江戸の子供3-1
当時の師弟関係というものは、非常に深いもので一生続くと言っても過言ではありません。現代とは全く異なります。盆暮の挨拶は勿論の事で婚礼の介添えまでありました。「一に師匠、二に檀那寺」といわれたものです。「師の恩は 目と手と耳に いつまでも」当時は体罰などという言葉は有りません。あるのは、木刀や弓の折れ等で叩くだけで殺されてもやむを得ないという覚悟だった。特に、武士出身の師匠は厳しかった。休日が少ないですから、もし、師匠が病気で休もうものなら、もう生徒は大喜びでした「師匠様 風邪を引いたと 嬉しがり」勿論、事前に連絡など有りませんから、当日、行ってから判る事ですが、それでも、1日遊ぶことが出来るから満足です。子供の天下ですしかし、師匠というのは厳しいものでした。授業中に悪戯などをすると今より遥かに厳しいお仕置きが待ってました。今でしたら、モンスターペアレントが黙ってませんね。中には、[雷師匠]と呼ばれ恐れられたが、人気が絶大な師匠もいました。「雷師匠、日本橋左内町に、手跡の指南をなす。弟子男女500人に及ぶ。人となり厳にして和顔を見せず、弟子師に面する時は寒からずして粟す。しかれども書法を綬くるにおいては、丁寧なること慈母の幼児を扱う如し。ここに於いて、人々其の子をここに頼むもの多し」これは現代も求められてる資質でしょうが月末には「小さらい」、年末には「大さらい」という読み方の試験が有り成績優秀者には賞品が贈られた。母親にとっては、子供自慢の機会でしたから晴れ着を着せ豪華な弁当を用意したそうです。寺子屋の行事としては、席書がある。4,8月に行われ成績の発表会で、師匠も弟子も正装し、家族も参加、寺子を順番に呼出し、手本なしに清書させ成績を付けて壁に貼り出した。「席書の 文鎮になる 母の指」よく書かせようとして、母が一生懸命に紙を押さえてる様子が窺えて、ほのぼのとした様子です。席書競争心も煽ります。軍日といい、源平2組に分けて旗や幕を作って机に置き,単語や熟語を書いて、どれだけ正しく読めるかをした。道具については、机、硯箱の代金が250から300文筆が1本4文、墨が1つ16文。半紙1帖10文。筆は幼児の場合は、幼児用として「椎の実筆」があり毛が短く、長さも短いものであった。尚、半紙は勿論再生紙です。上の方を綴じて、真っ黒になるまで書き、なったら、紙屋に紙を取り替えに行く。取り替え賃は僅かだったという。紙屋は、その真っ黒な紙を漉き返して、浅草紙のような便所で使う紙にする。捨てるという事は無く、徹底的に使う。使用した便所紙も、更に漉き返して使ったのですから灰になるまで、いや、灰になって田畑の肥料になるまで使ったのです。素晴らしいリサイクル時代でした。