糟屋郡久山町猪野の「伊野天照皇大神宮」。
糸島の「櫻井神社」と同じく、九州の「伊勢」と言われている。 .
春には桜。
秋は紅葉と美しく染まる。
神功皇后が天照神を御祀りしたところ。
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伊野天照皇大神宮由来記
祭神 天照大神 手力雄神 萬幡千々姫神
合祀 水取宮祭神 五霊大明神 住吉三神 志賀三神
ここに鎮座せらる々伊野天照皇大神宮は、
その縁起をたずねるに草創は極めて遠く、
日本書記によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、
仲哀帝の九年三月(紀元二〇〇年)
皇后小山田邑の斎宮に入り、自ら神主となり
天照大神(撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)の霊を
お祭りになったと記されてある。
(以下、略)
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拝殿の右を、上に登っていく。
一番上にある、「古神殿跡池」。
この場所に神が降臨した地。
心柱(しんばしら)。
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始めてここに来た時、「違和感」があった。
それは何だったのか。
今回来たのは、それを確かめる為。
神殿の前にあった「鉾」。
違和感はこれだった。
「鉾」は、何かを表しているのではないか。
女神には不釣り合いだ。
・・・ここの神は向津媛ではないのではないか?
神の名で疑問を感じたのは、ここが初めてだ。
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もしも、神功皇后が祀った神ならば・・・。
それは「饒速日命」なのではないかと。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
筑紫にある、天照神社のご祭神は饒速日命なのだ。
その内の二つ。
お社の右にある山道を進んで行く。
裏山の遠見岳へ。
彼女はこの後、福岡中の山に登りますが、異国を見ようとしたのではない。
どこの山を登っても見られないのは、明白だ。
「神は山に在り」
だから、神事をしたのだ。
この遠見岳から少し下がて尾根伝いに行くと、神路山がある。
「神路山」
意図して、その名にしたのだろう。
あの鉾は何を示唆する?
女神、撞賢木厳御霊天疎向津媛命だけではない?
< 女神の名 >
女神、天照神には別名があります。
つきの「音」は、斎き(いつき)の「つき」。
祀る者の意味。
また、撞の漢字は「つく」の意味がある。
(鐘を撞くのつく)
「神との境の木」を息する。
「天に疎い」
つまり、「天(日の)神では無い」。
この二つの名に共通するのは、
彼女は、天照神ではないのだ。
今(2021/12/08)だからこそ、分かる。
ここにすでに名があった。
厳御魂(いつのみたま)。
厳島神社の御神霊である、市杵島姫命。
(彼女にも多くの名がある)
(古代、島と星は同義語)
その彼女に「祀られる彼」は、
日の神、天照であり、星の神、また海の神でもあった。
天照の子だから?
では、他の神の名が無いのは、何故?
彼女にとっての天照大神。
それは、住吉神だった。
私は、瞑想の中で住吉の神と会い、そこから「大嘗祭」、饒速日命へと辿り着いている。
住吉神は、饒速日命だと。
天照神は、彼だと。
天照神、住吉神だという、「饒速日命」。
そして「神功皇后」。
時代が違うはずの二人。
でも伝承では、同じ時にいるのだ。
何がどうなっているのか。
それを知りたい。
次の回から、それに迫って行くことになる。
だから、山を歩くことを止めなかったのだ。
奈良のお山には、彼女は登っていない。
それは、山で「神事」をするようになった後、その地には長くはいなかったから。
そう感じたのなら、尚更。
だから、神功皇后は山に登ったのだ。
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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