石と星は同義語であった。

石上神宮の布留神は、星神の住吉神でもある。

彼は高良神であり、礒良神の名を持つ。

物部が今の世まで繋げて来た神であった。

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★目次

☆1 物部の神*磯神*石上*高良神

☆2 三島神

 

  物部の神*礒神*石上*高良神

 

(「儺の國の星」29、夏日星(なつひぼし)より引用)

 蹈鞴仕事で夏分の方の工人を特に石上(いそのかみ)と崇めました。...星を石(いそ)とも語りましたから古歌によく出てくる枕詞”いそのかみ”が”ふる”にかかる由来がここにあるかと考えられます。”いそ”とは五十、”ふる”とは両歳二年の古語であります。星見の女官を石女と書き”いそな”、”いそら”、”いとな”などとよびました。

 

「儺の國の星」の著者、真鍋氏は「神」をご存知であったのだ。

知らなければ、上記のことは繋がっていないだろう。

 

石上は、石上神宮の祭神、布留神。

磯の神である磯良神。

 

石上神宮

 

彼は、筑後国一之宮の高良大社の高良神。

五十(いそ)神である、五十猛命も高良神であった。

荒穂神社には、「荒穂の神が投げた石が高良大社の神殿の下にある」と同神を示唆している。

 

伊勢は古来、磯宮であり、磯神を祀る。

彼、磯神=高良神が、饒速日命である天照であった。

 

彼は星神でもある。

布留神、住吉神、天津甕星ほか。

 

石は星であり、いそ=礒。

那珂川では天の川をいそのかわと呼んだ。

「天」が、「礒」だと認識されていたことになる。

 

 

 

真鍋氏の先祖は物部であった。

遠くは鹿島神宮の神官の家系という。

 

「高良玉垂宮神秘書」には、高良神と同神とある。

 

また鹿島神の伝承、袋中上人氏の「琉球神道記」にも、磯良神と同神とある。

 

同じ物部が祀った神であったのだ。

彼の名の一つが「饒速日命」。

その名さえ、後世につけられたものであろう。

 

高良神の「物部を秘すために名を変えた五氏」の中に丹波氏があり、石上神宮の地は前は丹波市町であった。

 

饒速日命と共に天降った部族の中に、布都留物部がいて、彼らが石上神宮の地を守る丹波氏であったのだ。

 

「儺の國の星」には、那珂川の地と真鍋氏の先祖が繋いできた情報があふれていた。

 

真実であるからこそ神に繋がる。

 

 

  三島神

(「儺の國の星」29、夏日星より引用)

Orion(オリオン)加津佐星(かつさぼし)と呼びました。...天頂に達する頃はほぼ東西方向に横に寝ますが、これに直角に並ぶ三星は、南の水平線を示すところから南位見星(つつみぼし)と呼ばれました。”つつ”とは古語で南のことであります。なお加津佐星に直行する形で縦に立つ三星を豆酸差星(つつさぼし)とも呼びます。

 

住吉神は、オリオンの三つ星の化身とされている。

高良神は住吉神でもある。

 

底筒男神の”つつ”は、南を意味し、星のことでもあった。

 

三島神は、奈良では布留神=饒速日命であり、

福岡では高良神である。

同神である故だ。

 

神は二柱の神に集約されるので、住吉神が全ての神でもあることになる。

 

よって、神話での住吉神が現れた所が、彼らのおられた地であり、神話の舞台であった。

 

 

 

(つづく  )

 

 

もう少し経って、実はすべての神が二柱の神に集約されると明らかになった時、対応に困る人はごまんといるのじゃないかと思う。

 

 

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