続きです。
若杉山はやはり、霊山だった。
弘法大師空海上人が庵を結んだお山。
中腹にあるキャンプ場の側にある太祖山金剛頂院。
太祖山 金剛頂院畧縁起
弘法大師空海上人が唐から帰られた際、このお山に瑞雲がたなびくのを見て霊山に違いないと感じられた。
九州八十八ヶ所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~|第89番 太祖山 金剛頂院http://www.kyushyu88.com/index.php/2018/08/08/no89/
空海上人は若杉山に登られて鎮護国家・救世利民の祈願をされ、庵を結ばれた。
かつては百八僧坊を構え金塔・宝蔵・鐘楼などの諸堂が甍を並べるほど隆盛を極めていた。
当時、金剛頂院のある若杉山は右谷・左谷に分かれて三百の僧坊が立ち並んでいた。
貞和3年(西暦1347年)山内に戦乱が起こり、聖地は焦土と化す。
現在の金剛頂院は昭和17年に再建されたものである。(上のリンク先より抜粋)
ここに来て、初めて知った。
*
若杉山登山口は、一番上の写真の道を奥に進むと、ゲートから行く。
この登山道は、緊急車両用の道なのだそう。
登山道は他にもある。
こんな舗装された道が頂上まで続く。
まずは、奥の院へ。
若杉山の頂上にある太祖宮の上宮の、そのすぐ脇に、下に降りて行く階段があった。
こんな岩の下をくぐって。
下から写したもの。
なかなかハードな山道。(この時のうちにはね!)
奥の院がある、階段下まで降りたところ。
下の写真が奥の院(全体が撮れません)
何となく、ご本尊の写真を撮れなかったので。
奥の院の中の休憩室。
「今日を楽しむものは
花を活けよ
一年先を楽しむものは
花を植えよ
三十年先を楽しむものは
木を植えよ
百年をおもんぱかるものは
人を育てよ」
来た道を上まで登って、いよいよ太祖宮の上宮。
( つづく )