古代、玄海灘と有明海は繋がっていた。

さおりさんは、この状態を霊視されたと思われる。

この状態でなければ、神話は解かれない、重要な鍵であった。

 

★前の記事

 

★目次

☆1 山なのに海

☆2 筑紫島四つの面と神話の舞台

☆3 高天原と弁天さんの元宮

 

  山なのに海

 

私を知る前から霊視が始まったという、霊能力者のさおりさん。

ブログにまとめてくださいました。

それを受けての謎解きです。

*さおりさんは、事前情報は全くありません。

(上記ブログから。許可をいただいてます)

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シーン④「山なのに海」

(以上)

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山なのに海。

宝満山も大根地山も、 山なのに、なぜか海のようなものがある。

 

 真鍋氏の著作「儺の國の星」の情景が浮かぶ。

 

*四王寺山は潮路見(しおじみ)山、或いは四明山と呼ばれた。

麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮になっている。

今から千八百年前の昔はここで南と北の潮目の満ち引きを見る安楽人の望楼観亭があったと伝えられている。

筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。

「儺の国の星 P151」

 

*有明海が脊振、耳納、四王寺を三つの海峡で仕切っていた。

 

 

宝満山から見た情景。

左奥は、南西の有明海。右奥は、北西の玄界灘。

正面が天拝山。その右手前が四王寺山。

この間、玄界灘と有明海は繋がれていた。
 

図1 左 海面上昇シミュレーションシステム

     右 Google map

 

「儺の國の星」の拾遺 P71には

「筑紫の東島と西島が針摺で繋がれたのは雄略帝十七(四七三年)のことである」とある。

 

彼らが存在した当時、北部九州はこの状態であった。 

 

さおりさんは、この情景を見られたのだろう。

 

 

 

県道65号線は、宝満山と大根地山の間をはしる車道。

 

「儺の國の星」(31、三笠星)には、

夜須郡夜須村に三並なる群名が残る。かって有明海の潮が蘆木(あしき)川を遡って、この地まで沂(せ)き上っていたのである。

とあった。

 

県道65号線の側には宝満川がある。

その地点まで潮が上がってきたとしても不思議ではない。

 

さおりさんにこの状態であったことを話すと、こんな返事をくださった。

 

 

この状態でなければ、繋がらない神話の数々がある。

その一部。

*「筑紫島の四つの面」と神話の舞台

*高天原と弁天さんの元宮

 

 

  筑紫島の四つの面と神話の舞台

(詳細は各記事で)

*「筑紫島の四つの面」の一つである、

白日別は筑紫の国魂である高良神。

よって、他の三つも彼に関わる。

 

豊日別が豊姫であり、高良大社本殿合祀されている。

☆后で無ければ、差し置いて祀らない。

高良神の后は、神功皇后。(「高良玉垂宮神秘書」より)

 

 

彼は饒速日命=天照=三貴神=住吉神ほか。

ゆえに、高良神の后である神功皇后は御炊屋姫。

 

 

御炊屋姫は市杵島姫命(宗像神)=弁財天。

女神天照の別名に「厳御霊」があり、市杵島姫命を意味する。

 

☆神話の神は、全て彼ら二柱に集約され、その話も場面ごとに名を変えた彼らになる。

 

 

☆建日向豊久士比泥別

住吉神が全ての神なので、住吉の元宮があるこの地が神話のほとんどの舞台となる。

*神話の「一柱(イザナギ)から現れた神」は、すべて同神を示唆するもの。

 

 

 

筑紫の日向である「建日向豊久士比泥別」にある久士布流多気とは、櫛布留岳=饒速日命を意味する。

 

 

*彼は住吉大社や石上神宮の神。

そこには、神功皇后も祀られている。

彼が饒速日命であり、彼女が后の御炊屋姫。

二柱の天照であり、豊受大神(稲荷神)。前回の記事参照。

 

伊勢は古来、磯宮、礒神を祀る。

高良神は安曇磯良神=礒良神。

 

石上(いそのかみ)神宮の饒速日命が、礒良神である高良神となる。

(ラは、古語で神・光なので、礒良で礒神という意)

 

高良神は磯神。

礒(イソ)には高いや大元などの意味があるので、高良大社は礒良大社という意味。

 

*イソ(磯、五十)、イサ、イセ(伊勢)は同じ意味

 

 

☆建日別

白日別は高良神であり、神功皇后と共に異類を退治していた。

その一つが羽白熊鷲であり、古処山周辺が本拠地。

そこが建日別であった。

 

神話はこの状態でなければ、意味を成さない。

逆に言えば、この状態であるからこそ、神話が解かれる。

 

そこから、高良神(住吉神)と神功皇后が神話の全ての神であり、饒速日命と御炊屋姫という繋がりも必須となる条件だとみえてくるはずだ。

 

もう一つ、この状態であるからこそ繋がるものを。

 

  高天原と弁天さんの元宮

真鍋氏は、「儺の國の星」でこう記されている。

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*筑紫は東の宇佐島と西の高来島の二つに別れていた。西は又の名を天原(あまのはら)とも称した。

(「儺の國の星」6、根堅洲国より 引用)

 

西の天原。

建日向豊久士比泥別が高天原。

そこが、高良神=磯良神がおられた高天原となる。

 

神が降臨した(存在した地)となる。

 

 

☆弁天さんの元宮

 

*「儺の國の星」には、西島を蓬莱島と言ったともある。

(記載場所が分からなかったので後に)

 

蓬莱島には、弁天さんが関わる。

弁天さんが祀られる天山は「蓬莱島」の中にあった。

  

図2 地図はYAMAP

 

弁天さん=市杵島姫命を祀る社は、池を築き島を造り、その中に社を建てる。

市杵島姫命が「斎き島」を意味し、古代、島は星と同義なので、星神を祀る者を意味していた。

 

星神=住吉神=布留神(饒速日命)。

 

さらに、もう一つ神の由緒を意味していた。

天山には、その「初め」がある。

 

 

天山山頂

 

天山上宮

 

晴気天山社の由緒書き

 

天山池の中に島を築き蓬莱島と名づけ、宮床に石祠を設け天山神の上宮と定め

(晴気天山社の御由緒書きより)

 

池に島を築き、蓬莱島と名づけて上宮を設ける。

 

これが図2を示唆するもの。

天山の上宮は、「建日向豊久士比泥別=蓬莱島の中にある天山」を意味している。

 

つまり、神の由緒を示すもの。

全国の弁財天社(市杵島姫命)がこの形であるのは、これを踏襲している。

 

この地、「筑紫の日向」に神がおられる神を暗示しているということになる。

 

 

☆「筑紫島の四つの面」のそれぞれに彼らが関わっていた。

それには「玄界灘と有明海は繋がっていた」ことが、絶対的な条件であることになる。

 

 

さおりさんの霊視。

まるで今までのブログの総集編のような。

 

 

さおりさんは、霊視をされてから、石切神社の参道にある霊視の先生にこんなことを言われていたとブログにある。

(さおりさんのブログより)

(以上)

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その後、実家に帰った後、霊視が始まり、下のような経緯で、私を知る。

 

 

石切神社の参道の霊視の先生が言われた

「覚悟・神社系・白い神社の服を着た女性」って私のことになるのだろうか。

 

と思って気づいた。

ブログのアイコン、巫女服だ^^;

 

 
 
宝満山が繋げてくれたのかもしれない。
 
 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

 

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