続きです。

 

 

 

 

☆8 ヒメコソ神社*七夕神社(磐船神と棚幡神=饒速日と栲幡千千姫) 

(ツヌガアラシトは前回、書ききったので、今回はヒメコソ神)

 

香春の現人神社の神は、ツヌガアラシト神。

彼が追って来たのはヒメコソ神。

 

同じ名の神社が小郡にある。

 

媛社神社(ひめこそじんじゃ)。

 

 

またの名を「七夕神社」。

 

 

彦星さまと織姫さまの銅像があった。

 


 

 

一の鳥居の扁額は「媛社神社」。

 

 

二の鳥居の扁額には「磐舩(いわふね)神社」と「棚織(たなばた)神社」と並んで刻まれている。


 

御祭神は、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのこみと)(織姫)
天火明命 織姫の長男
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) 織姫の父
宗像神(むなかたのかみ)道主神 道の神様

 

 

磐舩神が天火明。

棚織神がその母の織姫である栲幡千千姫命。

 

しかし、ここは七夕神社。

親子で七夕の伝承は成立しない。

 

彼らは親子では無く、夫婦である。

 

 

天火明は、籠神社の饒速日命であった。

彼は高良神である住吉神。

高良神の后は神功皇后。

 

「祓いの神」は、彼らの異類退治が由緒であり、住吉と瀬織津姫に繋がる。

 

 

これが「織姫」である、御炊屋姫(市杵島姫命)であり、饒速日命の后であった。

 

つまり、祀られている神は、饒速日命とその后の御炊屋姫なのだ。

実際、ここの祭神は饒速日命とされている。

 

☆御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=厳御魂=女神天照=瀬織津姫。

天河弁財天は、内宮の女神を勧請している。
女神天照が、弁財天である御炊屋姫だ。

 

 

 

 

 

伝承があった。


媛社神社の歴史は古く、その起源は1300年前に書かれた「肥前風土記」にさかのぼります。

(中略)
 

昔、姫社(今の鳥栖市姫方町付近)の地に悪い神がいて、旅する人を多く殺していた。

そこで土地の人が困って占ったところ、宗像(今の宗像市付近)に珂是古(かぜこ)と言う人がいて、その人に神の社を祀らせると良いと出た。

そこで珂是古は、幡を掲げ、その神がいるところに落ちるように祈祷して幡を飛ばした。

幡は風にしたがって飛んで行き、御原郡の姫社の社に落ちた。(基肄郡姫社郷の条)
 


伝承は、神の由緒を示す。

 

上記の「媛社神社」の伝承は、幾重にも彼らに繋がる。

 

☆1 姫社(今の鳥栖市姫方町付近)の地に悪い神がいて、旅する人を多く殺していた。

 

次に鳥栖姫方の姫社を記載する。

その地に悪い神がいて、旅する人を殺していたという。

 

しかし、古代はその近くまで海があったとしても、悪い神がいるのならば迂回すれば良い。

他に逃げ場がないといような土地ではない。

 

地図はGoogle map

(左図の1が媛社神社2が姫古曽神社)

 

上の図の1に「悪神」が出たという。

それが本当なら、容易に迂回できる。

 

 

伝承は、神の由緒。

この話は、「命尽くし神」の話になる。
以下の神社に伝わる伝承と同じであり、冷水峠に出たという「命尽くし神」のことなのだ。

全て同じ話が元であり、同じ神を示している。

 

*基山(基肄郡)の荒穂神社の五十猛。
(=高良神。社の石が高良大社の社の下に飛んで行った=同神を示唆)

*筑紫神社の筑紫神(白日別)、玉依姫。

*筑後国風土記の「命尽くし神」の話の甕依姫。

*大根地山の神功皇后

 

 

上記の神社に祀られる神は二柱になるのだ。

 

 

 

 

☆2 宗像の珂是古が幡を掲げ、その神がいるところに落ちるように祈祷して幡を飛ばした。

幡は風にしたがって飛んで行き、御原郡の姫社の社に落ちた。

これがこの地だという。

 

この話は、高良玉垂宮神秘書にあった。

 

 

黒崎に上陸した高良神が、住むのに良い場所はどこかと旗を投げる。

旗が落ちた所が、久留米の御井旗碕(味水御井神社がある)。

上宮に向かって旗がなびいたので、高良山に住むことにしたとある。

 

神秘書では、御幸行で初めに巡る地であり、神功皇后と高良神が「鎮在が辻」へ赴く前に泊まった地である。

この「鎮在が辻」が「命尽くし神」が出た「冷水峠」であろう。

 

では、その由緒の神は、高良神を示唆している。

 

 

鳥栖の姫社(姫古曽)神社から投げた幡が、この媛社神社に落ちた。

 

それは、両社の神は同じであり、この社の神が「高良神」であると説いているのだ。

彼の后は神功皇后。

 

媛社神社の磐舩神が饒速日命であり、姫古曽神社の高良神。

媛社神社の棚織神が、姫古曽神社の市杵島姫命=御炊屋姫であり瀬織津姫。

高良神と共に在った神功皇后となる。

 

 

 

彼女は宗像神でもある。

珂是古が「宗像」の者だったのは、神が宗像神であることも示唆している。

 

 

 

< 現人神社のひめこそ神 >

 

そもそも、こちらの社は、高良峰(香春岳)の側の現人神社にあった、

ツヌガアラシト神が追って来た「ひめこそ神」から繋がったのだ。

 

彼らは、高良の伝承で異類退治をしていた高良神と神功皇后であった。

 

ここの棚織神は御炊屋姫。

磐舩神は饒速日命である。

 

しかも、「命尽くし神」を退治していたのはその二柱。

 

 

前回も記載したが、

 

ヒメコソ社の祭神は、

古事記では、天日槍とアカル姫。

日本書紀では、ツヌガアラシトとその妻。

 

実際の祭神は、磐船神(饒速日)と棚織神。

これが、饒速日命と御炊屋姫なのだ。

 

すべて、名を変えられた彼ら。

記紀、神社の矛盾は同神であるゆえ。

 

 

高良神と神功皇后は異類(命尽くし神もその一つ)を退治していた。

それが住吉神、瀬織津姫の「祓いの神」の所以なのだ。

 

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

**********************************************

 

Twitter

今更ながら始めました。

古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

フォローお願いします笑ううさぎ

https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09

 

 

鳥肌です。

以前、ココログのでこの神社を書いた時、高良の伝承(旗の)まで結びつきませんでした。

あちらももう一度、書き直したいです。