原宿 池田家 明治時代
慶喜の5男が藩主として養子に入ってた家なので
よく出入りしてたようです。
何しろ3万坪あるので喜佐子姉妹もよくかくれんぼをしたが、
範囲を決めてここまでというようにしてた。
原宿での鴨猟
鴨猟が盛んにおこなわれた
大きな鴨場が有りました。
豊多摩郡千駄ヶ谷町大字原宿といってました。
原宿の駅から鴨の小屋のトイレで乾している白い手拭が
見えたというのです。
鴨の狩場というのは、大きな池が有って、引き堀があり、
大覗きと呼ぶ小屋から全体が見える様になっていた。
引き堀の両側の土手には真竹が植えられており、
堀のどん詰まりは茅で囲ってあり、
そこから撒いた稗が水面に流れる様になってます。
稗を食べる家鴨の後ろから野鴨が付いてくる。
そこで土手の両側に5人位隠れていて、鴨が飛び立つ寸前に
大きな網で飛び立ってくる鴨を掬うのです。
1羽でも逃がすと大池の鴨が全部飛び立つので、
全部獲ることが必要でした。
昔は1羽でも逃げた場合は、鷹を離したそうです。
鴨が取れると、先ず心臓を出して鷹に食べさせる。
大名も又墓終いをしてる
鳥取32万石の池田家である。
戦前は百合子さんは戦前は原宿にあった3万坪の屋敷に
8歳まで育ち、多くの奉公人に囲まれ生活してたが、
戦火が及んで鳥取に疎開、終戦に東京に戻ると
焼け野原となってた。
16代当主の百合子さんは山岸百合子さんは府中にあった
都営多磨霊園にあった池田家の墓を2003年に墓終いした。
多磨霊園が出来る前は、池田家の墓は向島の弘福寺に
あり、昭和初期に寺の周辺が公園化されたので
12代・13代の墓を多磨霊園に改葬した
そして、寺にあった江戸時代の正室や子供などの墓は
鳥取の池田家の墓所に鉄道で貨物輸送したという。
鳥取の墓は、鳥取市奥谷にあるが、初代から13代までの
藩主一族の墓が計78あり、谷周辺の山一面が墓地である。
国の史跡となり、県の教育委員会に墓所保存会が出来、
老朽化した墓碑や石垣が整備され、今や観光名所となって
多くの人が遊びに来るそうだ。
8月の灯籠会、紅葉狩りなど様々なイベントがある
藩主の墓は亀趺円頭墓碑と呼ばれる。
高さは各々約4.6メートルである。
亀趺(きふ)とは亀の形をした「趺」すなわち台座のことで、
中国では貴族以上の身分に許された墓碑・記念碑の台座で。
亀は龍の子供と考えられており、先人の偉業を讃えるために
碑を龍の子である亀の背に載せるという形になっている。
この台座は諸大名の墓碑としては、
ここ鳥取藩主池田家のものが唯一である。
当主の百合子さんは、最初は東京から改葬する時に、
この奥谷の墓所を考えたが、ところが、ここは江戸時代の
藩主しか入れないと言われ何故か断られた。
では、百合子さんは将来何処に入るつもりのかというと、
多磨霊園にあった12代から15代の墓を同じ鳥取の
縁の深い寺である大雲院に求めてるので入るのだという。
先祖の墓には入れないという不条理な事がある。
大雲寺
1650年に鳥取藩主池田光仲開基
「墓じまい」(改葬)が2022年度、全国で15万1076件
(前年度比3万2101件増)に上り、過去最多となった。
少子高齢化や核家族化に加え、新型コロナの影響で墓参りが
しにくい時期があったことや、樹木葬や散骨など改葬後の
選択肢が増えたことが背景にあるようだ。
また、管理する人がいなくなった「無縁墓」を行政が
撤去したケースは、全国で3414件だった。
樹木葬とは、墓石に代わって樹木を植え、骨壺を納める
カロートを造らず、骨を布などでくるんで土の中に納める。
土に帰してあげようとする。
1999年に岩手県の一関市の寺で初めて作られ、継承者を
必要としない永代供養を言う。
樹木葬と言うと最近の調査でも墓を求めた方の50%を占め
堂々の第1位となった。
テレビドラマの「家政婦は見た」が知られてるが、
女優の市原悦子さんの影響が大きかったようである。
樹木葬は穴を掘り骨を袋に入れて納めて、
上に好きな樹木を植えるのです。
日本最初の樹木葬
夫の骨壺を抱えて市原さんは、墓の中の冷たいコンクリートの
中に納めるのは嫌だと悩んでたが、知人に誘われて
樹木葬ツアーに参加して決めた。
市原さんは、桜が一番人気があるよと言われたが、
桜は嫌いなので榎を選び、苗木を植えた。
区画中央に花を飾り、2人の名が彫刻された18センチ角の
御影石を置いた。
夫を亡くして墓を探してた市原さんは生前に樹木葬を求め、
2019年82歳で亡くなったが、2区画を求め夫の傍に埋葬された。
榎は、今現在3mの高さとなり5mくらいにはなるのだという。
夫妻の墓は、33回忌までは永代供養されるが、それ以降は
引き継ぐ人が居なければプレートは外され、無縁になる。
市原さんは生前こう言ってた
「死んだら何もかも終わり、その瞬間から魂はこの世にないの」
更に「自分が土に帰ったら土の周りをただ漂っていたい」