続きです。

 

福岡県筑前町弥永(いやなが)にある大己貴神社。

そこには神功皇后の伝承があった。

 

写真 1   大己貴神社
 

彼女はここから目配山へと登っていた。

 

また、この社には、大神山の遥拝所がある。

通称、三輪山。

 

大己貴神が三輪の神であるので、奈良の大神神社の形をなぞらえているのだ。

 

写真 2  大神山  全景
 
右に見えるのが、大神山。
まずはそちらへ。
 

写真  3  
 
農作業道を進むと突然、すっぱりと道が切れる。
後はただ、上に登るだけ。
 

写真  4
 
出た!倒竹。
低山では、よくある光景。
かいくぐって、上へ上へと進む。
刺さると痛い。
 

写真 5  大神山山頂
 
しばらく行くと、172ピークが見えた。
大神山の山頂。
 
この時(2018年)は標識なし。
今はあるかもしれない。
 
磐座があるという話を聞いたのだが、見つからず。
上宮も祠もない。 
 
では、本来の神の山は奈良の三輪山。
 
 
頂でしばらく呼吸を整え、意識を開放した。
すると、きらきらとした光のかけらが、とめどなく舞い降りてきました。
 
祈りが注がれ、大切にされてきた証。
ここも「神の山」に違いない。
 
山と祈りは、距離を超え、繋がっている。
下界の社がそうであるように、この大神山は、奈良の三輪山の分身、御霊分けであるよう。
 

写真 6
 
ここから尾根沿いを下る。
 

7  YAMAPの地図
 
172ピークを過ぎるとなだらかな尾根。
もう少し進むと分岐にぶつかり、目配山の登山道に出た。
上の地図はYAMAP。
2018年の時のなので、今と表示が変わっている。
 

 写真 8  小鷹山分岐
 
これが7の地図の分岐。
ここに、出るのか!
大神山から尾根を降りて初めて分かった。
 
目配山の正規ルートを登ってきて、この分岐を右に行けば、倒竹を通らないで楽に大神山へ行ける。
(くれぐれもうちが行った道から行かないでください。倒竹に刺さります)
 
(大神山からくると)目配山はこの分岐を右へ。
そのまま進むと秋月氏の山城があったという小鷹城山へと向かう道。
そちらへは迷いやすい。
 
今回は目配山へ。
 

写真 9
 

 写真 10 腰掛石
左の方に、目配山山頂が見えた。
手前にあるのが、神功皇后の腰掛石。
彼女が座ったという伝承がある。
上の写真は秋の時。
 

 写真11
山頂は、桜の名所。
 
この時は満開を少し過ぎた時に行ったが、見事だった。
来年こそ、満開の時に行こう。
 
山頂へ。
 

 写真12
目配山山頂標識。
南にあるので、いつ行っても標識の文字が映らない!
 
ひらひらと桜の花びらが舞っていた。
 

 写真13
南西方向。
奥に見える山が基山。
 

写真14
 
南方向。
朝倉の街。
 
神功皇后がここで「目を配った」ので、目配山となった。
 

15  地図はYAMAP
1が大己貴神社。
2が大神山。
3が小鷹城山と大神山の分岐
4が目配山山頂。
 
目配山への正規ルートは、湯ノ口池の横を通る赤い線。
 

16  地図はYAMAP
 地図15の俯瞰
 
神功皇后が目を配った(周囲を見渡した)のは、秋月にいたという羽白熊鷲(熊襲)の動向を見るため。
しかし、目配山山頂(4)からは、秋月(5)は見えないのだ。
上の地図にあるように、その間にはいくつも山がある。
 
青い丸で囲んだ5には、神功皇后が羽白熊襲と戦ったという数々の伝承があった。
この辺りから古処山(地図の右上)にかけて、羽白熊鷲の本拠地があったとされる。
 

17  地図はYAMAP
この辺りには、1に三輪
2に奈良の地名がある。
3が大己貴神社
 
祀られている神が三輪の神だと示しているのだ。
 
砥上岳を下りた後、「神功皇后古道」という案内板があった。
神功皇后の伝承に繋がった。
 
 
 
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(つづく)