若杉山は神功皇后の伝承地。

彼女が登拝し、祈りを捧げたお山の一つ。

 
彼女は福岡の低山を幾つも登っていた。

なぜ?

「三韓征伐の戦勝祈願」

「国見の為(国を眺めることが神事)」

 それだけではないように感じていた。
 

(若杉山 太祖宮上宮)
彼女が山で感じたもの。
それを知りたくて、三郡縦走に出発。
 
4年前の5月。
山ナビのYAMAPを使い始めて一週間後。
三郡山地の若杉山~三郡山~宝満山の17キロを縦走していた。
 

 
スタートは若杉山の麓、太祖宮下宮から。
 

 
御祭神の彼らは全て同神。
イザナギ神を祀るこの社の対になるのが、西区にある飯盛山であり、イザナミ神が祀られている。
 
 
車道沿いにあるのが、「おさ石」
神功皇后が休んで手をついた時に出来たと言われるくぼみがある。
「さ」の横。
いや、そんな怪力じゃないし、多分。
 
若杉楽園(キャンプ場)を経て、山中へ。
 
綾杉
神功皇后が植えた杉。
朝一なので朝日の映り込みが神々しい。(6時ころ)
 
綾杉の案内板
(以下、要約)
三韓征伐の折り、臨月の体で上宮まで登り御祈願。
太祖神社の神木を手折り、鎧の袖にさしてお守りとされる。
凱旋の後、その杉を香椎宮の側に植えた。
これを綾杉と言う。
その杉を分け、当山に植えた。
よって分杉山と言われ、後になまって若杉山とよばれるようになった。
 
臨月で山に登るのは不可能だ。
一歩も歩けないだろう。
 
しかし確かな足跡がある。
 
彼女は身重では無かったのだ。
 
長い階段の向こうが、上宮。
 
 
 


御祭神
イザナギ神、天照大神、八幡大神、志賀大神、住吉大神は同神。
彼女と共に在った高良神であり、饒速日命。
 
宝満大神、聖母大神は神功皇后。
宝満宮竈門神社には、彼女と玉依姫が祀られる(他に八幡大神、住吉大神)
 

 
神功皇后は豊国(豊前豊後)の一之宮の御祭神。
彼女が宗像神であり、市杵島姫命(弁財天)。
その市杵島姫命は御炊屋姫。
大神神社の御炊社の御膳神(みけつかみ・豊受大神、豊姫、稲荷神)であるのが彼女。
 

神功皇后の御神像
 
住吉神と神功皇后が共に祀られるのは、彼らが夫婦であるから。
大物主神(大神神社の大物主)と宗像姫。
大国主神(出雲大社の大国主)と須勢理姫。
それぞれ名を変えられているのだ。
 
これは前の記事。

 

 奥の院へ向かう。

 

はさみ岩を降りてきたところ。
 

                                          
奥の院を通って、手を合わせ。

 

                            
若杉山頂上。

ここまで2時間。

その先に展望台があった。                 

 

若杉ヶ鼻


連なる山々が三郡山系。

右端が宝満山です。

あの山まで縦走する。

 
若杉を過ぎると道路を渡る橋がある。

 
交差する道路は、ショウケ越え。
橋は老朽化のため、通行禁止。
(2023年撤去された)
 

 
迂回して道路を渡る。
ショウケ越えは、神功皇后がショウケ(竹籠)に、産まれたばかりの応神天皇を入れて背負って歩いたと言われている。
今は車もカーブも多く、危ないので車道沿いを歩いて行けない。
 
ここから再び登り。
 

 
砥石山。
いくつかの山頂を踏んで、三郡山へ。
 

 
山頂に気象レーダーがあるので、下界からもすぐに分かる。
最後のお山(写真奥)、宝満山へと向かう。
 

 
宝満山頂上にある上宮。
 

50分休憩して大体、この時間。
2回目は1時間短縮。
 
初めての縦走!
こんなに楽しいとは。
 
山を繋ぐ。
若杉山と宝満山とその間の6つのお山を繋ぐ、この縦走路はかなりの人が歩かれる。
その二つのお山は霊山。
 
繋いで、感じたことがあった。
 
 

( つづく )   

 

 

 

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