今日、母を連れて父の見舞いに行きました。


父の体調はというと、1週間ほど前から腸閉塞のため水分すらも口から受け付けなくなり、


痛みも出てきたことからモルヒネと同様の効果がある肌に貼るタイプの鎮痛剤を常時使用するようになって、覚醒している時間がほぼ無くなりました。


それでありながら私の体調が優れなかったことから直ぐには見舞いに行けずに、今日まで父と母を待たせてしまいました。


全く持って不甲斐ない息子です。


⬇フェースガードとエプロンを着けて、父の病室に入る前の一時待機の図。


病室に入ると看護師さんが両手の拘束を外しつつ『奥さんと息子さんが来ましたよ!』と、父が目を開けるまで何度も声がけします。


やっとの思いで目を開けて母と私を見るなり『おー!』と声を絞り出したかと思うと、また目を瞑る父。


看護師さんが言うには、鎮痛剤の影響で常時意識が朦朧としているとのこと。


感染症対策で面会時間が15分と限られているなか、諦めきれない母は父の手を握り締めながら必死に声がけします。


母『痛くないかい?』
父『おー!』

母『〇〇(←私の名前)も来てるよ!』
父『(私の顔を見て) おー!』

母『寒くないかい?』
父『寒い』

母『辛くないかい?』
父『・・・・・』

母『頑張るんだよ!』
父『・・・・・』


母が父の手を握り締めながら話し掛けるも父の反応は次第に弱くなり、淋しい表情を見せながらも薄っすら涙ぐんではいるものの終始毅然としている母。


その後声がけしても父からの返答は無く、面会時間が終了したため「お父さん、今までありがとう」と心のなかで呟きながら病室を後にしました。




帰り際に主治医から父の状態の説明を受けたところ、膵臓癌があちこちに転移しているそうで、


1週間ほど前から小腸と右側の尿管が閉塞して、大好物の和菓子などの固形物はもとより水分なども全く口から受け付けなくなったこと、


腹水のみならず胸水も溜まり出して来たことから、3年前の心筋梗塞の後遺症があるため心不全での突然死も覚悟してほしいと伝えられました。


ここでも母は気丈にも、涙一つ見せずに主治医の説明を反芻しながら確認していました。


病室と診察室では認知症も何処かに消え失せ、一瞬だけしっかり者の母に戻っていました。


母が主治医からの説明を理解したのを確認した後、苦しみを最小限とする治療を優先してほしいと改めて主治医にお願いして診察室を出ました。




昨年6月に余命半年の宣告を受け、お正月は迎えられないだろうと言われていたものの、ここまでよく頑張った父。


今は残り少ない時間を苦しまずに、穏やかに過ごしてほしいと願うばかりです。


覚悟していたとは言え、いよいよのようです。 


では、皆様もどうぞご自愛ください。
(帰宅途上のJR車中にて)




経緯



2023年  6月上旬 両親が施設入所(父は転所)

2023年  6月中旬 腫瘍マーカーが異常値を示す

2023年  6月下旬 検査入院・膵臓癌の確定診断

 ※余命半年の宣告、緩和ケア中心の治療方針説明

2023年  7月上旬 退院

2023年  7月下旬 虚血性小腸炎の治療で入院

2023年  8月上旬 退院

2023年  8月中旬 外来受診

 ※腹水、食欲不振などの症状があるも入院せず

2023年  8月下旬 両親を連れてのお墓参り

2023年  9月中旬 嘔吐物に血液が混じり検査入院

2023年 10月中旬 退院

2023年 11月上旬 固形食がほとんど取れず入院

 ※小腸、右側尿管が狭窄

2024年  1月中旬 鎮痛剤使用開始

 ※小腸、右側尿管が閉塞

2024年  1月下旬 主治医から余命僅かの宣告

 ※心不全による突然死の可能性ありとの説明あり