続きです。

 

前回の「奥の院」から頂上に戻る。

そこにあるのが
「太祖宮 上宮」

 

階段下から写した写真。

「奥の院」から戻ると、お社の裏に出る。

 

 
 


太祖宮累縁起
若杉山太祖権現社は、伊弉諾神を祝い祭る
ところにして相殿に天照大神、八幡大神、。
右殿に宝満大神、聖母大神左殿に志賀大神
住吉大神三座七神まします。伊弉諾神は
我が国土、人民を化成し給う、祖神にまし
ます故太祖と称し奉る。太祖神社は当郡の
総社にして当村野産神なり。鎮座始めは
未詳なれども神功皇后三韓征伐の御祈り
ありて、凱旋の後香椎の綾杉を分かちて此の
山に植え給える由は「八幡託宣集」に見え
たりいと久しき鎮座なるべし。神功皇后は
遂に御社を改め造らせ給い、此の山野
絶頂に西に向く宮を造らせ給う
是れ異敵降伏の御為なり
 

 

住吉神、志賀神は、高良玉垂宮神秘書より、高良神と同神。
彼は物部の祖神、饒速日命だ。
男神・天照大神である。

 

 

天照は、神話でイザナギ神の禊から生まれている。

同神(月読神、スサノオ神友)同神を意味している。

 

 

 

高良神は、神功皇后と夫婦。
彼女は聖母大神、宝満大神と同神。


神功皇后の御子、八幡大神は気比神宮でツヌガアラシトと名を交換。
同神を示唆している。

ツヌガアラシトは、高良神に繋がる。

 

 

さらに「ヒメコソ神」から饒速日命と御炊屋姫へ。

 

 

この社に祀られているのは、二柱なのだ。

 

拝殿の向こうに神功皇后の像がある。
 

 
 
山中にある綾杉。

(以下、要約)

三韓征伐の折り、臨月の体で上宮まで登り御祈願。

太祖神社の神木を手折り、鎧の袖にさしてお守りとされる。

凱旋の後、その杉を香椎宮の側に植えた。

これを綾杉と言う。

その杉を分け、当山に植えた。

よって分杉山と言われ、後になまって若杉山とよばれるようになった。

(案内板からの要約)

 

臨月で登るのなど、不可能なのだ。

 

 

お社から見える景色。
西北西の方面。
遠くに見える島が志賀島(しかのしま)。
そこまでは海の中道(橋のように見える)で繋がっている。

志賀島からは「金印」が出土してていた。

筥崎宮は、この写真では、志賀島との中間点にあった。
その辺りが昔の海岸線。
「笠沙・カササ」だったのか。

 

 

 

( つづく )