(2018年11月16日 ココログの記事 改訂)
 

今まで自分が登った山で、神功皇后が登っていたものがいくつかあった。

伝承の中では、そのほとんどが身重。

それはあり得るのだろうか。

 

(地図はグーグルマップより)
 

地図の福岡市を中心に見て、
北(北東)に1「若杉山」、2「遠見山(神路山)」

東に3「宝満山」、4「四王寺山
5「大根地山」、6「砥上岳」、7「目配山

西に8「雷山」、9「浮嶽」、10「叶岳

そして南に11「脊振山

(13が基山
*それぞれの山の詳細はリンク先へ

< 時間の流れ >


日本書記での話の流れは、
香椎宮での仲哀天皇の崩御(応神を宿していることを知る)
   ↓   .
熊襲征伐(羽白熊鷲)
   ↓    .
三韓征伐の後に出産。


この期間の伝承では身重ということ。


身重で山登り?
実際はどんな山なのかと知りたくて(という思いもあって)登った。
 

< 国見 >
 

☆唯一、仲哀天皇と登ったと伝承にある山が、

2の「遠見山(神路山)」(詳細はリンクへ)


山頂に、神功皇后が遠見(国見)をする為に仲哀天皇と登ったとある。
(伝承を信じるとすれば)、身ごもる前。

 そんなに急でもなく登りやすい山。
 普段靴でも登れる。
             


< 羽白熊鷲→三韓征伐へ >
  .
羽白熊鷲退治から、三韓征伐への(伝承の)流れ。

主に筑紫野~秋月にかけてのみ。(地図の右下)

 

☆1 「大根地山」(地図の5)

 神を下ろし、羽白熊鷲退治を祈る。

 

☆2 「目配山」(地図7)へ。

 山頂で目を配って、下山。

 

☆3 秋月(地図7の横の☆辺り)で「羽白熊鷲」を倒す。

 

☆4 三韓征伐へ赴く。

 兵が集まらないので、7の目配山の麓の「大己貴神社」で神を祀る。

 (兵が集まった)
 

☆5 「砥上岳」(地図6)の麓の池で武器を砥ぎ、山に登って三韓征伐の勝利を祈った。

(三韓征伐に関しては他もあるので後に記述)

 

***


☆1 「大根地山」(地図5)


 神功皇后が羽白熊鷲を鎮める為に、山頂で舞を舞って天神7代、地神5代を祀った。

麓に下宮は無く、山頂近くにある神社。
山の上が重要な場所であることを示す。
彼女は山頂まで登っている。
 

(大根地神社)
 

 
登山道には、神功皇后の伝承の烏帽子岩もあり。

 


*7「目配山
神功皇后が山頂で「目を配った」。

 

これは「戦う相手の方の様子を見た」ということ。

羽白熊鷲の本拠地が、秋月(7の横の☆辺り)に本拠地があった。

その後、彼女達は戦っている。

 

三韓征伐へ。

 

 

< 三韓征伐 >


目配山の麓の「大己貴神社」にも彼女の伝承あり。

 *三韓征伐に行く前に兵が集まらなかったので、お宮を建て祈ると集まった。

 

 

(大己貴神社)
 

 神社は上の地図の「朝倉」の字の朝の上辺り。
 

 

*6「砥上岳
 三韓征伐の折、麓の池で兵器を砥がせた。

彼女は山頂で武御雷神を祀り、三韓征伐の勝利を願った。
(だとすれば、秋月で羽白熊鷲を倒したから、武器を砥いだことになる)


これらの三山に関して、それほど険しい山ではない。

百歩譲って「登れなくはない」が、負担は大きい。

 

この他に「山頂で三韓征伐の勝利を願った」と伝承にある山がある。

それらは後の回でUPする。

 

 

そもそも彼女がこの地に来たのは、秋月の羽白熊鷲を退治する為。

それに関連する伝承の山は、この一帯にある。

しかし、8の「雷山」や、9の「浮嶽」にも、羽白熊鷲の伝承があった。

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

 

毎日、UPはできませんでした・・・。

 

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