2016年上半期もっとも読まれた江戸人気記事は?下着を着けない ...

出産して、産婦はこれからが大変であった。

1週間正座でいるのである。

これは産後の血ののぼせを予防するからと云われた。

而も産婦を眠らせないように、周りに人が居て監視した。

 

その後、奇数日は御祝があり、7日目になると

おくるみ」を袖の付いた産着に着替える。

麻の葉模様のものである。

麻の様に真っ直ぐ育ってほしいという

願いからである。

江戸時代の出産の様子 (江戸東京博物館)

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「武士の家計簿」の加賀前田家の猪山家での

出産の様子です

出産費用として、男の子だったので嬉しかったのか

産婆に15匁6万円、

医者に13匁,5万2千円、針立に5匁2万円払っているのである。

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江戸時代は金本位制と銀本位制とに分かれていました。

江戸を中心としたところは、金本位制であり、関西は銀本位制でした。

そして、加賀藩は銀本位制の地域で、家計簿に書かれている、

日常の買い物は全て銀何匁と云う標示です。

匁とあるように重さの単位です

ですから秤に乗せて重さをはかる。

よく本の中で銀一粒という表現があるが、まさしくこの事です。

ですから、金小判を戴くと銀に両替をしなければなりません。

繁雑であり大変だったでしょう。 

私も電卓片手で大変でした。 

 

この時代の一朱銀は一枚(一朱)あたり250文くらいでした。

一両は6500文、一分銀は1000文、1朱銀は1分銀の4分1。

例えば、屋台蕎麦は大体16文、1両なら400杯の蕎麦を食べられる。

一朱銀は一両の16分の1なので、このことから当時、

一朱銀はおよそ蕎麦25杯を食べられた。

江戸時代のお蕎麦屋さんをご紹介します。|太田記念美術館

江戸時代、金は高く、銀は安く、幕末にはこの金と銀とに

目をつけて外国の商人が金を持ってきて売り、

銀を持ちだして莫大な儲けをしたことは

明治になってからでも多く見られました。

外国は銀が主力です。

海外では金1に対して銀15であったのが日本では金1に対して

銀5枚であったからで金の価値が不当に安かった。

 

武家の場合は、子供の行事は妊娠の時から始まるのである。

着帯    妊婦に腹帯を巻く。妊娠5か月目の戌の日。銀3匁。

出生    初産は実家で、それ以降は婚家で出産。銀・33匁13万円。

      天皇家の場合は、里に帰って出産、将軍・大名は奥で出産。

三つ目  誕生三日目の祝宴。簡単に済ませた。   

七夜   誕生7日目の祝宴。

      親族が揃ったので少し豪華に、小さい鯛を出した。

      料理はクルミやレンコンやクワイ。

初参詣  

結局、着帯から御七夜まで、産着を入れてであるが、

合計158匁掛かった計算になる。65万円くらいですか。

 

合計で着帯から御七夜まで108匁、さらに産着50匁。

計159匁。

しかし、この内、出産費用の半分と、産着代、

御祝い金30匁を妻の実家が払っている。

この当時、嫁入した娘と実家の結び付きは固く、

猪山家でも嫁入した娘の場合同じようにしている。

墓などを見ると判るが、碑に何々の妻ということで

氏名の妻の下に「何々氏」と実家の名が入るのである。