今回は、高良神と神功皇后の伝承がある四王寺山。

週に1、2回山行している。(行をしてるわけではなく、山を登るということ)

その度に載せると山ブログになるので、関係あるものから爆  笑

 

(大宰府政庁跡から見た四王寺山)

四王寺山は、太宰府市、大野城市、糟屋郡宇美町にまたがる、 大城山、岩屋山、水瓶山、大原山の4つの山の総称。

 

(宝満山登山道から見える四王寺山)

 

福岡市から見ると東南にあるお山。 

その姿は、まるでカルデラのよう。

 

最高峰は標高410mの大城山。

上の表示板の写真では、左上の辺りにある。 

これは、四王寺山に山城があった時代。

 

四王寺山は、高良大社の伝承「高良玉垂宮神秘書」に登場する。

 

 

十五代神功皇后の時、異類が日本に来る。

その時、筑前の四王寺の峰に登り、大鈴を榊の枝にかけ、七日の間、異国の退治を虚空に祈った。

 

東の空に白雲現れる。

たちまち四方に開き光を放って、月神(高良神・底筒男尊)現れる。

(中略)

高良四天王が、天降った所を四王寺が峰と名付けた。

 

2枚目の写真の右側(北側)は、宇美町。
「宇美八幡宮」があった。
神功皇后が応仁天皇を産んだというその場所の、ほど近く。

彼女の祈りに答え、住吉三神達が現れたと高良の伝承にあった四王寺山。
その伝承の他に残されている話がないので、見ておきたかったのだ。
(この記事は、2018年1月。ココログで「二つの伝承」の記事をアップした後)
 

(毘沙門堂)

ここには、最高峰(低いけど)の大城山の山頂の近くに、毘沙門堂があった。
 

毘沙門天は、高良大社の奥宮におられる。

高良神は、毘沙門天と習合されていた。

 

 

高良大社の伝承の「四王寺山で神功皇后の呼びかけで住吉神が現れた」の部分は、おそらく後に創作されたもの。

 

(四王寺山から見た博多の街。
左側に水城が見える)

 

四王寺山には、唐と新羅の攻撃に備えて、大野城が作られている。

664年に水城。
665年に(この)大野城と基肄(きい)城(基山)。
その後、新羅調伏のため四天王(持国天、増長天、広目天、毘沙門天)が安置された四王院が建てられています。
それが「四王寺山」の由来。
四王院は、今の毘沙門堂の辺りではないか

と案内板にあった。

 

高良神が筑紫の神(筑後国一宮)であり、毘沙門天と習合されていることから、あの伝承が作られたのだと思われる。


(毘沙門天繋がりで、七福神)


ですが、もしかすると元々、彼らはここで何かがあったのかもしれない。

毘沙門堂の気配は、いつも大神神社と同じものがあるのだ。

 

高良神は、住吉神であり、毘沙門天。(饒速日命=天照大神)

その高良(住吉)神と夫婦とされる神功皇后。(御炊屋姫=豊受大神)

彼女は市杵島姫命であり、弁財天。

七福神とは、「彼ら」を表している。
(後にまとめます)
 

(鮎返りの滝)

「神仏習合」は、初めは人の都合であったかもしれない。

けれど、そこには確かに神の関与があり、長い間祈られた結果、融合してる。

 

高良の神は自ら「毘沙門天として祀れ」と現れたそうだ。

それを事実ととるか、創作ととるか。

「融合」が人の願いならば、それは事実だと思う。

 

 
鮎返りの滝の側の三宝荒神さま。
四王寺山を一周すると(水瓶山抜きで)、大体12キロ。
 

 
5時間切ってますが、ペースは標準。

走れるとこは走ってのこの時間。

トレランの人が2時間で走り切るので、標準ペースを上げてます爆  笑

普通に歩くともう少しかかる。

 

四王寺山には、三十三の札所があり、石仏がおられる。
 

 
一番のお気に入り。
18番札所 如意輪観音さまの隣におられる、十一面観音さま。
 

 

4番札所の千手観音さま。
摩崖仏。美しい~。

三十三札所を順に回ると、約16キロ。

(探しまくるので時間がかかる)
 
四王寺山も祈りのお山であった。
 
 
 
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