続きです。

 

 

 

二つの伝承 1 」で登った基山。

その山頂で気になったのが「大根地山」。

 

(基山の山頂の石板)

 

基山(荒穂)神と筑紫神は高良神であった。

磯良の名から、石上。

彼は物部の祖神、饒速日命ではないのか。

それを確かめたかった。

 

それには、「高良神」の伝承を追うのが手掛かりになる。

かの神は、神功皇后と共に「イルヰ」を退治したと伝えられている。(高良玉垂宮神秘書)

 

彼が饒速日命ならば、その伝承は彼らのもの。

ならば、神功皇后の側に彼はいたはず。

 

そうして気になった山が大根地山だった。


  .                                               *

                                                 
帰って調べたら、「神功皇后が登って神事をした山」とあった。
頂上付近には「大根地神社」がある。

 


12月のよく晴れた日に、登った。

 

 
登山口は、バイパスの冷水(ひやみず)道路のトンネルの上になるので、旧道の国道200号線から行く。
「大根地神社」の地名は、福岡県飯塚市内野だが、
山頂は福岡県筑紫野市香園。
 

お狐さん。
ここはお稲荷さん?
 

 

階段を数段上がると旧道に出る。
シーボルトや吉田松陰も通ったという長崎街道。

しばらく歩くと鳥居が見えてきた。

 

 
この辺りが「冷水峠」。
九州の箱根と言われる程の難所だったそうだ。
 

 
 

 
旧道の地図。                                       
 

 

麓の鳥居の前のまん丸っこいお狐さん。(一番のお気に入り)

この参道の階段を上ると登山道。
この鳥居から神社まで、約2キロ。
間もなく、車でも通れるような舗装道に出るが、狭く急なので四駆でないと難しい。

 

 

途中にある鳥居。
神功皇后の伝承がある烏帽子岩。

 

                
神社が見えてきた。
舗装して登りやすかったから、下の鳥居からここまで45分程。

この道をまっすぐ行くと、大根地山頂上。
先に、神社へ参拝した。
 

(これは秋の時の写真)

                           

こちらは、とても居心地がいい。

 

                                                                                 
大根地神社の由緒

 大根地神社は、天神七代、地神五代の大神をお祭りしています。
 社伝によれば、「人皇第十四代仲哀天皇の九年三月八日
 神功皇后羽白熊襲御征伐のとき、

大根地山に登り天神七代地神五代を大根地大神として祭り、親ら神楽を奏し勝ち軍を祈り宿陣す、

その霊験著しく容易に熊襲の諸賊を誅滅す」

と伝えられ、いとも御由緒の顕著なる神社であります。
  その後、建久三年に須佐之男命、大市姫命の二柱の神を合祀し、雲閣稲荷大神と称え奉る。
 古老の口碑によりますと

「建久三年富士山に在ること、壱千有余才の神通自在の白狐が源頼朝公富士山に御猟の評定がありしときに、この山を発し筑紫の内野の根地岳に移り給う」と伝えられ、大根地雲鶴大明神と称え、その後、九州の稲荷の別当の官を崇め奉る。

  (以下略)

 
神功皇后が羽白熊鷲の征伐の時に、大根地山に登って、天神七代、地神五代を祭ったとのこと。
それが「大根地大神」。

 
ご由緒に「熊襲の諸賊を誅滅す」とあるが、その熊襲とは、高良の伝承では「羽白熊鷲(はじろくまわし)」のこと。

”それ”は、翼があり高く飛び、人民を掠めていたと伝えられている。

それは、まさしく高良の伝承にあった異類なのでは?


大根地山 登山の回、続く。



( つづく )