医の意見も考慮に入れて、延命治療と心肺蘇生は希望しないとの同意書にもサインしていました。



先月から始めた鎮痛剤を徐々に増やしながらの痛みのコントロールも上手く出来ていたようで、穏やかな療養生活だったと主治医から伝えられ、



死に目に会えなくても、父が死の間際まで終始苦しまなかったとも聞かされて主治医と決めた治療方針には間違いが無かったと安堵し、ある意味救われたような気持ちになりました。





父が2020年10月に心筋梗塞で倒れた後は、認知症も進んだことから一人で施設に入っていました。



一昨年来、母の認知症も進み始めたことから父母同居出来る施設を急遽探し出し、昨年6月からおよそ3年振りの同居を始めたまでは良かったのですが、



これから夫婦水入らずという時に、入所時の検査で父の膵臓癌(余命半年の末期)が発覚しました。



全くもっての誤算です。



入所直後から父が入退院を繰り返していたため、同居期間は正味3ヵ月ほどしかありませんでしたが、



病院と施設とが連携した手厚い支援により短いながらも両親とも充実した生活を送ることが出来ました。



病院と施設には感謝に耐えません。





⬇通夜の日の夕方、式場の窓からの景色。郊外のため外気温は既に氷点下10度を下回っています。



お通夜の席では父との思い出が走馬灯のように蘇りましたが、その一つに父母が同居すべく新しい施設に入る前日、当時一人で入っていた別の施設から父を母の待つ自宅(実家)に連れ出し、家族全員でお寿司を食べたことが昨日のように思い出されました。



入院中も私の札幌の自宅に遊びに行きたいと盛んに言っていたもののそれも叶わず、まだ元気なうちにどうにか出来なかったかと悔やむばかりです。



私の自宅でお寿司と大好物の和菓子をたっぷり食べさせてあげたかった・・・



また先週、私が風邪で39度ほどの高熱を出したため父の見舞いに行けなかったことが今でも悔やまれることです。



後悔先に立たず、とは正にこのことですね。





昨年のブログで父の膵臓癌を公表してからというもの皆様から多くの励ましやご助言をいただき、何とか乗り切ることが出来ました。



この場をお借りてお礼申し上げます。



誠にありがとうございました。



通夜、告別式を終えてまだ心の整理が付いていないため雑駁な内容となりしたが、これにて父の闘病記のエピローグです。(私の闘病記はまだ続きそうですが・・・)



では、皆様もご自愛ください。





関連記事(直近記事から遡っています)

  

 

2024年1月の面会時の記事


2023年12月の面会時の記事②


2023年12月の面会時の記事①


2023年11月の面会時の記事+私のMG受診


2023年11月の入院時の記事


2023年9月の入院時の記事


2023年8月のお墓参り時の記事


2023年8月の退院後の記事


2023年7月の入院時の記事


2023年7月の家族総出の面会時の記事


2023年7月の退院時の記事(膵臓癌診断が確定)


2023年6月の検査入院時の記事


2023年6月の父母が施設入所時の記事


2023年2月の母の認知症診断時の記事


2021年2月の父の老健施設入所時の記事


2020年11月の父の心筋梗塞にて入院時の記事


2018年4月の父の心不全にて入院時の記事





経緯



2023年  2月下旬 母がアルツハイマー認知症発症

2023年  4月下旬 両親が入る施設と契約

2023年  6月上旬 両親が施設入所(父は転所)


以下は父の経緯

2023年  6月中旬 腫瘍マーカーが異常値を示す

2023年  6月下旬 検査入院・膵臓癌の確定診断

 ※余命半年の宣告、緩和ケア中心の治療方針説明

2023年  7月上旬 退院

2023年  7月下旬 虚血性小腸炎の治療で入院

2023年  8月上旬 退院

2023年  8月中旬 外来受診

 ※腹水、食欲不振などの症状があるも入院せず

2023年  8月下旬 両親を連れてのお墓参り

2023年  9月中旬 嘔吐物に血液が混じり検査入院

2023年 10月中旬 退院

2023年 11月上旬 固形食がほとんど取れず入院

 ※小腸、右側尿管が狭窄

2024年  1月中旬 鎮痛剤使用開始

 ※小腸、右側尿管が閉塞

2024年  1月下旬 主治医から余命僅かの宣告

 ※心不全による突然死の可能性ありとの説明あり

2024年2月7日  永眠